第1回の(4) 自己中心的、自分だけを大切にする「エゴイズム」心 [2025年11月03日(Mon)]
ヴィクトール・フランクル
〜それでも人生には意味がある
第1回の(4) 自己中心的、自分だけを大切にする「エゴイズム」心
フランクルの思想、哲学は、日本の著名な哲学者西田幾多郎の人生哲学に似ているので、マインドフルネス心理療法、SIMTもうつ病、などの治療法になります。ロゴセラピーは、自殺念慮、うつ病、不安症などの治癒を目指たのですが、SIMTとも背景の哲学の広さ、深さが類似するために、両方とも、深い精神療法になりえます。
◆自己中心的、自分だけを大切にする「エゴイズム」心
フランクルのロゴセラピーについて、テレビ「こころの時代」のテキストに次の記述があります。
「けれども、その「意味への意志」が歪んだり弱くなったりしているとき、人は自己中心的になり、
自分だけを大切にします。そうなると、自分自身に対する不満がつのり、幸福感を得られません。」(注1テキスト、p31)
「その状態が長く続くと、何のために生きているかわからなくなり、精神的に不安定にもなり得ます。
ロゴセラピーは、常に「意味への意志」を働かせることによって、そのようなフラストレーションを避ける療法なのです。」(p32)
SIMTの理論も類似します(著書注2、注3)。人間は、他者のために行為して喜ばれると、自分に満足感が生じます。他者を苦しめる行為をすると、
他者の苦しむ姿が見えて、加害者の心にも陰性の感情が起こり、自分にも満足感を感じません。
SIMTでは、クライアントがわかりやすいように、感情が起きた時にある背景を観察します。感情が起きた時にある、自己の評価基準を「本音」と称して、感情や欲求が起きた時に、本音を観察します。感情が起きた時に、すぐ衝動的な言葉、行為を表出すると、人間関係が悪化しがちです。重大な加害行為をすると、犯罪やハラスメント等として訴えられて、自分も満足を得られません。
そこで、感情が起きた瞬間、衝動的反応をしないで、自分の感情の背後にある
本音(評価基準)は何かを観察します。そして、その瞬間に、表出しようとしている反応(発言、行為、態度)が、自分か相手、他者を苦しめる結果になりそうな反応は「価値崩壊の反応」として抑制し、その瞬間、別の反応がないか検討し、自分および相手、他の人の長期の人生価値を実現すると思う反応、冷静で建設的な反応をします。価値実現の反応といいます。
このような反応は、神経生理学でいえば、衝動的な感情の回路を抑制して、長期の価値にかかわる理性的な神経回路(眼窩前頭皮質など)を活性化していると推測されます。
「本音」は、元来、自分独特の、自己中心の評価基準です。その瞬間、「自己中心的な見方」だと評価して、本音はありながらも、反応(行動局面)は、価値実現の反応を表出します。自分も相手も苦しめないような反応を選択します(注5)。
エゴイズムの無い心とは、後期西田哲学では、「至誠」といいます。最も深い立場の認知、行動の指針であり、「至誠」といいます。「主観的自我の絶対否定の立場」、自己の立場を全く捨てた立場から、見て、考え、行動するといいます(注4)。エゴイズムの全くない立場です。宗教以前では、やさしい解釈で、「至誠」の方向で、執着、嫌悪に囚われない心での行動を選択するように、毎日、時々刻々、自らトレーニングします。
はじめは、わかりにくいですが、感情が起きるたびに繰り返し、本音を観察するようにしていると、わかってきます。
自分をうつ病においこんでしまう陰性の感情は、その直前か同時に思考しており、その背後にある本音を観察することを習慣にしていると、やがて、家族との対面場面や職場での対人場面で、一瞬、自分を客観的にみることになり、いたずらに嘆くだけをせず、価値を想いだして、その実現の行動をするようになります。
「自分だけを大切に」するような反応をすると、相手からも嫌悪されて、関係が悪化します。自分も幸福感を得られません。
関係が悪化すると、意味、価値が喪失するのですから、家庭、職場での満足感を得られなくなり、悪化すると、うつ病にもなり得ます。
テキストには、フロイト、アドラーは、自分の学問の説を批判すると、破門されるようなエピソードが紹介されていますが、
SIMT(後期西田哲学)から見れば、そのような態度は、その主任研究者の自利、「エゴイズム」であるとして、自らは抑制するのです。社会全体の利益のために学問的な議論を許し、おかしいところは自らの説を修正し新説を受けいれて、社会全体のために、よりよいものを作り上げていくことが世界全体の
利益になるからです。他者が自分の意見を自由に言える組織、社会であるべきなのです。西田は、そういう態度を至誠だといいます。
日本の組織(宗教、学問、種々の団体)にも、意見の自由を束縛するトップ、幹部、多数派メンバーがいるかもしれませんが、そういう団体では、メンバーは忖度して批判もできなくなります。そういうところでは、学問、宗教、意見などの自由もなく、生きがい喪失、ハラスメントの被害、自殺に追い込まれることが起きているでしょう。団体全体が活力を失い、社会全体の発展を阻害してしまいます。
子どもの間にある「いじめ」や、運動部内のメンバーへの「いじめ」、指導監督者による人格を否定するような指導も、重大事態を招くエゴイズムですから、抑制することを教育しなければなりません。
ロゴセラピーもSIMTも、こういうことを目指すので、うつ病の予防、改善になり、自殺の防止になることが類似します。不安症も治療します。ロゴセラピーの著作では「神経症」と訳されていますが。
SIMTも、一つの歴史の浅い精神療法ですので、不十分なところがたくさんあるでしょう。不十分なところは、学問的に議論して、批判しあい、社会にとっていいものに変化発展させていってもらいたいです。
ロゴセラピーと後期西田哲学の具体的実践としてのSIMTは、生きる意味を妨害し、価値実現を妨害するような、自己中心的な見方、考え、行為を抑制しようという点でも類似しています。
自己中心的な考え、行動の抑制という点でも、フランクルの思想、哲学は、日本の著名な哲学者、西田幾多郎の後期の哲学に似ているのです。
【注】
(注1)NHKこころの時代 テキスト
『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版
(注2)大田健次郎『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
(注3)大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
(注4)後期西田哲学に該当する論文「ポイエシスとプラクシス」に、「至誠」が解説されている。
「至誠」とは、「主観的自我の絶対否定の立場」「物となって考え、物となって行う」という。
SIMTでは、注3の著書で、説明している。
西田哲学をやさしく学生、一般に教育して、日本の種々の問題の解決へのヒントにしてもらいたいが、忘れられようとしている。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
★西田哲学が先細り
(注5)価値実現の反応をこちらに図解しています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5662
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
〜それでも人生には意味がある
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Posted by
MF総研/大田
at 07:20
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孤独孤立自殺うつ病不安症
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