日本における「マインドフルネス」周辺の学者、医師などにある構造的な問題の不可視化(3) [2023年12月29日(Fri)]
第1世代のマインドフルネスには、種々の批判がある。それを素早く検討している。
アメリカではもう、第2世代マインドフルネスの萌芽があるというのは朗報である。第1世代の批判ばかりで、代替策がないのなら、「絶望」であるが、第1世代の問題を乗り越えるものが幸いにもあるという。この「批判」のあとに、それをみたいと思っている(下記のブログ5295)。
そして、日本には、第2世代のマインドフルネスとなるべき哲学がある。あとは、具体的な「実践方法」を開発することが望まれる。「希望」がある。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5295
★マインドフルネスは第2世代にはいった
〜 第4世代の認知行動療法へ
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2023年、
日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
第1世代マインドフルネスに向けられた批判
〜 主にMBSR、MBCTの弊害
2) 組織構造的、社会的問題の不可視化
〜日本における「マインドフルネス」周辺の学者、医師などにある構造的な問題の不可視化(3)
次の論文で指摘された「マインドフルネス」に対する批判について紹介するとともに、私見を述べている。
(B) 池埜聡・内田範子「第2世代マインドフルネス」の出現と今後の展望ー社会正義の価値に資する「関係性」への視座を踏まえてー、Human Welfare, 12:87-102,2020年 (これは、上記雑誌、1月号で、林紀行氏が注9)で紹介している。(p15) )
学問的に、また医学的に、検討すべきはずの社会的問題が無視、傍観、見て見ぬふりされている懸念のあるところが気になっている。その続きである。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1812
★無視・傍観・軽視・放置・見放される病
もう、アメリカでは、第1世代のマインドフルネスを超えた第2世代のマインドフルネスが現れているというのに、日本で遅れている。
深い問題を見て見ぬふりのせいか。なぜ、日本の学問はそうなるのか。学問の場に、構造的な問題があるのか。
山積する構造的な精神社会問題を解決すべきであるが、それに向けての突破口を探る。
ジョン・カバットジン氏がMBSRは、東洋の深い実践(マインドフルネス)の「扉」にすぎないというのだから、日本人が「扉」のうちや「全体性」を活用することに取り組めないのか。
精神疾患、自殺対策、自己の哲学、「死が近い」という苦悩やカルトの被害など宗教的なレベルの問題(ジョン・カバットジン氏が”全体性“という深いマインドフルネス)に、第2世代マインドフルネスが貢献できそうな気がするので真剣に検討すべきである。
マインドフルネスは「宗教を排除」したものという表現について検討すべきである。カルトによる被害が問題になっている。被害を出さないためにも「マインドフルネス」は宗教を「排除」したものという認識を再検討すべき。宗教問題で苦悩する事件が起きていて、誠実な宗教までも「排除」があってはならないと思う。宗教を知らずに、排除の言葉を使うならば反省すべきである。
(続く:スピリチュアル・バイパッシングの危険性)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5168
★【連続記事目次】孤独・孤立の対策&
不登校・ひきこもり・自殺念慮対策(SDGs3.4)
自殺防止対策にも、孤独孤立対策にも。
◆2023年、
日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5296
【目次】第1世代のマインドフルネスに対する批判
〜 問題を克服するために第2世代マインドフルネスへ
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Posted by
MF総研/大田
at 17:17
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さまざまなマインドフルネス
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