ポイエシスとプラクシスが同時
〜西田哲学の実践論=SIMTの実践論 [2025年10月11日(Sat)]
ポイエシスとプラクシスが同時
〜西田哲学の実践論=SIMTの実践論
古来、日本人が重んじた実践は、西田哲学が論理的に説明した。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3312
★ポイエシス即プラクシス
我々は、人生において、世界に向かって何かを表現する。物、芸術、労働による生産、消費(ものやサービス)、体験、態度などの表現。これが、ポイエシス。そして、深さが違うところの家族愛(夫婦、親子など)。
同時に、自己を作るのが「プラクシス」だという。自己をエゴイストなものではなくて、自利、我利のない人間に成長させていくこと。方針は「至誠」だという。
ポイエシスとプラクシスを同時に実践する。従来の心理療法(精神療法)は、ポイエシスし
ない時に、実践するだろうが、西田哲学(=マインドフルネス心理療法SIMT)では、ポイエシスとプラクシスが同時である。
ほかの「マインドフルネス」と比較すると西田哲学(=SIMT)の特徴がわかる。
初期仏教は、ポイエシスを重視しない。プラクシスが強調される。しかも、六道輪廻からの解脱である。職業を持たず、解脱に専念する。出家的である。
「ただ坐禅する」という坐禅は、ポイエシスはいわない。プラクシスは自己成長(我利我執の抑制など)も言わない。
禅には、悟り(見性ともいう)に導く実践があるが、「宗教」であり、「マインドフルネス」とは言えない。精神療法でもない。西田哲学でいう、自覚的直観に導くが、公案や坐禅で指導して、一般国民には、わかりにくい。心の病気のひとができるものではないだろう。がん病棟のようなケアにも向かないだろう。
大乗仏教は、在家仏教である。職業生活を営みながら(=ポイエシス)、六波羅蜜の実践を行うが、煩悩の抑制などの実践(=プラクシス)があるので、西田哲学と似ていることろがある。
第1世代のマインドフルネス(=無評価で観察の瞑想)は、ポイエシスがない、瞑想時のプラクシスだけである。しかも、「至誠」の実践のようには、深くない。職場のように評価だらけの現場でのポイエシスもプラクシスもない。
日本でも世界でも、ポイエシスの現場で、種々の問題が起きている。今後、必要なのは、ポイエシス即プラクシスではないだろうか。
うつ病、不安症、過食症、PTSDなどは、ポイエシスの現場を生き抜いていくことに支障を感じるものだが、対面時、仕事の現場で感情、本音(煩悩に類似)などを観察する実践をして、SIMTで完治する人もいる。第2世代マインドフルネスのひとつに位置づけられる。
がん患者さんや高齢者で介護していただく人は、フランクル(ロゴセラピー)もいうように、治療に専念する場合や、要介護状態にある人は、生産(職業)はもう「退職」の状態であれば、ポイエシスは、「生産」の局面ではなくて、支援者に向かう「態度」価値が重視されるだろう。
死の瞬間まで、支援してくださる人々に対して、真剣な闘病の態度をみせていただき、支援してくださる関係者および家族へ感謝の態度・言葉で逝かれたひとを幾人もみた。至誠の態度といえる。
ポイエシス即プラクシスは、最期の瞬間まで実践できる。
SIMTは、他の問題への応用と、SIMTのさらなる進化が行われることを期待したい。
SIMTでなくても
よい。ポイエシス即プラクシスの具体的実践方法の研究開発が可能であり、望まれる。
(注)SIMT=Self Insight Meditation Therapy(SIMT)。日本で開発された。自己洞察瞑想療法。第2世代マインドフルネス。第4世代認知行動療法。
【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5568
★自己洞察瞑想療法SIMTは第1世代マインドフルネスとは全く違う
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2345
★最も深い自己の自覚的直観(西田哲学による)
ここまで、種々の段階の自己と働きがある
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5572
【目次】自殺防止 2025年
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5564
【目次】被災地の心のケア
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Posted by
MF総研/大田
at 18:53
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自殺防止対策
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