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【目次】大乗仏教の核心〜「唯識」で見る [2024年10月25日(Fri)]

大乗仏教の核心〜「唯識」で見る
 〜(参考)竹村牧男(東洋大学名誉教授)
   『知の体系』佼成出版社
   『『成唯識論』を読む』春秋社

 『禅門の異流〜盤珪・正三・良寛・一休』が最近、再刊された。昭和の時代にこの著書の原型が発行された。江戸時代、および以前の4人、盤珪・正三・良寛・一休という禅僧を秋月龍aが紹介したのである。
 現代日本の仏教は、大乗仏教であるというが、大乗仏教の3つの核心が抜け落ちているという批判がある。 上記の4人も、当時の禅仏教を激しく批判していた。

 その批判は、現代の禅にも言えるのか。むしろ、江戸時代、および以前であったが、むしろそういう禅こそが現代でも貢献できるのか、 学問的には、大きな問題であり、現代の若い人々にも教育する価値があるのではないか。「マインドフルネス」が勃興したのだが、禅から見れば、初歩の初歩の段階であるから。

 大竹晋氏は、現代の仏教は、元来の大乗仏教の本道からそれていることを学問的に論証した。

 「大乗仏教とは、福徳を積むことによって現在世において人としての完成に達してゆく道であり、 さらには、未来世において人を超えたブッダへと無限に向上していく道なのである。」 」(『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会,2018,p135)

 次の記事にも同じことが言われている。

 「「徳を積む」ことによって、大乗仏教の修行者は人としての完成に達し、さらに、その 人がそこにいること自体が自然に周りの人々を人としての完成へと向かわせるような、 そのような人になってゆくのである。」(『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会,2018,p126)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3939

 「福徳とは、施、戒、忍辱であり、利他である。」(p135)

 そして、上記を含んで、各種の大乗経典があるが、それらが真実であることは、体験で知ることができる。禅でいう「悟り」である。坐禅がそのまま悟りであるというようなことではなくて、対象的自我の実体のないこと、自己や世界の真相についての経典が真実であることを証明する体験である。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3934
「大乗仏教が仏説であることは、推理によって論証されるべきことではなく、大乗経に もとづいて修行した者たちの悟りの体験によって自内証("個人的に確証")されるべき ことなのである。悟りをもたらす以上、大乗経はいつわりではない。」(p103)

 大乗仏教の核心は、人間完成、利他、自内證であるというが、これらが現代日本の仏教からは抜け落ちていることが多い。利他、人間完成が実践されていないというのである。  4人の禅僧は大乗仏教の核心、自内證、人間完成、利他を主張したのか、これから見ていくが、大乗仏教の利他とは六波羅蜜の3つであるが、現代仏教では弱いという。それがどういうものかについては、わかりやすく、竹村牧男氏の著書で簡単みていく。

 大乗仏教では 施、戒、忍辱などの利他、人間完成はどういうものであったのか、唯識の修行論を竹村牧男氏の著書でみていく。



(この記事は次の連続記事の一部です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5495
【目次】大乗仏教の核心〜「唯識」で見る

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5513
(14)「悪見」の詳細、5種

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5512
(13)6つの煩悩
「貪」「瞋」「癡」「慢」「疑」「悪見」の簡単な説明

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5511
(12)唯識による6つの「識」
 五感と意識
 悪とは何か

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5506
(11)「四智」〜そのうち仏になる時に得るさらに2つの智慧
 大円鏡智と成所作智

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5505
(10)四智〜平等性智と妙観察智
 悟り、見道の時に、得られる2つの智慧。無分別智。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5504
(9)究竟位-無住処涅槃
 「仏」の位。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5503
(8)究竟位-無住処涅槃 を見る前」に

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5502
(7)修習位(修道位)
 大乗仏教は在家仏教である。僧侶のものではない。見道したあとも、利他行をしながら、さらに内面の心の成長をはかる長い長い生活になる。「人間完成」Aの段階である。禅では「悟後の修行」といっているものに当たるだろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5501
(6)「通達位」。「見道」ともいう。「自内證」@である。禅でいう見性である。対象的ではない無分別智が開ける体験。これがゴールではない。利他と人間完成の生活が続く。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5499
(5)大乗仏教の核心のうち「利他」B、そのうち「忍辱」の内容
 つらいことが起きても耐える。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5498
(4)大乗仏教の核心のうち「利他」、そのうち「持戒」の内容
 「悪」をしない、「善」を行う、他者の利益のために行動する。つまり、すべてのひとのすべての生活。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5497
(3)大乗仏教の核心のうち「利他」、そのうち「布施」の内容
  在家生活のすべてが布施である。六波羅蜜を実践するならば。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5496
(2)大乗仏教の修行は5段階であり、第1段階を資糧位といい、その基本は六波羅蜜である。  そのうちの3つが、布施、持戒、忍辱である。これを実行することが、大乗仏教の核心の「利他」である。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5495
(1)大乗仏教にあって、現代仏教が失ったことのうち「利他」。
 これは、六波羅蜜の布施、持戒、忍辱である。これが、現代仏教に弱いのだ。
 こういうことだから、苦悩するひとは、仏教には向かわず、精神科医か心理カウンセラーかカルト宗教にいくのか。自殺されるのか。どうなのか。


この連続記事は、次の記事の続編ともいえる
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3930
【連続記事】【書籍紹介】『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会

こういう深い宗教・仏教が教育されない問題
=苦悩するひとが自殺していく、カルト宗教の被害にあう

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5338
【連続記事目次】孤独孤立対策にうつ病の視点をー2024年

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4714
地方創生SDGs ターゲット3.4 自殺の防止

マインドフルネス総合研究所のHP ターゲット3.4 精神療法の遅れ
http://mindfulness.jp/sdgs/20-02-target3-4.pdf

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4719
地方創生SDGs ゴール4質の高い教育をみんなに
Posted by MF総研/大田 at 23:10 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL