フランクルもいう深い真正の宗教
〜なぜ日本の宗教者や学者が理解しないのか不思議 [2025年01月23日(Thu)]
組織のガバナンスが問題になる。
トップの独裁者、取り巻く幹部はイエスマン、こういう「自分さえよければ」というエゴイズム。あわれな子羊。
いつも持ちあがる、エゴイズム。若手が抑圧される。そんな組織は、やがて衰退するのは当然。
ビジネス、宗教、大学、研究室、・・・。
このブログでも多くを紹介してきた。
これが、若手の革新を抑圧、学問の発展も妨げられている。
うつ病が増える、治せる支援法の遅れ、自殺。
まさに、今、整理中のブログ記事に関連するテーマ。整理します。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5555
★日本中に蔓延する「専門家・長老・取り巻きのエゴイズム」
|
フランクルもいう深い真正の宗教
〜なぜ日本の宗教者や学者が理解しないのか不思議
日本には深い宗教的な苦悩救済の哲学があります。すべてのひとが根底に対象に絶対にならない働きを持つといいます。
道元禅師、良寛、盤珪、正三などです。
そして、西田幾多郎、鈴木大拙、井筒俊彦、秋月龍a、竹村牧男、などの諸氏がこれを説明しています。そして、多くの哲学者も認めています。
日本の宗教者が「超越」を言わないのが、不思議です。「超越」でないと「宗教」ではないのではありませんか。「宗教哲学」という「学問」はそう教えていませんか。坐禅は「マインドフルネス」と同じ程度に見えますし、葬儀は出家者でないひとでも行っていますし。がん患者の後悔することの一つに「宗教を学ばなかったこと」だそうです。死を意識するがん患者は、宗教を学びたがっているそうですが。
宗教者、宗教学者が超越を言わないのに、ビジネス(?)の人が言っておられるのを発見しました。やはり、日本ですね。深い超越を宗教者でないひとがいう日本の土壌。日本文化の特徴です。
そして、こういう深い超越をいうのは、宗教者や哲学、仏教の学者ばかりでなく、日本では、芸術家や小説家などにも多数います。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5558
◆深い人間哲学を探求した人びと
〜 マインドフルネス心の世界遺産
さらに、西洋の人にも多いのです。精神療法医にもいることは、大変に重要です。
ロゴセラピーのヴィクトール・フランクルのことがよく知られています。上の記事(ブログ5558)にも彼のことを紹介したのでした。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2892
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3194
★フランクルと西田哲学の類似性
ここで、精神的無意識と宗教的無意識についての言葉です。西田哲学でいえば、人はすべて自分の価値実行の際には、自己を意識しないという「叡智的自己」の「行為的直観」です。
そして、自己意識なくしても価値を実行できるのは、その自己の底に自己、価値を包んでいるもの(意識的自己を「超越」)があるからだといいます。
それは、もはや対象的な自己ではありません。その価値実現は自己の働きではなく根底の働きだと意識します。
対象的自己(=叡智的自己)ではないので、西田は、人格的自己といいます。働きは「自覚的直観」といいます。
陶芸家の河井寛次郎は、人間国宝にしたいという申し出があった時に、辞退しました。あのような陶器がすばらしいとしたら、私(河井)が作ったのでないからだという、まさにこのような意識です。
小説家、三浦綾子(『塩狩峠』『氷点』『泥流地帯』などで有名)は、小説家になる前、不治の病でしたが、日本のキリスト者によって救われました。病気が治ってから、すべての人の根底の「超越」をテーマにした小説を書きました。遠藤周作もそうです。
フランクルの別な言葉で確認します。
「ところが実存分析は、次の第三の発展段階において、人間の有する無意識の精神性の内部に無意識の宗教性のごときものを発見した。この宗教性とはーー多くの場合なお潜在的なものにとどまっているとはいえーー
人間に内在的に固有なものと思われる超越者への関係としての、神との無意識の連繋という意味のものである。したがって、
無意識の精神性の発見によってエス(無意識)の背後に自我(精神)が見出されたのであるが、今や無意識の宗教性の発見によって
内在的自我のさらに背後に超越的汝が見出されたわけである。つまり自我が「無意識でもあるもの」であることがわかり、
無意識が「精神的でもあるもの」であることがわかったうえに、さらに今度はこの精神的無意識が「超越的でもあるもの」として開示されたわけである。」(フランクル『識られざる神』佐野利勝・木村敏訳、みすず書房)
これによって、フランクルは、医師が行う宗教レベルでない「精神療法」と、宗教者が行う宗教的支援があるといっています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5527
【目次】精神療法と宗教の役割と境界
この超越が広くみられる日本ですから、私たちも、フランクルにならって、宗教以前の「精神療法」と、宗教レベルの自己存在
の否定、死の問題に苦しむ人(がん患者や不治の病に苦しむ人、生きる意味を失って苦しむ人々、など)の支援方法を研究、開発してほしいものです。私たち高齢者はできなかったのです。若い世代の人に託しましょう。
人口が減少していきます。自殺でうしなってはいけません。
また、上に立ち、弱い人、若い人を守るべき、政治家、宗教者、学者、ビジネス者などに、「自分の利益のみをはかる」もの、「自分されよければ」という
エゴイズムによって、若者、弱い人々が追い込まれています。子ども、若者の自殺も増加しています。各人が叡智的自己として、各人の生きがい価値を実現したいのです。対立ではなく、すべてが活かされる共生の世界です。各人の生きがいを妨げるエゴズムも、道元禅、西田哲学も批判しています。
こういうことは、「幸福とは何かの哲学」や倫理学などでも教えてくれています。だから、このブログでも幾人かのそういうテーマの哲学を見たのです。こういうすぐれた人間哲学も「教育」されるべきです。この点については、別にまとめます。
生きがい喪失による「ひきこもり」の人々のためにも、人間存在の価値や生きがいを教える精神療法や、深い宗教の開発の必要性を感じます。フランクルは、西洋の人々にも信頼されているでしょう。西洋のひとたちは、第1世代の限界を知りました。西洋のひとたちが、フランクルと西田哲学の類似性に気づいているはずです。第2世代もマインドフルネス心理療法が、また、アメリカから輸入されるのでしょうか。
すぐれた人間哲学である西田哲学が日本でも忘れられているのは、実に現在と未来の世界の損失であると思います。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
★西田哲学は先細り
がん患者さんの中には、宗教性のない自己洞察を必要とする人も、宗教レベルの自己洞察(超越を意識する)のマインドフルネスを必要とする人がおられるでしょう。闘病中のかたが、実践されました。著書(注1)で紹介しました。
コロナもやや下火ですから、感染しないように注意しながら、そういう実践の会を再開したいと思います。
宗教レベルでない実践の会は、「心の健康体操」(注2)といいまして、継続して開催していきます。
(注1)大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
(注2)埼玉県蓮田市の2つの会場で行っています。うつ病、認知症、生活不活発病、孤独感の予防です。
(編集中です)
この記事は、次の【問題点の展望・目次】の一環です。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5555
【目次】孤独・孤立対策・自殺防止対策・質の高い教育
〜 治療法・予防法の研究・開発・臨床・教育
|
|
|
Posted by
MF総研/大田
at 20:59
|
孤独孤立自殺うつ病不安症
|
この記事のURL