• もっと見る
«その3)注意すべき「過剰自己観察」 | Main | (その5)「良心」は「心理」の次元になく「精神」次元で働く»
4)意味ある行動、「意味への意志」は「自己治癒力」 [2025年12月14日(Sun)]

ヴィクトール・フランクル
 〜それでも人生には意味がある
第3回 豊かさの中の「空虚」
 〜(その4)意味ある行動、「意味への意志」は「自己治癒力」

 テレビ放送の3回目は、

◆豊かさの中の「空虚」

 12月28日ですが、テキストがありますので、前もって少し先読みしています。年末年始には多くの人にとって、楽しい季節かもしれません。 しかし、あるひとびとにとっては、「孤独感」「空虚感」を強める時節でもあるからです。

◆意味のある行動=「意味への意志」

 3回目に、重要な指摘があります。テキストに、「意味への意志」「意味への行動」という言葉があります。

 フランクルによれば、人間の意識には、「身体」「心理」「精神」があります。
 過剰自己観察は、自分のことばかり観察しています。それは、身体と心理のレベルです。社会のためという「精神」レベルがありません。

 「そんなふうに自分のことばかり考えていると、人間の「意味への意志」はだんだんやせ細っていきます。 自分のことで頭いっぱいなので、たとえば日本の政治に問題があっても、関心が向きません。世界のどこかで戦争があろうが、 何万人もの難民が飢餓に苦しんでいようが、どこかの海が汚染されようが、地球の気温が上がろうが、興味を持てません。」(注1,p65)

 「そのような考え方の人が増えると、人間同士の温かい絆が、社会から消えていくことにもなるでしょう。 過剰自己観察は、現代社会全体の問題である「他者への思いやりのなさ」につながっていると感じます。」(p66)

 このような批判は、マインドフルネス(無評価で観察)にも、起きています。
 → https://blog.canpan.info/jitou/archive/5296
    第1世代マインドフルネスに向けられた批判

 無評価で観察は、「善悪」の判断の放棄であり、「良心」の停止だからです。この点についても、フランクルと西田哲学は一致しています。 (次の記事で確認します。ブログ5792)

 しかし、人間は、「意味」を持ちます。それが、「精神」です。人間は自分のことばかり考えることをしない精神をもっています。

 「しかし、人間は心と体の苦痛を乗り越えて、他の人を助けるという「意味」のある行動を取ることができます。・・・・ だからこそフランクルは、心や体を超越する第三の次元、「精神」があると考えたのです。 精神が心と体の快楽欲求を抑制するからこそ、「意味」のある行動ができるのです。」(p70)

 こういう、ロゴセラピーは、SIMT(注6,注8)と類似します。「意味」のある行動のことを、SIMTでは「価値実現の行動」といいます。

◆「精神」は「自己治癒力」

 さらに、テキストでは、次のように述べています。

 「本能的な欲求から自由になった精神的次元の力を使って「意味ある行動」ができれば、私たちの気持ちは満たされ、生きる意味を感じられるようになります。つまり精神というのは、人間が心の中に持っている自己治癒力のようなものなのです。」(p71)

 私(大田)は、この「自己治癒力」に注目するのです。まさに、そうなのです。
 SIMTは、自分の苦悩を観察して背後にある評価基準(本音)に気づき、苦痛を感じるのは本音のためだと認識し、苦悩を受けいれて、家族や社会のためになりたいという「価値」を思いうかべて、その実現のための行動をするトレーニングを繰り返します。半年から1年近く、これを実行します。そうすると、うつ病、不安症、PTSD、過食症などが「完治」するのです。

 どうして、このようなことが起きるのでしょうか。私は次のように推測しています。
 「意味」「価値」のことを思いうかべて、その実現への行動を統制するのは、眼窩前頭皮質です。 上記の精神疾患は、この部位が炎症を起こしていて機能が低下しているといいいます。だから、薬物療法だけでは治らない患者も多いのでしょう。
 ところが、SIMTの長い実践が、眼窩前頭皮質を動かすので、BDNF(脳由来神経栄養因子)により、その部位の神経細胞の炎症が回復するのだろうという推測です。いずれにしても、患者自身の価値実現の行動の生活で、「治る」のだから、価値実現行動、意味への行動、は「自己治癒力」と言えます。
 (別の視点から、後期西田哲学では行為的直観は、世界を創造する作用です。内向けには、自分の精神疾患を治す力を発揮し、外向きには社会に喜ばれるもの、生産物・サービス・家族愛、を作ります。)
 人間の脳の部位のいくつか(眼窩前頭皮質、背外側前頭前野、前部帯状回、海馬など)は、いったん炎症を起こしても、自分の行動によって回復する力があるようです。
 実際、私とマインドフルネス瞑想療法士の方々は、多数の治癒事例を持っています。臨床試験でないだけです。どこかの病院で、これを確認する臨床試験を行っていただきたいと思います。もし、確認できれば、大きな社会貢献になるでしょう。多くの患者さんが、治りきらずに、3年、5年、10年とクリニックに通います。ながびくと、そのうちに自殺も起こります。

 患者さんのために、それをするのは、価値実現、意味への意志と言えます。

(注1)NHKこころの時代 テキスト 『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版

(注2)大田健次郎 『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社

(注3)フランクル『夜と霧』池田香代子訳、みすず書房

(注4)テキストの第5回で「品格のある人間」「ない人間」がもう少し詳しく述べられます。やはり、フラ ンクルと西田哲学は類似することがわかります。

(注5)フランクル『人間とは何か』山田邦男監訳、春秋社

(注6)SIMT=Self Insight Meditation Therapy。自己洞察瞑想療法。 公刊された書籍は、3つです。ほかに、マインドフルネス瞑想療法士の 講座に使用されるテキスト が多数あります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
★自己洞察瞑想療法、SIMT ブームになった「マインドフルネス」(第1世代マインドフルネス)とは、違います

(注7)ブームの「マインドフルネス」は、各人の意味、価値の場面での観察ではありません。「無評価」ですむ、瞑想時、歩く時、食べる時です。「身体」レベルの浅い意識の「自己距離化」です。「自己超越」の場面が多い人生局面では、できません。外国では、社会問題の見てみぬふりの助長など批判が起きています。この放送の第3回目のロゴセラピーの説明(自分を見すぎるな)を見ても、そのような印象を受けます。それを知ったうえで、限定した場面だけで行うべきです。

(注8)第2世代のマインドフルネス(SIMT)は、かなりちがいます。観察するだけではありません。ストレスを起こす思考が内容によっては、自他を苦しめないか評価もし、ストップすべきかどうかも評価します。「価値」への行動に意識を向けるトレーニングを強調します。フランクルの「自己超越」に該当するでしょう。こういうところから、第1世代マインドフルネスは「身体」レベルの観察に類似し、SIMTは「精神」レベルに類似します。「マインドフルネス(無評価)」も適切な対象に提供しないと、生命を失うおそれがあります。



https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
 〜それでも人生には意味がある
Posted by MF総研/大田 at 18:29 | 孤独孤立自殺うつ病不安症 | この記事のURL