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 〜 その6)奥の深い瞑想 [2024年10月03日(Thu)]

12)薬物療法以外の治療法
 〜 その6)奥の深い瞑想

 西城氏の続きである。
     B)『精神科医にご用心』西城有朋、PHP文庫
 西城有朋氏は「瞑想は大きな効果が期待できる」という一節で、 ブームのマインドフルネスは、治療法にならないこと、伝統の禅も抗うつ効果がないと述べた。
 この節の最後にこういう。

 「瞑想は大変すばらしいものだが、奥も深く(注)、向く向かないも習得に関係する。単純に日常のメンタル改善に活かしたいという目的で、スキルを学ぶだけでいいという多くの体験者には、 呼吸法で落ち着いたり、癒しの場の雰囲気に癒されたりしても、本来の目的である「ストレスフリーの覚醒状態」であるゾーンに近い精神状態にはいつまでも到達できず、迷走している方も多い。」(p258)

 「マインドフルネスのいっている内容は正しく、センスのある人はすぐにそのすばらしさ(注)を理解し実践できるが、不健康な人ほど心の奥にロックがかかっていて、いつまでも楽になれない挫折者が少なくない。
 そういう方は、CBTで手を動かしながら俯瞰するコツを習得してから、再度、あきらめずに瞑想に挑戦すると効果を実感できるようになる。」(p253)

 この瞑想は、もはや、無評価で観察の瞑想ではないのだろう。それは、再発予防法にしかならないと西城氏が紹介したから。うつ病のひとは、無評価で観察の瞑想マインドフルネスは、しないほうがいいと思う。治すためには、無評価ではいけない。治すための瞑想とは方針も方法も違っており、混乱する。宗教者が指導する「坐禅」でも、うつ病は治せないのと同様である。

 以上が、西城氏が「奥も深い」という「瞑想・禅」についての記述であり、深いものの詳細は述べていない。
 精神療法を、アメリカからの紹介を待つばかりでなく(そんなことでは、また10年以上先になる)、日本に自己自身の観察手法があるのだから(注)、日本人が、現代人の精神的な問題の解決方法として創始してほしい。
 奥深い瞑想も奥深い禅も、「静かな場所で行う」だけではない。「無評価」でもない。 アメリカでも、西城氏が指摘されたように、うつ病の治療法にさえもならない。まして、PTSD、不安症などの治療法にはならない。それで、静かな場面での、無評価での瞑想は「マインドフルネス」は第1世代と呼ぶ。
 第一世代のマインドフルネスは「うつ病」の治療法にはならない。まして、倫理的な問題が指摘されている。現実生活の場面で用いるのは無責任な態度を助長するリスクがある。
 対人場面、無評価でない、そういう自己観察法が、現代人向けの「精神療法」として再構成されれば、従来の治療法で満足できないひとが「挑戦すると効果を実感できるようになる」だろう。(従来の、「禅」の指導法のままでは、精神療法にならない。実際、禅僧は支援活動をしていない。)

 「精神療法への期待」として、西城氏の著書で見たが、次に、和田秀樹氏の著書である。
    (注)日本の「禅」は、奥が深い。西田幾多郎、鈴木大拙、秋月龍a、井筒俊彦などが解明したが、 最近、入手しやすい文庫として、日本の奥の深い禅を知ることができる秋月氏の本が文庫として再出版された。すぐれた内容の書籍は色あせない。

    ☆ 秋月龍a『禅門の偉流れ 盤珪・正三・良寛・一休』講談社学術文庫、2024年9月。(解説、竹村牧男)
     秋月氏は、鈴木大拙の弟子で、秋月氏の弟子が竹村氏である。秋月氏から、日本の深い瞑想である禅を極めた4人が紹介されている。封建時代の禅でありながら、現代の禅(実践も学問も)が失っているもの(だから、うつ病の治療法にもならない)がこの4人の言葉からもわかる。これからの若い世代が日本にあった奥深い瞑想=禅を活かしていただきたい。本書のことは別の記事で紹介したい。

【連続記事】メンタルクリニックが「治らない患者」であふれ返る深刻な理由
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5458
Posted by MF総研/大田 at 11:41 | 孤独孤立自殺うつ病不安症 | この記事のURL