(10)仏までは長遠の[人間完成・人格完成」への道 [2024年12月09日(Mon)]
【書籍紹介】深い禅に関係する昭和の時代の書籍
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』
〜解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
(10)仏までは長遠の「人間完成・人格完成」への道
盤珪の禅が現代に活用できるかもしれない。最近、再刊された本書でみていく。
『禅門の異流』秋月龍a、講談社学術文庫
秋月龍a、講談社学術文庫、2024年9月10日 (Pがそのページを示す)
どこにもとどまらず「人間完成・人格完成」
大乗仏教は、坐禅だけでもないし、悟りだけでもない。その程度であれば、庶民の苦悩の解決になにも貢献していない。
その程度であれば、大乗仏教が、説一切有部などの初期仏教(上座部)教団を「小乗」と批判的な意味をこめた言葉を使わないだろう。
大乗仏教が初期仏教教団と違う大きな点は、利他、自内證、人間完成であった。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3939
★現在の仏教に欠けているもの「人間完成」
上座部仏教は人間完成を目指さない
現代の日本の仏教は、3つが弱いというのが大竹氏の指摘である。現代日本の多くの精神社会問題には貢献できていないだろう。
盤珪の禅には、利他、自内證があることを見てきた。では、「人間完成」があるかという点である。
人間完成は、唯識では「修習、修道」にあたる。「悟る」(自内證)ことが、究極ではないし、利他もある。また、「悟り」の段階では、一部の煩悩が捨てられたにとどまるという。我執,法執が残る。これからも長い実践が残る。また、並行して利他の実践がある。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5502
★大乗仏教唯識による「修習位(修道)」
この点は、鈴木正三が明言している。道元が、自内證を得たひとであることは当然認めながらも、それが完成ではないと正三がいう。道元は悟ったからといっても完成ではない、道元にもさらに「人間完成」の段階があることを断言している。秋月氏が、次のように紹介している(p106)。
「一応正三は曹洞宗に属したかのようである。とは言っても、かれ(正三のこと)は必ずしも宗祖道元にさえ全面的な帰依をささげてはいない。次のような語がある。これはとうてい通例の曹洞宗門の僧侶の言葉ではありえない。
道元和尚などを、隙(ひま)の明いた人のようにこそ思わるらん。未だ仏境界にあらず、その自由なるものにあらず。」
最澄、空海も同様だという(P119)。大乗仏教から言えば、こうなのであろう。大乗仏教の究極は「仏」であるが、「仏」は4智を持っていて、衆生を救済することにおいては自由自在なはずである。そのような仏になるのは、この人生だけでできるものではないというのが大乗仏教である。うぬぼれる(それこそ煩悩である)ことなどできるはずがない。悟りさえあればいいというのではないことは、道元が中国の禅僧に厳しいことでわかるが、道元自身は心得ていたのである。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5504
★究極位―無住処涅槃
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5506
★大乗仏教唯識 四智
盤珪は、体験のあと、多くの禅僧を訪ねていっては、彼らもまだだ、という逸話を多数載せている。悟りの後も、さらに人格の向上があることを自覚していたためであろう。
本書からは、人間完成については盤珪の言葉を見つけにくいが、盤珪の悟後の人格高潔な様をみてとれるエピソードがいくつか紹介されている。(時間のある時に、追記したい)
こんな盤珪だったから、情報手段が現在ほどなかった江戸時代に、身分にかかわらず5万人以上という驚くほど数多くの人々が盤珪のもとをおとずれた。
「伝記によれば、手度の弟子四百余人、その法を嗣いで一寺の住職となって化をあげえた者十数人、弟子の礼をとった者、侯伯宰官から士女民隷に至るまで五万余人、・・・」(p43)
本書で紹介された、この4人は、坐禅とか悟りとかにとどまってはいなかった。「自内證」の悟りを得た後、そこにとどまらず、利他、人間完成へたゆまぬ生活をつづけた。この人たちの「禅」こそ、大乗仏教であったかもしれない。
現在の学問が教える禅と何と違うことであろうか。
仏教の学問が、江戸時代のひとにもおいついていない。学問の遅れである。精神療法の開発、カルト被害の防止、自殺防止という国民の福祉にかかわる。研究、教育の在り方が問われる。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5271
◆鈴木大拙〜日本禅宗史への視点ーー盤珪禅への敬慕
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4719
◆地方創生SDGs 4 質の高い教育をみんなに
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4894
◆同じく〜2022年
(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5493
【目次=書籍紹介】
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』
著者秋月龍a、解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
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Posted by
MF総研/大田
at 18:05
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さまざまなマインドフルネス
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