「円谷幸吉記念館」閉館へ [2006年07月11日(Tue)]
「円谷幸吉記念館」閉館へ
東京五輪(1964年)のマラソン銅メダリスト、円谷(つぶらや)幸吉選手(1940〜68) の生家にある福島県須賀川市の「円谷幸吉記念館」が、遺品を管理してきた兄弟の高齢化を理由に、 今秋にも閉館する。 県立須賀川高校卒業後、陸上自衛隊に入隊した円谷選手は、東京五輪では男子一万メートル競技で も6位に入賞。次のメキシコ五輪での活躍が期待されたが、腰や足などの故障が相次ぎ、メキシコ五 輪直前の68年1月、「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残し、自ら命 を絶った。 遺書には「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」ともつづっていたことから、遺族が6 9年8月、生家の一角に木造平屋建ての記念館を建設した。約12畳の館内には、東京五輪の「77 」番のゼッケンや銅メダル、遺書、友人からの手紙を大学ノートに書き写した「綴り帳」などの遺品 が飾られている。毎年、全国から陸上部の学生やファンら数百人が訪れる。 円谷選手は7人きょうだいの末っ子。記念館の管理をしてきた長男敏雄さんは80歳、手伝ってき た四男も70歳を超え、遺品の管理は困難になった。敏雄さんは「両親のそばにいたいという幸吉の 遺志は達成できたと思う。あとは応援してくれた地元のために役立ててほしい」と遺品の寄贈を決め た。(2006年7月10日13時55分 読売新聞) 私は、十年以上前から、うつ病、自殺問題に関心をもってきた。特に深く、自己と対決した「ここ ろ」の文学、文学者と自殺についても、関心を持ち、情報を集めてきた。ノーベル賞作家の川端康成 も自殺した。なぜ、自殺するのか、それを防止する智慧をひきだしたいからである。川端康成は、円 谷幸吉の、この遺書を絶賛していた。ごく、一部を引用する。
「円谷選手の遺書はその素直で単純な感謝の言葉によって、私の胸にしみた。」 (川端康成「一草一木」より) 「円谷幸吉記念館」が閉館になるのなら、その前に、この夏、訪問してみたくなった。高村光太郎 も「こころ」を描いた詩人だ。福島県なら、「智恵子抄」の高村智恵子の生家もある。両方、訪問し てみよう。 自分や他者を苦においこむエゴイズム、心の病気、自殺は、文学にも描かれる。NHKで、昨夜、女優の本上まなみさんが、宮沢賢治の「 貝の火」を自戒をこめて、読んでおられることを知った。そこで、私の一つの趣味、文学と心の病気、人の苦悩、自殺についても、十年前に考えたことがあるので、また、そういうことも、あらためて、少し考えてみたい。 また、「よまわり先生」水谷修氏は、心を病む子、自傷する子の支援には、仏教者に期待しておられる。私は、仏教者(宗教者)ではないが、仏教に似た、こころの実践が、アメリカでは、マインドフルネス・アクセプタンス心理療法として、私は、自己洞察瞑想療法として、心の病気を治すことに貢献できることを理解している。私自身は、宗教者ではないので、仏教の普及活動はしないが、日本の僧侶、信者が「仏教」で、心の病気の人、自殺しようとする人を支援できる可能性は大きいと思っている。、「よまわり先生」水谷修氏が期待しておられる。ぜひ、のりだしていただきたい。 【目次】円谷幸吉 円谷幸吉記念館閉館へ 円谷幸吉記念館閉館へ(2) 川端康成と円谷幸吉選手 悲痛、驚愕、円谷幸吉さんに新しい資料 |