(4)利他の第2「持戒波羅蜜」〜大乗仏教の核心〜「唯識」で見る [2024年10月30日(Wed)]
大乗仏教の核心〜「唯識」で見る
(4)利他〜持戒波羅蜜
◆ 大乗仏教の「利他」とは布施、持戒、忍辱
大乗仏教の核心は、@「自内證」、A「人間完成」、B「利他」であるが、現代の仏教は、これらに弱いという。 まず、B「利他」とは、他者のために働くことであるが、大乗仏教唯識では、具体的には、六波羅蜜のうちの、3つ、 布施、持戒、忍辱であるという。
竹村牧男氏の(『知の体系』佼成出版社)でみていく。(Pがそのページを示す)
第2 持戒波羅蜜
大乗仏教徒が実践すべきことの第二は持戒である。大乗仏教の核心の「利他」を構成する第2である。
竹村牧男氏の『知の体系』 の説明をみる。(p200)
持戒は、「戒律を守ること」である。3つある。「善を行い、悪を離れ、そして他者の利益のために働く」こと、この3つである。
これを三聚戒という。
• 摂律儀戒(悪を離れ)
• 摂善法戒(善を行う)
• 摂衆生戒(饒益有情戒)(他者の利益のために働く)
「私の思いますに、自らの菩薩としての誓願、本願をいかに実現するか、この方向に向くことが大乗の戒だといえると思います。そして、自分・他人の区別にとらわれずに、ただ他者のためにはたらく。それしか持戒はないのだとさえ思われます。何か慎ましい戒を守ったから、義とせられるというものではありません。義とせられるべき自我をますますかついでいくようでは、仏道からいよいよ遠ざかっていくことになるでしょう。要は、持戒そのものは目的なのではなく、いわば手段であることを、見極めておく必要があると思います。」(P201)
善悪、他者の利益のために働くのだから、何が悪か善かを評価しなければならない(注1)。善、悪とは何かを学習して、悪をなさないように、善を行うようにしていくのが大乗仏教である。
次が「善」「悪」の評価基準である。現在の法律よりも厳しい。
「善とは、「二世(過去―現在、現在―未来)にわたって自他を順益する」ものであり、一方、
悪とは、「二世にわたって自他を違損する」ものである。ちなみに、無記とは善でも悪でもないものである。・・・
これは要は、善は楽果をもたらすものをいい、悪は苦果をもたらすものをいうということである。」
(竹村牧男『唯識の構造』春秋社、p114)
悪を抑制し、善を行うことが持戒である。悪は、自己と他者を苦しめることである。ハラスメント、エゴイズムの行為をしないことが
含まれる。だから、現代日本の社会では、大乗仏教の核心になることが一向に行われていないことがわかる。
悪とは何か、善とは何かを理解し、悪を抑制し、善を実践しなければならない。そのために、生活や利他の行為の時に、悪を起こす煩悩を観察して、抑制することを実行しなければならない。こういう煩悩は指導者の指導を受けないと、自分で気づきにくいし、気づいても抑制が難しい。それを実行しなければならない(注2)。
大乗仏教は、悪の心、善の心はどういうものかを実際に観察しながら洞察(注3)して、悪を抑制し、善をすすんで行い、他者の利益になるようなことを行為するのである。
これも、現代日本の仏教が弱いと批判されている。禅宗ならば、静かな場所での坐禅だけではないのだ、対人場面での悪を抑制し、善を実行するのだ。
「悪」の判断評価は、上記の宗教的な意味であり、現代の法律の「悪」という基準よりも厳しい。例えば、組織内のメンバーに、思想や見解を押し付け、異論をとなえる人を排除したり、メンバーの学問的研究の自由を束縛するのも、大乗仏教的には「悪」である。人々の苦悩は広く深いものがあり、その解決を妨害するからである。「利他」の違反である。現在でもなお、宗教界、学問の世界でも、長老、指導者による「悪」が行われていることになるであろう。こういうところも、現代仏教も仏教学、マインドフルネス学も大乗仏教の核心が実行されていないところがある(参照:大竹晋『大乗非仏説を越えて』)。
後で見るのだが、江戸時代、および、以前の4人の禅僧には、現代の仏教やマインドフルネスから失われた核心が含まれていたのである。現代のひとは、この点で後退しているのである。
(注1) 人びとの苦悩は広く深く、無評価で観察する「マインドフルネス」(第1世代)では足りない。実際の生活では、善悪の評価判断(第2世代マインドフルネス)をしないと、自分の苦悩の解決も、他者の苦悩の救済ができない。
(注2) 第1世代のマインドフルネスは、苦の解決方法、たとえば、うつ病の治療には、あまり効果がないことが確認された。
それを超えて「善悪」を評価する観察法としてのマインドフルネス(第2世代マインドフルネス)は、唯識を参照して開発できるだろう。
竹村牧男氏は、それを期待していた。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5494
「様々な心的障害の症例に対して も、その分析と治癒に極めて有効なものを持っているであろう。」
(注3)それが禅定波羅蜜である。現代の「マインドフルネス」(第1世代)は、禅定に類似するが、静かな場所での「感覚」のみを観察して、「善」「悪」の心理を観察して、悪を発動すべきでないというようなトレーニングが含まれていない。
うつ病、PTSD、不安症などの重い精神疾患の改善のための精神療法には、竹村牧男氏が期待されるように、関係者は「唯識」の活用をすべきである。
(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5495
【目次】大乗仏教の核心〜「唯識」で見る
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Posted by
MF総研/大田
at 08:19
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さまざまなマインドフルネス
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