(4)盤珪の悟道体験 [2024年11月10日(Sun)]
【書籍紹介】深い禅に関係する昭和の時代の書籍
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』
〜解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
(4)盤珪の悟道体験
盤珪の禅が現代に活用できるかもしれない。最近、再刊された本書でみていく。
『禅門の異流』秋月龍a、講談社学術文庫
秋月龍a、講談社学術文庫、2024年9月10日 (Pがそのページを示す)
盤珪の悟道体験
秋月氏は、まず、盤珪を紹介する。
盤珪は、秋月氏をして、今後、臨済宗は白隠禅でなく、盤珪禅を盛り立てていくように、と言わしめた。
当時の禅を盤珪が批判していたが、秋月氏も昭和時代の公案指導しかない臨済禅の限界を見ていた。
大乗仏教の核心は、@「自内證」、A「人間完成」、B「利他」であるが、まず、本書で「自内證」@を見る。
大乗仏教の、自内證はこうである。禅の「見性」とされる。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5501
詳細は、本書にあたっていただきたいが、盤珪の悟りは、公案によらない。儒学を勉強した時、『大学』を読んだ
時に、「大学の道は明徳を明らかにするにあり」という文があって、この「明徳」とは何かということが気にかかって、
儒者に聞いても教えてくれる儒者がいなかった。仏教の禅、念仏、密教の僧に聞いたがわかるものがおらず、禅の教えにはいった。
赤穂の禅寺で、出家し、数年、各地の禅僧について指導を受けたが、らちがあかず、赤穂に戻り、草庵にはいり、猛烈な坐禅に取り組んだ。やがて、病気になった。以下、「悟り」の体験の瞬間のことを、秋月氏の文を見よう。
「とうとう病気になってしまって、食もすすまず、身も心も日をおって憔悴し、ほとんど死にひんするという状態になった。
もう医者の手も及ばない、気息えんえんとして、いまにも命が絶えるというところまできた。
そのとき、ふっと悟りが開けた。ある朝、縁に出てうがいをするに当たって、微風が梅の花の香りをほのかに送ってきたのが
縁になって、豁然(かつねん)として多年の疑団が氷解した。これ以後、かれはもう「明徳」については何事も語ろうとしない。」
(p25)
「これが盤珪の悟経験である。一切事は「不生」でととのう、それでもうちゃんと解決がついている。「不生」というのは、「諸法空相、
不生不滅」と『般若心経』で、しょっちゅう読んでいる。生ぜず滅せず、あの「不生」であろう。(全く同じか違うかは、今は問題にしない。)
盤珪はいう、「一切事は不生でととのうものを・・・・・。いままではただこれだけのことをよう知らずに、さてさてむだ骨を折ったことかなと思って、
やっと従前の非を知ってござるわいの。」(p29)
これが、盤珪の自内證@の体験である。それまでの修行があって、自己のない、対象もない無の状況にはいった。うがいをしようとしていた時だ。そして、梅の香りで悟った。
盤珪は、白隠の「無字」のような公案で悟ったのではない。そして、他の禅僧たちの指導法では悟りを得られなかったので、
彼の独自の指導法を開発した。彼の指導法は、大乗仏教「唯識」の説明の多い指導(利他)方法に似ている。内容は、布施、持戒、忍辱の3波羅蜜に類似する。
現代の一般在家人には、公案参究より、わかりやすいだろう。こういうところが、秋月氏が現代の臨済禅は盤珪禅によるべきだというのがわかるだろう。
(続く)
(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5493
【目次=書籍紹介】
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』
著者秋月龍a、解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
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Posted by
MF総研/大田
at 19:49
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さまざまなマインドフルネス
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