その1〜私が「死にたくなるほど」「不幸」であること
[2025年06月14日(Sat)]
私が「死にたくなるほど」「不幸」であること
マインドフルネス心理療法、SIMT (11)
不幸は私の価値崩壊〜その1
ひとは、みな、自分を受け入れる場所を持ちます。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5667
★その3 私はこういう場所を持つ
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5669
★その4 私が幸福であること
多少の不満はどこでもあるものです。不愉快なことが起きる場であっても、 得るもの(収入、名誉、地位、生きがいを感じる、愛されていること、など)が大きいので、何とか生きて行って、それなりの幸福を感じます。 うつ病のような「自殺念慮」が重くない場合には、どの場所にいても不満、つらいことがあっても、どこか一つ、とても幸福な場を持つと、そこを生きがいある場所、価値として生きていけます。
第3章 不幸は私の価値崩壊
その1 死にたくなるほどつらい
しかし、「ひどく不幸だ」と感じているひとは、うつ病になり重い自殺念慮をもつようになると、脳の炎症が回復していないのでその内面のひどくつらい症状(特に、自殺念慮が深刻)をかかえたまま、自分の「家庭」と「職場」とを行き来します。従来楽しかった「趣味の場」に行っても、病気が治っていないと、どこにいても、「自殺念慮」の元になる炎症は治っていないのです。
「うつ病」の自殺念慮は、とても厳しいものです。
重いうつ病により「死にたい」というひとには、相談と経済福祉の支援対策につなぐだけでは、不十分なのです。
政治家も宗教者も学者も、職場の上司も、教師も、家族もそういうつらい病気もあることを理解していません。学校教育でも、社会教育でも不十分です。
宗教者も学者も、この問題のすぐそばで関連ある仕事であるのに、宗教的にも、心理学的・精神療法的にも治す方法を研究しようとしません。
【図 5670 どこへ行ってもつらい症状が治っていない】
どうして、こんなにつらいことになるのでしょうか。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5458
【連続記事】 メンタルクリニックが「治らない患者」であふれ返る深刻な理由
(続く)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5658
【目次】無評価で観察(第1世代マインドフルネス)と
無評価でない観察(第2世代マインドフルネス)
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Posted by
MF総研/大田
at 12:38
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自殺防止対策
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