• もっと見る
«(9)大乗仏教の核心〜「唯識」で見る | Main | (11)大乗仏教の核心〜「唯識」で見る»
(10)大乗仏教の核心〜「唯識」で見る [2024年11月07日(Thu)]

大乗仏教の核心〜「唯識」で見る
(10)「四智」〜そのうち見道で得る2つの智慧

 大乗仏教の核心は、@「自内證」、A「人間完成」、B「利他」であるが、現代の仏教は、これらに弱いという。 B「利他」とは、他者のために働くことであるが、大乗仏教唯識では、具体的には、六波羅蜜のうちの、3つ、 布施、持戒、忍辱であるという。
 さらに、精進、禅定と智慧を含めて実践していくと、無分別、悟りの体験@が起きる。

 自内證の時に、無分別の体験をして、2つの智慧を得て、さらに、悟後の修行をして「仏」になると、さらに、2つの智慧を得るという。「四智」という。4人の禅僧は、二智は得たはずである。こういう。見性、見道しない「ひとは、この智慧が生まれない。「四智」の内容を見ておく。

 竹村牧男氏の(『知の体系』佼成出版社)でみていく。(Pがそのページを示す)

「四智」〜そのうち見道で得る2つの智慧

 究竟位の仏は、四智が開けるが、「その中、平等性智と妙観察智は、見道のときに発生します。」(p215)

 後で見る、4人の禅僧もこれを得て、人びとに救済の行為、説法の行為をしたであろう。

 ここに、見道、つまり、通達位(禅では見性ともいう)について述べた。 (右矢印1 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5501

 この時に開ける(体験で確証)2つの智の内容は次の通りである。

◆ 平等性智

 「第7末那識が転ずると、平等性智となる。平等性すなわち真如を証する智で、自他悉く平等であることを体するのである。」(竹村牧男『唯識の構造』春秋社、p145)

 「その平等性とは、自他平等性、自己と他者とが、本性、本質を同じくする、その本性のことです。」( 『知の体系』p176)
 「末那識は、我執の根本であり、エゴイズムの根源でした。それはまた、自他の差別の根本でもあります。それが、修行していくことによって、開かれて、自他平等性にめざめるのです。」( p176)

 「自己なきときは、すべてが自己です。しかしとりわけ、苦しんでいる他者が自己の胸に響きます。そこで平等性智が開けると、おのずから他者への利益の心がわき起こります。そのように、平等性智は、大悲の根源のような智慧です。」(p176)

 国、人種、性、宗教、障害などの違いに関係なく、すべての人間の平等であうることを証する智慧である。

◆ 妙観察智

 「妙なる観察の智慧ということです。」(『知の体系』p177)
 「我執や法執によって偏向したり歪んだりしていた認識が、自我本位をすっかり離れた立場から、正しくありのままに世界を知るあり方に変わったところです。これは、分別的な智慧で、主に後得智にかかわるとみてよいでしょう。」
 「客観的に、あくまでも公平無私に、世界の構造を分析していくもので、一つ一つのもの(事象)について、全体の中の位置を見極めるものといえましょう。」

 「第六意識が転ずると、妙観察智となる。あらゆる事物の意義を洞見する智慧といえようか。後得智の正体であり、説法するのもこの智慧である。(竹村牧男『唯識の構造』春秋社、p145)

 悟り(見道)を得たひとは、この2つの智恵を用いて、人びとを救済しながら、並行して、人間完成の「修道」を続けていく「菩薩」である。組織、共同体の統一見解(対象的な論理の依存は「法執」)などに依存せず、組織などを超えた人間の真相にもとづき独自に直接他者の利他に働く。4人の禅僧を見ると、独自の方法で救済、説法を行っている。

 この2つの智慧を持たないと、一段と深い問題に苦悩する他者の救済(利他)にのりだすことをためらいがちである。

 さらに、修道の修行をして「仏」になると、もう2つの智慧が生まれる。

(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5495
【目次】大乗仏教の核心〜「唯識」で見る

Posted by MF総研/大田 at 20:32 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL