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(6)何もできなくてもすべてのひとに「存在価値」 [2025年01月04日(Sat)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5546
「孤独・孤立相談ダイヤル #9999」及び「チャット相談」「メール相談」が始まっています。 「死にたい」という気持ちには「抑うつ」「うつ病」の場合があります。相談なさってください。そこから、適切なところに「つないで」くださる場合もあります。まず、「相談」を。

どんなひとでも生きる価値がある
 どんなひとでも生きる意味がある
(6)何もできなくてもすべてのひとに「存在価値」

 以上が、人生において何かできること(価値、意味)を見つけて生きていくと、「幸福」だと感じます。「生きがい」を感じます。
 ところで、別な価値があります。創造、体験、態度の価値は、行動や態度が伴います。行動することで、価値を充足します。 これらを「当為価値」といいます。ほかに、「存在価値」があります。

 創造、体験、態度のすべて、そして、9つ(7つ)のカテゴリーのすべては、「当為価値」です。「自己」によって、自己の行動によって、作られるものです。だから、自己は無限の可能性を持つものです。それだけで、存在するだけで「価値」があります。
 当為価値は、「自己」の働き(作用)によって、作りだされたもの(対象)です。取り換え可能です。年代、場所などが変われば、別の価値に向けて行動すればいいのです。

 しかし、「自己」は、取り換え不能です。何百憶年つづくかしれない「人類」の歴史のなかで、この「自己」はたった1回きりです。取り換え不能、代替不能です。それほどに貴重な「存在」です。

 だから、苦悩する人に向けて、ロゴセラピーや西田哲学の精神療法化したものは、次のような(一例にすぎません)アドバイス、助言があるでしょう。

1)家族から愛される存在であること。
 うつ病や自殺を防止するために考慮すべき一つは、家族の「愛」や社会の「愛」です。仕事ができなくても、「生きていてくれる」だけでもいいと言ってくれる家族の「愛」です。「存在価値」を強く意識できる場合です。自分の存在を「価値」といってくれる家族がいること。
 仕事がうまくいかないとか、ハラスメントや犯罪の被害を受けて、うつが深刻になって、死にたくなっている場合の人には、家族の愛があることを思い起こしてもらいたいのです。死なないで、家族に相談して、再起を期してもらいたいのです。
 これは、家族でもできること。家族がいるのに、ハラスメントや犯罪被害で自殺する人がおられるが、その人は「家族」の愛が見えなくなっている。だから、「希死念慮」をもっていることを家族に告げてほしい。家族は、必死に「死なないで」と告げるはずです。

2)社会から愛される=社会の愛。社会から必要とされる存在であること。
 あなたを必要とするところが別なところにあるということ。あなたがしたいと思うことがきっとあること。それを見つけてほしいこと。

3)それでも、そうとは思えないという深刻な人には、宗教的なものから愛されている存在であること。
 自己を包み、自己を生かしているものがあること、宗教的です。1)2)でも説得できない時には、宗教的な「愛」があります。これは、このことをアドバイスできる宗教者やカウンセラーしかできません。(注1)

どんなひとでも生きる価値があります。

 どんなひとでも生きる意味があります。
    (注1) 深い宗教はわかりにくいですが、三浦綾子(北海道の小説家)は、不治の病といわれて病臥していた時に、キリスト教徒の男性に宗教的な対話で説得されて自死しなかった。それがよかった。何年か生きていくうちに治った。治らなくても、宗教的な「愛」に包まれて天寿をまっとうするひとがいるだろう。
     支援してくれる人が身近にいない場合、西田哲学の論理によって、自分で実践するとしたら、こうなるという方法を書いたのが、これである。
    https://blog.canpan.info/jitou/archive/4917
    ◆大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社

    マインドフルネス、SIMTは、理論(哲学、生理学など)と実践方法をできるだけ「言葉」で説明して、深く自己を探求することであるから。
【参考記事】

 存在価値については、以下の記事で述べています。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2676
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2677
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2678
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2679
 「3つの価値は、能動的であるが、これができない人にもなお存在価値がある。態度価値を遂行できない人でも家族から何もしなくていい、いるだけで価値があると愛される存在価値がある。さらに、家族から見放されているとか、家族がいないための、存在価値がないと思う人には、さらになお存在価値がある。死なないということは、何か人間を越えたもの(絶対者?)に、生きること、存在することを許され、愛され、生かしつづけるものがあることは確かである。」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2767
「フランクルの3つの価値、つまり、創造価値、体験価値、態度価値のど れにも入りそうもないが、現実には、深い意味で(創造という意味にはいりきらない)家族のために生きる人も多いだろう。実は 創造価値、体験価値、態度価値のほかに、すべての人がこれをもつだろう。セラピー(医療、心理療法)を超えたマインドフルネスでは、これ をも高く評価したい。セラピーではあまり問題にならないから、フランクルは、創造価値に含めて、別に立てなかったのだろう。」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2873
「夫婦、親子の 愛という存在価値は、創造価値、体験価値を遂行していくときにも、根底に存在しており、見守っている。愛という存在価値は特別の価値である。何かの事情で創造価値、体験価値を遂行できなくなってもなお私の存在を受け入れてくれる。」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4196
「愛されることによる重要感の充足は、自分の美点への賞賛というより、自分の存在への 祝福(存在そのものの肯定)としてなされます。自分という人間がいることはーーたとえ特 別な美点などなくともーーそれ自体として祝福されるべきことだと、他者からの愛は感じさせてくれるのです。」(青山拓央(2016)『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』太田出版、p120)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5548
どんなひとでも生きる価値がある
 どんなひとでも生きる意味がある
Posted by MF総研/大田 at 08:52 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL