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(6)大乗仏教の核心〜「唯識」で見る [2024年11月02日(Sat)]

大乗仏教の核心〜「唯識」で見る
(6)通達位(見道)〜自内證

 大乗仏教の核心は、@「自内證」、A「人間完成」、B「利他」であるが、現代の仏教は、これらに弱いという。 B「利他」とは、他者のために働くことであるが、大乗仏教唯識では、具体的には、六波羅蜜のうちの、3つ、 布施、持戒、忍辱であるという。
 さらに、精進、禅定と智慧を含めて実践していくと、無分別、悟りの体験が起きる。

 竹村牧男氏の(『知の体系』佼成出版社)でみていく。(Pがそのページを示す)

通達位(見道)〜自内證

 修行を続けていくと、無分別の体験が起こります。しかし、1年で体験するひと、30年かかる ひともいます。真剣なつもりなのに、体験できない人もいます。 見道は、日本の禅では、「見性」ともいいます。なお、大乗仏教の経典(法華経など)では「無生法忍」ということが多いです。

 竹村牧男氏の説明を見る。

 「見道ともいわれる通達位は、加行位の唯識観が完成して、無分別智が発せられて、真如を証するところでした。」(p209)

 「これは、まったく自内證の世界で、自ら証するしかどうしようもありません。」(p210)

 「そこで見られた世界は、唯仏与仏、乃能究尽で、凡夫には確かには知られないのですが、あえていえば、『般若心経』にもいう、不生不滅・不垢不浄・不増不減というものでしょう。」(p205)

 「 見道には、真見道と相見道とがあり、無分別智と後得智に対応しています。」(p211)
 究竟位の仏は、四智が開けるが、「その中、平等性智と妙観察智は、見道のときに発生します。」(p215)

 この2つの智の内容は、別に示した。
右矢印1 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5505


 「禅でいえば、見性したところ、これからさらに、より長遠の修行がある」(p211)

 この見道は、理解しがたいので、否定する学者も多い。だが、西田幾多郎、井筒俊彦を初め哲学者は多くが肯定する。自己を超えたものであるからこそ、宗教的なことである。

 「自内證は、本書の4人を初め、昭和の時代まで、多くの禅僧も体験し、肯定している。このあとの長い修行があり、禅では「悟後の修行」という。 その段階を唯識では「修習位」というが大竹晋氏が「人間完成」という段階である。

【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3481
★見道(見性)という体験が「ある」(少数説)、「ない」(多数説)という学問的な論争がなされてきた。ないというのは、「利他」も不要、自内證もしない、人間完成もしない。ただ坐禅さえすればいいということになるのか、それでは、在家の苦悩が救済されない、それが大乗仏教かと昭和の時代に、議論を呼んだ。現在の書籍をみると、現在でもなお、ある、ない、の2つの説がみられる。メディアでも学校教育でも、少数説をきく機会は極めて少ないだろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3060
★4種菩薩
  自内證を得たひとは、もう仏道から離れることはない「不退転菩薩」

(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5495
【目次】大乗仏教の核心〜「唯識」で見る

Posted by MF総研/大田 at 16:06 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL