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精神療法と宗教の役割と境界 [2024年12月07日(Sat)]
【目次】医師による宗教への配慮・宗教者による精神療法への配慮

精神療法と宗教の役割と境界
 (1)宗教者が意図しなくても宗教で精神疾患が治る場合がある

 時々、「宗教」とは何かと行った。「坐禅」する行為さえすれば「宗教」なのか。苦悩の救済はないのかという疑念である。最近は、次の記事である。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5520
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5524

 宗教と宗教以前の境界は、「先細り」の西田哲学が論理的に説明してくれた。 それは、ロゴセラピーのヴィクトール・フランクルの哲学に似ていると言った。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450

フランクルについての連続記事
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2670

 「死」を意識する重病により、うつ病、自殺念慮のある患者が「医師」からも「宗教者」からも支援の対象の領域でないと 判断されてはたまらない。がん患者、難病患者のこころはいつまでも支援対象にならないようでは、 悲惨な状況が続いてしまう。学術会議や文科省の専門家会議などで議論してもらえることか。 無理ならば、未来の若い市民にゆだねたい。

精神療法と宗教の役割と境界

 「死」の不安・恐怖からのうつ病、自殺の支援は、宗教者がすべき領域なのか、医師が配慮すべき領域なのか。
 医療(精神療法)と宗教の境界について、フランクルはこう言っている。

 まず、両者は、違う領域を扱う。
 「精神療法の目標は心の治療である。これに対して、宗教の目標は魂の救済である。」 (『人間とは何か 実存的精神療法』ヴィクトール・フランクル、山田邦男監訳、春秋社、p385)

 宗教者(聖職者)は、病気を治すことは意図しない。しかし、意図しなくても、結果として「精神衛生上の効果」「精神療法上の効果がある」という。

 あとで見たいが、宗教は絶対、超越、「非二元論」の領域である。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5314
★非二元論のゆくえ

 フランクルはこういう。聖職者は病気が治らず死にゆくとも病気をなおさず、魂の救済を行う。

 「聖職者にとっては、いかなる精神衛生上の動機も、最初から、かつ根本的に問題にならないからである。しかし注目すべきことに、宗教がその本来の意図では、心の健康とか病気予防といったようなことに少しも気をもんだり心を砕いたりしていなくても、結果としてーーー決して意図したものではない!ーーー精神衛生上の効果、それどころか精神療法上の効果があるのである。」(同p386)

 ここでも述べたことがある。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2635
◆フランクル=精神衛生的観点から宗教による救いも必要

 私事であるが、これは真理である。私が30数年ほど前、うつ病になった時、禅を教える禅僧を訪れて猛烈な坐禅を始めた。師はうつ病を治すとは言わない。種々の問題をもったひとがきた。同じ坐禅、一つの座談会、ときに個別の質疑応答を通じて、私のうつ病は治った。わが師は、精神療法を提供したのではなく、公案によらず、坐禅と生活の場での工夫を通して、本道の「悟り」を得ることを共通の目標にしていたようである。うつ病でない人も多くて、数人、悟りを得たときいた。悟りを得なくても、それぞれの病気が治ったり、共生していく覚悟を得ていたようだ。

 これは、日本のキリスト教にも起きるようである。不治と思っていて死にたいと思っていた三浦綾子(小説家「狩勝峠」「泥流地帯」など)が、キリスト教で救済された。先月、NHK Eテレビで放映された人も、自殺念慮がキリスト教で救済された。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5049
★三浦綾子

 なぜ、こういう効果があるのだろうか。
 どういう宗教か。「ただ坐禅だけ」という宗教は? カルト的宗教は? 
 やはり違いがある。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5527
【目次】医師による宗教への配慮・宗教者による精神療法への配慮

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5544
(8)深い至誠の宗教を否定してはならない理由
  深い至誠の宗教は極限状況の人の癒し

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5541
(7)宗教的問いを患者が医師にする時

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5537
(6)宗教的問いをするのは医師に対してであることが多い

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5535
(5)宗教への扉を塞いではいけない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5533
(4)精神療法セッションと宗教の違い

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5532
(3)精神療法の過程で信仰を呼び起こす場合

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5528
(2)なぜうつ病が深い宗教で治るのか

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5527
(1)宗教者が意図しなくても宗教で精神疾患が治る場合がある
Posted by MF総研/大田 at 20:37 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL