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フランクル 第5回 「何か」に支えられて [2026年02月13日(Fri)]

ヴィクトール・フランクル
 〜それでも人生には意味がある

第5回 「何か」に支えられて
 〜 フランクルの超越、ヤスパースの包括者(1)

 フランクルのテレビ放送の第5回は「「何か」に支えられて」です。フランクルは、精神科医は宗教の領域は扱えない、そこは、宗教者が支援するといいます。そういうことは、宗教と非宗教との区別が明確になっているということでしょう。テキストでは、次のようなことが述べられています。多数ありますが、少しあげてみます。

 「フランクルは、・・・自分の運命が、何だかわからない「秘密の力」に動かされていると感じざるを得ませんでした。それは、人間が論理的に説明したり理解したりすることができない「人間を超越した存在」の力です。」(注1,p106)

 「しかし彼は、人間の運命を動かす超越的な存在について話すときに、これを特定の宗教の神とは表現しませんでした。それよりももっと普遍的な、すべての人間に共通する超越的な意味の存在を 確信していたのです。彼はそれを「究極の意味」と名づけます。」(注1,p106)

 「フランクルの信仰における態度は、自分の宗教だけにしがみつくものではありませんでした。彼はユダヤ教の神に誠実でありながら、地球上のすべての民族が「一つの人類」として尊敬し合うという、開かれたあり方を提唱しました。これは、彼が「一人類主義」と呼んだ考え方です。」(注1,p130)

 フランクルの宗教的な思想(?)が、テキストではこのように紹介されています。

 フランクルには、「宗教的無意識」という言葉もあります。こちらは、単なる思想ではなくて、「宗教的無意識」という言葉には思想ではなくて、実際にある姿なのか事実味が感じられます。
 同じ時期に、活躍したドイツの哲学者ヤスパースの紹介も始まっています(注4)。 その 第4回(2 月23日、月曜日)が「包括者とは何か?」という話題です。みたところ、やはり、自己を超えたもの、「包括者」という宗教的なものです。しかもかなり、具体的に述べています。

 「このおのおのの瞬間に現れる主観=客観の分裂の秘密は何を意味するのでしょうか。 しかし存在は全体としては客観であることも、主観であることもできないで、むしろ《包括者》であらねばならないということ、そしてこの包括者が分裂して現象となって現れるということは明瞭であります。」(注4,p84)

 西田哲学でも、「絶対無」「絶対的一者」ということをいいます。深い禅で体験するともいいます。また、西田は、これがキリスト教の根底にもあるといいます。

 フランクル、ヤスパース、西田哲学のいう超越的なもの、宗教の根底にあるものは、同じなのでしょうか。違うのでしょうか。

【注】

(注1)NHKこころの時代 テキスト 『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版

(注2)大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
SIMT:Self Insight Meditation Therapy(SIMT)、自己洞察瞑想療法

(注3)大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社

(注4)NHK E テレビ「100 分 de 名著」、『ヤスパース哲学入門』戸谷洋志

(注5)フランクル『人間とは何か』山田邦男監訳、春秋社

(注6)山口尚『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー



https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
 〜それでも人生には意味がある
Posted by MF総研/大田 at 22:10 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL