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(11)大乗仏教の核心〜「唯識」で見る [2024年11月08日(Fri)]

大乗仏教の核心〜「唯識」で見る
(11)「四智」〜そのうち仏になる時に得るさらに2つの智慧

 大乗仏教の核心は、@「自内證」、A「人間完成」、B「利他」であるという。 修行していくと、無分別、悟りの体験@が起きる。自内證である。

「四智」〜そのうち仏になる時に得るさらに2つの智慧

 自内證の時に、無分別の体験をして、2つの智慧を得て、さらに、悟後の修行をして「仏」になると、さらに、2つの智慧を得るという。「四智」という。4人の禅僧は、二智は得たはずである。こういう。見性、見道しないひとは、この智慧が生まれない。唯識を文字で理解しただけでは、二智も四智も得られない。「四智」の内容を見ておく。

 竹村牧男氏の(『知の体系』佼成出版社)でみていく。(Pがそのページを示す)

 究竟位の仏は、四智が開けるが、「その中、平等性智と妙観察智は、見道のときに発生します。」(p215)
 さらに、仏の位では、4つの智慧である。あと2つの智は大円鏡智、成所作智である。

◆ 大円鏡智

 大きな円い鏡のような智慧ということである。鏡の喩えは、人の根源の象徴として使うことがあった。

 「それは、宇宙の森羅万象をすべてそこに映し出しているような智といえましょう。」( 『知の体系』p176)

 「鏡は、ものを即座に、ありのままに、映します。しかもそれ自身は、汚れたり清らかになったりせず、何ら変わりません。」

◆ 成所作智

 「所作を成ずる智というもので、その所作とは、作すべき所ということ、作すべき所とは、その人が修行を始める一番最初に誓った願の内容を意味します。その人が、その人の本願として誓ったことです。」 ( 『知の体系』p177)

 「それはふつうは、人びとを苦しみから解放することです。衆生無辺誓願度です。さらに他者の救いにかんして、特別にこのことを実現しようと自らに誓った願があるかもしれません。」

 領域としては、難病、障害や差別で苦しむひとを救いたいという願い、詩歌や芸術で実現したいという願いがあるだろう。

 「このことを実現するために、この成所作智は、人びとの感覚に対して、あるものを映し出したりするはたらきをするものです。」(p177)

 「仏の姿を見せるとか、浄土の様子を見せるとか、様々な感覚へのはたらきかけを通じて、人びとに憧憬と出離への思いを起こさせ、尊崇と敬虔の念を起こさせるものです。これが成所作智です。」(p178)

 盤珪や良寛は、もう、こういう有様に近いように見えるが、みなさんはどう思われるであろうか。唯識では、仏の位は、途方もない年月のすえ(時間)になるというが、唯識の言葉すべても、仮設だという。

 竹村氏はこういう。

 「縁起、因果関係が仮説であるならば、時間を特質とする修行の道すじも、仮設のはずです。 肝心なのは、即今・此処・自己の「あるもの」(禅的にいうなら「父母未生以前本来面目」)です。 まずはそれをつかむことなしには、いつまでたっても、転識得智はありえないでしょう。」(p218)

 以上のような「唯識」は、竹村牧男氏が現代の精神医学に活用できるはずだという。 (右矢印1 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5494 )

 今、日本には、種々の精神社会問題が噴出している。大乗仏教の哲学、禅の哲学、西田哲学などを活用する研究をして、山積する問題の解決対策に活かすべきだと思う。従来の壁をとりはらってほしい。

(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5495
【目次】大乗仏教の核心〜「唯識」で見る

Posted by MF総研/大田 at 11:33 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL