(6)日本文化にあった「共生」の実践〜鈴木大拙 [2025年07月23日(Wed)]
(6)日本文化にあった「共生」の実践〜鈴木大拙いじめ、誹謗中傷、ハラスメント、自分の利益のためには、他者を自殺させることまでする、エゴイストの多い日本になりました。しかし、これに対抗する生き方が実際にそのように生きた文化が昔はありました。 寛容、共生、他者の人格人権の尊重、欲望・行動の自制などが実行される社会が大智、大悲の世界になります。 具体的には、どういうものでしょうか。鈴木大拙の「共生」の説明をみます。 次の記事で紹介しました。ずっと、後ろの「禅者の社会観」という見出しのところです。 「禅者」といいますが、昔の禅の人ということになります。昭和には「死んだ」のです。つまり、こういう実践は、令和の現代の禅にはないのです。「ただ坐禅する」ですから。鈴木のいう実践は禅の時ではなく、家族の場、仕事の現場、学問の現場における実践です。 (だから、聖徳太子も、瞑想時ではなく生活の場だといっています。) https://blog.canpan.info/jitou/archive/4902 ★日本にあった深い自己探求 大拙が昭和22年に書いた「自主的に考える」という文書で、7つからなります。 この記事では、2つまであげています。『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』には、すべて紹介しました。(p216−218) 図書館に行けば、鈴木大拙全集(岩波書店)第9巻でみることができます。 日本の昔にあった実践ですが、もはや、図書館の古書の文にあるのみです。 この実践は、どこでも行われていません。死んだのです。学校教育でも、宗教団体でも、教えていないでしょう。 中国の昔、法華経、華厳経などの文字の経典だけがあったが、実際にはどうするかわからなかったが、菩提達磨がインドから来て、実際が伝わったという伝説があります。 現代日本にも、図書館に、法華経、華厳経、聖徳太子の書、鈴木大拙、西田幾多郎の書籍はありますが、どこかの宗教者や仏教学者、一般国民が実際に生活実践しているわけではないのです。そういう状態を「死んだ」というのです。 復興できるのかどうか、全くわかりません。だから、大島仁氏が「日本文化は絶滅するのか」というのです。この生きた実践は難しいので教えるひともなく、私も、多分、そうなるような気がします。なぜなら・・・。 1)この意味での日本文化の保存、教育、広報に命(人生)をかける長老・専門家がいない 2)宗教者も学者もこれを否定したり、排除してきた、今なおそういう傾向の著作、テレビ放送が続いている。 3)こういう深い日本文化があったことをこれからの人生を選択する年代の若者(小中高大生)に教育されない(=教育できる教師、学者がいない)から、若者が知ることはない 【関連記事】 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5237 ★NHK テレビ こころの時代 で鈴木大拙を語る、岡本美穂子さん (続く) 【検討中の文献】『日本文化は絶滅するのか』大嶋仁、新潮新書、2025年5月 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5688 【目次】日本文化は絶滅するのか (続く) |
Posted by
MF総研/大田
at 17:44
| マインドフルネス心の世界遺産
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