(3)4人の禅僧の生きた時代 [2024年11月09日(Sat)]
【書籍紹介】深い禅に関係する昭和の時代の書籍
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』
〜解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
(3)4人の禅僧の生きた時代
大乗仏教の核心は、@「自内證」、A「人間完成」、B「利他」であるが、現代の仏教は、これらに弱いという。
自内證の体験@で知った人間の根源、 なぜ、人々が苦悩する(現代的に言えば苦悩してうつ病になり違法薬物依存になり、暴力、カルトに向かい、自殺まで起きるのか)のか根本理由がわかる。それがわかる人(禅僧だけではない、あらゆる姿をしている、医師、商人、農業、遊女、など経典は描く)が、何もしないはずがない。紹介している書籍の悟り@を得た4人の禅僧(曹洞宗と臨済宗であった)はその後何をしたか(AB)理解するために、大乗仏教の「唯識」の教えを見た。
これと比較参照しながら、本書が「大乗仏教」であるかどうか確認したい。
『禅門の異流』秋月龍a、講談社学術文庫
秋月龍a、講談社学術文庫、2024年9月10日
(Pがそのページを示す)
4人の禅僧の生きた時代
本書は、次の順に4人の禅僧をとりあげている。生没年は次のとおりである。
一休は、室町時代の人で、他の3人は江戸時代である。
盤珪永琢 1622年〜1693年 (臨済宗)
鈴木正三 1579年〜1655年 (曹洞宗)
良寛 1758年〜1831年 (曹洞宗)
一休宗純 1394年〜1481年 (臨済宗)
禅はただ坐禅するだけではなくて、個性的で、豊かである。大乗仏教の核心は、利他、自内證、人間完成というが、この4人はそれを満たしているというわけであるが、
この4人でもかなり違った様相を帯びていて、その表現も行動も多様である。今後の禅もまた、3核心はそなえつつ、これらとは違う表現や行動がありえるのであろう。
実際、秋月氏は、平成4年、筑摩書房から再発刊された時の「あとがき」で次のようにいう。
「時あたかも、今年は、本書で私が巻頭に取り上げた盤珪永琢禅師の三百遠忌の年に当たる。
私は、今後の日本臨済宗は、これまでの白隠禅師中心に偏せず、大いに盤珪禅をこそ挙揚すべきであると信じているだけに、嬉しさひとしおの思いである。」(p324)
現代の臨済禅は、白隠の公案指導のみがみられるようだが、家庭や職場を持つ、一般人が実践するのは難しく、公案で探求して、利他に活用できるひとはほとんどいないだろう。
実際、秋月氏は、上のように、盤珪にみられる新しい平易な指導法が開発されることを期待していたのである。
唯識、禅を現代人が実践できるように工夫された方法は、第2世代のマインドフルネスとして、現代に貢献できる可能性が高い。現代の医師、看護師、教師、農業、芸術の人、ビジネスの人などが、研究開発すれば、指導する方法や言葉が違ってきてもいいのである。
在家仏教である、大乗仏教であるから、家庭、職業そのままが人間完成、利他であるから、自内證を得たひとの、その後の活躍の場も多様である。
「マインドフルネス心の世界遺産」と認定した人びとの中に、かなりいる。
たとえば、能の世阿弥、茶道の利休、俳諧の芭蕉、陶芸の河井寛次郎、詩人金子みすゞ、教育の片岡仁、女性解放運動の平塚らいてうなど、よく知られている。
また、自内證は言わなくても、苦悩する他者の支援のために至誠で動いた多くの人も大乗仏教、禅の精神に生きた人びとである。キリスト教系のひとにも多い。
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https://blog.canpan.info/jitou/archive/5493
【目次=書籍紹介】
『禅門の異流 盤珪・正三・良寛・一休』
著者秋月龍a、解説 竹村牧男(東洋大学名誉教授)
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Posted by
MF総研/大田
at 20:45
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さまざまなマインドフルネス
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