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(5)盤珪の利他の方法(1) [2024年11月11日(Mon)]

【書籍紹介】深い禅に関係する昭和の時代の書籍
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』(16)
 〜解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
(5)盤珪の利他の方法(1)

 盤珪の禅が現代に活用できるかもしれない。最近、再刊された本書でみていく。

『禅門の異流』秋月龍a、講談社学術文庫
 秋月龍a、講談社学術文庫、2024年9月10日 (Pがそのページを示す)

盤珪について竹村牧男氏の紹介

 解説で竹村牧男氏はこういう。
 「すでに述べたように、盤珪はひとえに不生で一切が調うということを説き続けたのであった。龍aはそのさまざまな説法を 体系的に整理し、かつ詳しく解説している。 龍aの師、鈴木大拙が、日本の禅の三類型として、道元禅・白隠禅・盤珪禅を挙げていることを受けての事でもあるのであろう。」(p328)

 少し詳細に見ていこう。

盤珪の利他の方法(1)

 盤珪の利他Bはどうであったか。現代の指導法のうち、公案による方法は一般のひとができるものでない。ただ坐禅するだけというのも、「マインドフルネス」(第一世代)と同じ程度であり、参禅者の苦悩を解決できない。 当時もそうだった。盤珪の指導法は、異なっており、秋月氏が絶賛する。

1)日常語で質問せよ

 禅の指導法は、ただ坐禅するという方法(質疑応答などない)と公案による方法とがあった。質問をしても、「坐ればわかる」などと言って、止められることも多い。しかし、盤珪の指導法は違った。 「不生」でいればいいのだというのが盤珪であるが、それでもわかりにくいので、「自由な平話で」 質問しなさいというのであった。秋月氏は、次のように高く評価する。

 「どんなことでもかまわず、遠慮せずに、自由な口語で問うて、らちをあけなさい。らちさえあけば、心やすい口語ほど重宝なことではないか。
 これは盤珪禅の特色の一つであり、たいへんな卓見である。ここに盤珪の『かな法語』の、日本の語録としての真価がある。 またかれが公案を使いたがらなかったのも、一つにはそれが日本人自身の言葉でなくて、何となく靴を隔てて痒きをかく思いがするためでもあったろう。」(p58)

 「埒をあける」とは、「物事にきまりをつける。かたをつける」ことである。 疑問、わからないことを質問して、やさしく説明してもらって、修行の方向を納得する。
 その修行の大切なことは、悪をなさないことが含まれるが、「不生」でいることが、悪をなさないこととなる。対象的な思考などをめぐらせていると、対象的でない本性にめぐりあうことがないからである。
(参照 右矢印1 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5512 )

 こうした方法は、私(大田)が受けた禅指導もそうであった。坐禅のあと、必ず座談会があった。お茶を飲みながら自由に話す。質問は全員のいる座談会でしてもいいし、 個人的に別室で聞いてもらうこともできた(独参といったが、個別相談である)。
 現代、「マインドフルネス」があるが、これも、質疑は自由である。問いにたいする回答は、できる限り、言葉で、哲学的であったり、神経生理学であったり、質問者が理解できるような言葉で説明する。大切なのは、その本人の苦痛を解決するために実践方法を理解することだ。
 盤珪の指導法がそういう方法であった。

(続く)

(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5493
【目次=書籍紹介】
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』
 著者秋月龍a、解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
Posted by MF総研/大田 at 21:42 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL