西田哲学の実践化・救済される領域が広がるか [2025年03月23日(Sun)]
【全体展望】
どの領域にうつ病・自殺のリスクがあるか
〜 不安症、PTSDも 西田哲学の実践化・救済される領域が広がるかNHK Eテレビで、西田幾多郎を紹介しました。 再放送が29日にあるそうです。https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/K88R3KZ72L/ ◆NHK こころの時代 再放送の予定 前に述べたように、<インド>大乗仏教の真意が、<日本の>現代仏教では、ほとんどうかがうことはできません。 深く人間を探求して、西田幾多郎の西田哲学も埋もれたままです。 次の報道がありました。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450 ★西田哲学が先細り 西田哲学は、<インド>大乗仏教と同様に、世界観と深い自己の底を哲学的に述べようとしたものでした。ところが、西田哲学も現実に活用されないままに、忘れられようとして、もう、先細りだというのです。 <インド>大乗仏教の核心は、利他、自内證、人格成長の3つとされる。昭和の時代には、禅にはまだ、この3つが見られた。私もうつ病になった時、禅によって救済された。私の師がしていた行動が、まさに「利他」であったことになる。「利他」は、救済されるべき苦悩する人を現実に救済する「行為」が伴う。 西田哲学にも「実践論」がある。理論的には、西田が文書化していた。次の論文でまとめた。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3582 ★「後期西田哲学の実践論」 宗教と哲学研究会 宗教哲学論叢(第一輯) 抜刷 二〇一六年七月、P77−78) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329 ★「後期西田哲学の実践論」 西田幾多郎の孫(幾多郎の長女上田弥生さんの長男、元都留文科大学学長)の上田薫氏が 嘆いたように、現実には、西田哲学は活用されたことがない。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2367 ★西田哲学も現実に生かされていない 今回のテレビで、紹介された「底」。最初の論文『善の研究』では、十分解明されなかったものを、死ぬ間際の『場所的論理と宗教的世界観』で、ようやく記述できた。哲学的には「場所的論理」と「逆対応の論理」で、「自己」「世界」の「底」を記述した。 哲学者からは、高く評価されているが、他の人々にとっては、難解である。西田哲学の学者は、理解し賞賛しているが、難解なために、仏教学者では理解できないで否定されることが多い。 「底」は、大乗仏教や禅の研究者であった鈴木大拙が解明したが、これも否定されることがある。大拙の否定は、西田の否定でもある。大乗仏教や道元、親鸞にも、これがあったのだ。道元にあったことは、最近も明らかにした著作が発表された(注1)。 深い自己の「底」に基づく世界観、自己観は、現代の問題の救済の一つになるとは思うが、その精神療法化、実用化はこれからである。 「底」は「超個」であろうが、それは、西田が創作したのではなく、大乗仏教、道元、親鸞が体験的に知っていたもののはず。大乗仏教の人は、自己満足にとどまらないという。苦しむ他者がいる限り救済=利他の行為を続けるのだという。救済できないのは、自分が未熟だからと、さらに自己成長を継続する。大乗仏教の核心は、「底」の自内證、利他、自己成長だという(大竹晋氏)。こういう大乗仏教であるのに、どうして、これを捨てるのだろう。別の記事(ブログ5615)で仏教の学問を心配する。
★大乗仏教者の倫理 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5615 学問の方法にとまどい 放送をご覧になって、若い人たちが取り組んでいただきたい。 (注1)竹村牧男『道元の哲学』春秋社
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Posted by
MF総研/大田
at 14:52
| 孤独孤立自殺うつ病不安症
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