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(2)精神療法と宗教の役割と境界 (2)なぜうつ病が深い宗教で治るのか [2024年12月08日(Sun)]
医師による宗教への配慮・宗教者による精神療法への配慮

精神療法と宗教の役割と境界
 (2)なぜうつ病が深い宗教で治るのか

 ナチスの収容所に収容されたが、生き残り、ロゴセラピーを普及させた精神科医ヴィクトール・フランクル。 彼は、深い宗教は、聖職者が意図しなくても、「精神衛生上の効果、それどころか精神療法上の効果がある」、精神疾患が治ることがあるという。(『人間とは何か 実存的精神療法』ヴィクトール・フランクル、山田邦男監訳、春秋社、p386)

 その理由を次のように説明する。

 「その理由は、宗教が、人間に対して、他のどこにも見出せないような、比類のない庇護と支え、すなわち、超越や絶対的なものにおける庇護と支えを可能にするからである。」(『人間とは何か 実存的精神療法』ヴィクトール・フランクル、山田邦男監訳、春秋社、p386)

 もともと、すべての人間の根底に絶対を持つというのが、大乗仏教であり、道元もいい、西田哲学が論理的に説明した。
 つらいことが種々起きるのが人生であるが、自分だけで悩まずに、いつも自分の根底で支えてくれるものがあると信じ、自覚し、つらいことがあっても自分の使命を果たしていこうとするのである。すると、治る問題は治り、治らない障害は共生して生きていくのである。
 私の師も、30数年も前であり、うつ病の脳科学も進展していたわけでもなく、精神疾患の知識があったわけではなく、説法、会話には出てこなかった。しかし、深い根底を悟る方向への講話や実践方法を聴き、実践するうちに、私のうつ病は1年ほどで治った。フランクルのいうとおりだった。

 次のように、超越、絶対は多くのひとが教えている。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2438
ジョン・カバットジン

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3073
道元  「自己もと道中にあって」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2633
フランクル
絶対の自覚ない人の心理現象の領域を内在という。 しかし、内在の奥に絶対(超越)の働きがある(すべてのひとにはたらいているのだが、 一部のひとがこれを経験したり、自覚したりする)

 深い宗教はいずれもこの構造を持っており、これを基礎にした共通のひとつが考えられるが、フランクルは「一人類教」という。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2349
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2614
西田哲学

 日本の哲学者、文学者、芸術家は多い。一例はーー

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3831
遠藤周作

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4905
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4916
金子みすゞ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2565
東山魁夷

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3031
井筒俊彦

 深い宗教者は、フランクルがいうような深い根底をいうのである。「比類のない庇護と支え、すなわち、超越や絶対的なものにおける庇護と支え」。宗教者が、これを繰り返し説明するので、うつ病の患者でも、自分の問題を自分で苦しむことをやめて、絶対にまかせるような心理になって、苦悩の思考を渦まかせることをやめたので、うつ病が治ることがあるのである。

 こういうことが起きるのは、宗教者が説法や個人的な質疑応答などで、絶対にまかせるようなことをいうからである。絶対を言わない宗教者にいく患者にはそういうことは起こらないだろう。深い宗教でなければ、むしろ、そこへ通っても未来が見えず、絶望を深めて、うつ病が悪化するリスクがある。第1世代のマインドフルネスも、自傷や自殺念慮が深まるリスクがあると発表されたとおりである。

 深い宗教であれば、宗教者がうつ病を意図して指導しなくても、治ることが起きると、フランクルがいうのは、真に深い宗教、絶対、超越を説法する宗教である。その深い根底を言わない宗教?、たとえば「ただ坐禅」だけをいうのでは、これは起こらない。第1世代マインドフルネスと同じ程度であるから、うつ病患者がするのはリスクがある。

 大乗仏教の核心は次のように「利他」である。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5495
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5496
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5497
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5498

 利他のプロセスにおいて、悪をなさず、善を行うが、これが現代でいう陰性の感情を生む見方や執着の観察が含まれている。自分の精神疾患を悪化、維持させている心理に気づくであろう。
 これが、もともとの大乗仏教が信者の宗教レベルでない苦悩も救済ができるということではないか。現代も、これを仏教者が提供すれば、国民の苦悩を救済できるのであろう。大乗仏教が「宗教」であることの重要な意味なのであろう。

 宗教者だけではできないならば、心理職がいる。宗教レベルでない自己の観察で足りる。唯識で、煩悩といっている一部は、宗教レベルでないものが多いから、心理職も支援できる。

 医師の不足、偏在も深刻で、精神科医のいない地区もできる。うつ病は、薬では治らない患者や薬を服用し続ける人も多いので、精神療法の研究をすすめてほしい。そうでないと、個人の自由な活躍を抑制してしまい、自殺対策に限界がある。

◆「利他」とは反対の力あるものによるいじめ・ハラスメント

 「利他」と逆のことがされるので、苦しめられる弱い立場の人がうつ病に追い込まれている。

 長老、専門家、学者、経営者、管理職などのエゴイズムの抑制も、自殺対策に必要だが、これは実に難しい。大乗仏教がエゴイズムの抑制をいうのだが、仏教国、日本で実行されていないだろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4960
★専門家のエゴイズムー2022
  〜 宗教者、学者、種々の専門家


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5527
【目次】医師による宗教への配慮・宗教者による精神療法への配慮
Posted by MF総研/大田 at 17:04 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL