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(2)西田哲学が教える人間哲学はフランクルのロゴセラピーに類似 [2024年06月20日(Thu)]

西田哲学が教える人間哲学はフランクルのロゴセラピーに類似
 〜 西田哲学が「先細り」(2)

 西田哲学が先細り、というニュースが走った。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15957450.html
(朝日新聞ニュース)

 西田哲学は難しいところがあります。ロゴセラピーのフランクルも難しいところがあります。そのすばらしさを理解せず矮小化した解釈をして否定することをして、大学で学生に教える学者が時々います。専門でない領域の学者からです。しかし、学生は知りませんから、信じてしまうでしょう。西田幾多郎のほか、鈴木大拙も矮小化して否定されることが起きています。道元、西田、鈴木はつまらないことをした人だと、誤解してしまいます。

 たとえば、ロゴセラピーのフランクルで救われるひとがいるでしょう。ロゴセラピーと西田哲学は類似する人間の構造、深い「自己の構造」を言っています。

 西田哲学を否定することは、フランクルのロゴセラピーの否定にもなるでしょう。ロゴセラピーは、精神療法です。残念ながら、西田哲学の精神療法化はすすんでいません。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2851
★フランクル、ジョン・カバットジン

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3194
★フランクルのいう宗教的無意識

 フランクルも、西田哲学、鈴木哲学がいう絶対無に該当することをいうのでしょう。 すべての人間にある深い宗教的根底を言います。

 それなのに、第一世代「マインドフルネス」の「無評価で観察する瞑想」と同じ程度のことを主張したのが道元である、というのが長く主張されてきました。「ただ坐禅することが尊い」と主張したのが道元であり、「利他」のような「目的」を持つなと言った、「悟り」などは妄想だ、というような主張があります。つまり、深い道元の「矮小化」です。
 道元は確かに、坐禅を重視しています。なぜなら、当時、職業の自由はありませんでした。 しかし、当時の職業の自由、出家の自由がなかった時代の発言であることを無視してはいけません。
 当時、平安末期から鎌倉時代の初期のころです。 出家する自由はありませんでした。庶民が農業などに従事しないと、つまり、公家や武士のための税(産物を収めるか労働奉仕)が減少するからです。僧になるためには、領主(公家、武士)の許可が必要でした。少数しか許可されませんでした。
 そんな時代、家族を捨てて、農作業や公家武士への奉公を免除された僧侶(道元の集団)がすべきことは、道元は「坐禅」だと強く主張したのです。道元は、寺の外に出て救済活動など認めません。外出制限は厳しくて回数が制限されていて、親の臨終の時に会いにいけなかった僧侶がいます。
 寺ですることは坐禅でした。しかし、道元は、我利我執を捨てるという内面の実践、悟りで知る自己の根源を体験すべきことも強く主張しています。はるか昔、西田幾多郎、鈴木大拙があきらかにしたのですが、ごく最近、竹村牧男氏が再確認しました(『道元の哲学』)。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5015
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5027
『道元の哲学』春秋社、2022年6月

 そして、つい今月、良寛も深い道元を称賛していたことを明らかにしました。
(『良寛 その仏道』青土社、竹村牧男、2024年6月)

 道元のいう根底とフランクルがいう「宗教的無意識」が同じかどうか研究するのは、研究者の仕事です。しかし、精神科医は、ロゴセラピーの精神療法で苦しむ人を「治療」することが仕事です。精神科医は「患者」「クライアント」と直接会うのが仕事です。研究者ならば、文字の文献だけに取り組み、論文を書くことでも仕事になります。
 「マインドフルネス」も、クライアントに会わず、文献だけに取り組む研究者もいます。
 ただし、うつ病のクライアントを「治療」するためには、その支援者は、うつ病の患者に直接会い実践方法(瞑想の時、家族の面前、職場で仕事の真っ最中)を教示する時間をとる必要があります。
 深い根源を体験するように支援する人(禅僧)は、弟子に直接あって指導します(集団で坐禅と個人面談=「独参」といいます)。長い年月の指導により、悟りの体験をする人もいます。

 うつ病を「治す」マインドフルネス心理療法(SIMT)と似ています。
 SIMTの場合、集団での瞑想と集団での認知・観察・行動の教学、そして、それを一対一で実施する個人指導です。そして、面談以外でも実践すべき宿題を課し、観察実践の記録表を提出してもらいます。助言します。多くの時間をさきます。ただ、支援期間は、原則として1年くらいです。うつ病や不安症などは、1年くらいで「治癒」します。

 西田幾多郎も長年月、禅僧の指導により坐禅の修業をしました。西田哲学はその実践に基づいています。西田は、道元にも深い根源をみています。西田、道元の深い根源の共通であることを竹村牧男氏があきらかにしました。
 西田哲学は、すべての人間の共通の根底をあきらかにしたのですが、それを教える学者も少なくて、専門外(西田哲学が専門でない)の学者から 理解されず否定される書物が出版されたり、結果、西田哲学のすばらしさが学生、社会人に知られることなく、日本人からも捨てられていくような状況になっていることを京都大学が憂えているのです。

 私見ですが、西田哲学が論理的に明らかにした、深い誠実な「宗教とは何か」ということを国民に教育することはとても大切だと思います。なぜなら、宗教レベルの苦悩が多いからです。がん患者の自殺が多いのです。「自己の死」とは、「死後があるのか」の宗教哲学的苦悩です。カルト宗教の被害者も「死後、地獄に落ちる」と脅迫されることと関係します。親からさえ虐待された人やハラスメントや事件の被害者などが自分を否定された苦悩など、根源の人間としての尊厳は傷ついていないことからの精神的救済など、深い自己の哲学にかかわる問題で国民が苦しんでいます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2760
【2013年】ここで述べたように、自己とは何か、について、ACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)も説明して、これを体験させようとしている。しかし、西田哲学はもっと深い自己の哲学をいっている。仏教やマインドフルネスの学問に西田哲学が生かされるはずだが・・・。

(続く)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
【目次】西田哲学が先細り

Posted by MF総研/大田 at 20:16 | 孤独孤立自殺うつ病不安症 | この記事のURL