第2回の(1)苦悩を生き抜く精神療法 [2025年12月01日(Mon)]
ヴィクトール・フランクル
〜それでも人生には意味がある
第2回の(1)苦悩を生き抜く精神療法
〜フランクルのロゴセラピーが日本に多い自殺をなくすために
フランクルのロゴセラピーにある哲学、ケアの手法と、後期西田哲学の哲学と実践論(=それを具体化した自己洞察瞑想療法、SIMT)の類似性を見ています。
11月23日、フランクルの第2回目の放送がありました。
第2回 苦悩を生き抜く
ナチスの収容所に収容された人々は、次々とガス室に送られて殺されます。その迫りくる苦悩のために
自殺をはかろうとする人々をケアするフランクルが描かれます。
「フランクルは言うのです。「私たちが人生から意味を問われているのだと。
フランクルは、どんな人間でも、この世に生まれ落ちたとき、何らかの課題や使命を与えられていると説きました。
つまり、誰でも生まれながらに、自分以外の誰かや何かに対する「責任」を負っているということです。そして、
私たちは自分自身の人生に責任を負うことによって、初めて人生からの問いに答えられるのです。」(テキスト、p44)
西田哲学では「作られたものから作るものへ」といいます。ひとはみな、できあがった世界の中で生まれて、世界の中で生きていきます。
現在しかありません。次々と現在が来て、次々と過去に消えていきます。「人生」とは、現在の連続です。
「人生」は、今、今、今の連続です。その「今」は、対象的な「世界」が見えます。一方、見ているもの(=主体、自分)があります。見ているだけではすみません。直ちに「考え」「行為」しなければなりません。ぐずぐずしていると生命を失うこともあります。すぐに考え、行為を迫られます。
現在は、世界中の人間が行動しているので、刻刻と変化しています。その現在の状況が、自分には感覚を通して突きつけれます。「作られたもの」が
自分に迫ります。それを認知して自分の家族や職のために、何か行動して世界にアウトプット(=作るものへ)しなければなりません。
家族のためか、仕事のためかボランティア活動のためか。このようなことをフランクルの言葉では「自分以外の誰かや何かに対する「責任」を負っている」という言葉になっています。
「人生からの問いに答えられる」という表現は、自分の価値(家族、職業など)の場(叡智的k世界)において、その瞬間に感覚によって認識されることから
何をすればいいか(=問い)迫られるので、その瞬間、考えて(自分と他者の価値を崩壊させないように)、行為する、それが「答えられる」という表現でしょう。
後期西田哲学を具体的に実践するSIMTで説明すれば、このようになります。
(自分と他者の価値を崩壊させないように)とかっこ書きしましたが、いくつか認知や行動指針があります。
その指針にあうかどうか「評価」しないと、自分や他者を苦しめます。
フランクルの場合、その手法として、「自己距離化」と「自己超越」が説明されています。
これも、西田哲学の実践論を具体化したSIMTに類似します。
フランクルのロゴセラピーは、浅い短期の「心理的」レベルの問題でなく「精神」レベルの深い苦悩としての実存的空虚感をもつひとの「自殺防止」をめざしたものだったようです。
自己洞察瞑想療法(SIMT)も、うつ病になった開発者が自殺のある「うつ病」を治す治療法にしたいということを目指したので、類似してくるのでしょう。
自己距離化と自己超越、次の記事で述べます。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
〜それでも人生には意味がある
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Posted by
MF総研/大田
at 17:02
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孤独孤立自殺うつ病不安症
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