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自分の「死」をどう受け入れるか [2026年01月29日(Thu)]

ヴィクトール・フランクル
 〜それでも人生には意味がある

第4回 人生という「砂時計」
〜(その4)過去は保存されている
 「今、ここ」しかないという教えとの関係は?

自分の「死」をどう受け入れるか

 前半は、「愛する人の死」の苦悩についてでしたが、後半は、「自分に迫る死」についてです。

◆自分の死の問題

「私たちはどのような態度で受け入れればよいのでしょうか。」(p95)
「死」が近くなった時、どうすればいいのかが、述べられます。

「その態度いかんによって、人生の最後の時間が、意味のあるものになるかどうかが決まります。」(p95)

 では、どうすればいいと、フランクルはいうのか、彼の言葉が紹介されます。

「今、ここ」の行動が、過去となって保存されるから「今」最善の行動を

◆「私たちの人生が死によって限られているということは、今このときを有効に過ごそうという、ポジティブな意味でのプレッシャーにもなります。」(p97)
 「私たちが実現したことが「永遠化される」とすれば、「今、ここでどのような行動を取るべきか」という決断が、より重要になります。」(p98)

 人生は、逃げられない(p98)、いつも「ここでどう決断するか」、「最善の手を探し出すように常に人生から問われているのです。」(p99)。

 「過去は保存される」ということが強調されていましたが、「今、ここ」とつながりました。 いつも、今、ここで、最善の手をさがして「決断」実行です。

 SIMT(注6,後期西田哲学の実践論の解釈です)では、人生には、つらい出来事が押し寄せてくるが、いつも価値実現の行動を決断して生きていこうといいますが、同じなのでしょうか、ちがうのでしょうか。

 それでも、「死」が意識されない健康な時はまだしも、「がんです」と告知されたり、余命何か月となった時、どうするのでしょうか。
テキストは、そこにはいります。

死の恐れ、嫌悪、そして受容

◆死の恐れ、嫌悪

 「人間は「死」を魔物のように恐れ、嫌悪してきました。」(p100)

 「だからフランクルは、死が・・・・・「私たちを眠りから覚ましてくれる」「優しい手」だと表現したのでしょう。」 (p100)。
 ここにはフランクルの喩ばなしが紹介されていますが、理解しにくいです。比喩が違う箇所なのでは?

◆死の受容

 死はおそれなくていい、受容できるといいます。
 「この考え方は、アメリカ人神経科医エリザベート・キューブラー・ロスが発表した 「死の受容」 のプロセスと通じるところがあります。」(p101)

 「キューブラー・ロスは、1960年代に200人以上の末期がん患者と対話して、個々の状況に共通する「死を受容するまでの心理の変化」があると発見しました。それは、 「@ 否認と隔離、A怒り、B取引、C抑うつ」の四段階を経て、「D受容」に至るというものです。(p101)

  「このような考え方を知れば、私たちは「死を恐れる必要はない」と信じられるのではないでしょうか。」(p101)

 「人間は、生きている間はいくらでも変わる可能性があります。」(p103)
 しかし、「私たちの人生は、死と同時に消滅するのではなく、完成したまま存続していきます。」(p103)

 「フランクルの特徴的な死生観」(p104)が紹介されました。

 テキストの文脈は以上です。

 上記のように、フランクルは、「過去は永遠に保管される」と説明されました。 これならば、がん患者の支援ができそうです。患者が納得できればですが。

 テキストではありませんが、フランクルの書籍(注5、p403)に、実例が紹介されています。「神」を信じている宗教の信者が手術もできないほどに重いがん患者に対して、「治す」のではないが、精神的に苦悩しないような助言をすることです。精神療法は「治療」ばかりでなく「慰め」を与えることができる例としてです。

 「精神療法は慰めを与えるべきではない、たとえ精神療法(あるいは医学一般)の治療がもはや不可能であるとしても慰めを与えるべきでないーーこのような反論は通用しない。」(注5,404)

 なぜなのでしょうか。そうしないと、患者が自殺するおそれがあるからではないでしょうか。
 死が近い患者が、そばにいる医師に助言を求めることは多いでしょう。「死んだら終わりだ」と苦悩する(はずの)患者に、フランクルはロゴセラピーの思想で「慰め」の助言をしたのです。

 日本では、がん患者が深刻な精神的な苦悩に対しての支援が不足しているようです。がん患者の自殺があります。医師による支援も宗教者による支援も少ないです。

◆自殺対策をロゴセラピーで「がん患者」を支援

日本では、「がん患者」の自殺が多いです。受容できていないから、自殺なさるのです。 ロスの「C抑うつ」から「D受容」ではなくて、「C抑うつ」から、「自殺」です。

 たしかに、比率から言えば受容する人のほうが多いのですが、日本では、受容できずにがん患者の自殺が目立っています。もし、受容できる支援法があるならば、ロゴセラピーの方々が、この方法でがん患者の自殺防止の支援ができないものでしょうか。

 後期西田哲学でも、類似の世界観を言いますが、以上の説明から受け止められる意味は違うような気がします。

 フランクルの死生観を見て、皆様は、どういうふうに解釈しましたか。過去がどこにどのように保存されていると思いましたか。考古学的に地下などに、でしょうか。文章、言葉でしょうか、写真でしょうか。あの世に保存なのでしょうか。
 過去はなにもかもそのままで今もなお存在すると解釈すると、古代インドの初期仏教と類似しているようにみえます。反社会的なカルトの思想にも似ているように見えてきます。
 フランクルはそれと同様のことをいうのでしょうか。
 現在のほかに、「過去」が別に存在するというと、過去を「実体化」した見方になりますね。大乗仏教では、過去も「空」です。フランクルの真意はどこにあるのでしょうか。

 西田哲学では、自己・他者の生命、は「存在」の問題である。愛する人の死、自分の死の苦悩は、本来は「存在価値」の消滅であり、創造価値、体験価値とは比較できない価値である。創造、体験は、ほかのものに取り換えられるが、愛する人、自己は、取り替えられない。 だからこそ、死は、特に深刻な苦悩になっているのである。
 フランクルも承知していながら、「過去は保存される」ということで生きることを大切にしてほしいための説明は、彼の生きた国の事情から苦労したように見える。
 精神療法は、法律で医師しか提供できなかったこと、彼の周囲の世界では、生命の価値の問題は宗教問題であり、キリスト教やユダヤ教のように生命は神から与えられたものであるいう状況では、宗教者のみが言及できるのであろう。「生命」を存在価値といわないで、愛する人と自己の生命の救済の理論の説明を作り上げたように見える。
 日本のように、精神療法の提供が法律で医師に限定されていないこと、宗教者であっても精神療法を提供できる環境ならば、愛する人と自己自身の「生命」は、当為価値(創造、体験、態度)とは次元が違う特別な「存在価値」として扱う精神療法の研究が求められるのではないか。

(次の記事にします)

(注1)NHKこころの時代 テキスト 『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版

(注5)フランクル『人間とは何か』山田邦男監訳、春秋社

(注6)SIMT=Self Insight Meditation Therapy。自己洞察瞑想療法。 公刊された書籍は、3つです。ほかに、マインドフルネス瞑想療法士の 講座に使用されるテキスト が多数あります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
★自己洞察瞑想療法、SIMT ブームになった「マインドフルネス」(第1世代マインドフルネス)とは、違います

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
 〜それでも人生には意味がある
Posted by MF総研/大田 at 08:21 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL