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「マインドフルネス」(第1世代)は組織構造的、社会的問題を見えにくくする(3)〜 私の意見 [2023年12月23日(Sat)]
「マインドフルネス」(第1世代)は、社会的問題、構造的問題を見て見ぬふりする傾向を助長するという批判にさらされて、もっと社会貢献できる「第2世代マインドフルネス」に向かっている。
西田幾多郎が、ただ坐禅する(人々の苦をみない、社会構造の問題を言わない)のを、「閑人の閑事業」と言ったが。あれから80年。

2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
第1世代マインドフルネスに向けられた批判
 〜 主にMBSR、MBCTの弊害

「マインドフルネス」(第1世代)は組織構造的、社会的問題を見えにくくする(2)

 次の論文で指摘された「マインドフルネス」に対する批判について紹介するとともに、私見を述べている。
    (B) 池埜聡・内田範子「第2世代マインドフルネス」の出現と今後の展望ー社会正義の価値に資する「関係性」への視座を踏まえてー、Human Welfare, 12:87-102,2020年 (これは、上記雑誌、1月号で、林紀行氏が注9)で紹介している。(p15) )
 3つの批判があるという。1)2)3)

1)倫理性のあいまいさ 
    ☆池埜内田論文(ブログ5298)
    ☆大田の意見(ブログ5299)および(ブログ5300) ダイハツ事件に関連して(ブログ5301)
2) 組織構造的、社会的問題の不可視化
    この問題は、2つに分けられる。企業と社会全般。

    A) 企業マインドフルネス 
      ☆池埜内田論文(ブログ5302)
      ☆大田の意見〜教員の精神疾患による離職が過去最高というのも教員の責任だけでない(ブログ5303)
      ☆大田の意見(もう少し。後で述べたい)
    B) 企業マインドフルネスにとどまらない
      ☆池埜内田論文(ブログ5304)〜1、2、3、4〜この記事はここ。

      「マインドフルネス」が、特権や偏在するパワーの存在、さらに格差、偏見、あるいは差別といった未解決の問題に対して見て見ぬふりをする社会構造を強化しているという批判です。

      これについて大田の意見=右矢印1(ブログ5305))

3)スピリチュアル・バイパッシングの危険性

2) 組織構造的、社会的問題の不可視化 
 社会全般に差別、無視、傍観を助長するおそれ

 池埜内田論文は、「マインドフルネス」(第1世代)には、マインドフルネスを教える人、教えられる人すべてに社会問題を見て見ぬふりの傾向を助長するおそれがあると批判しています。原文には番号が付されていませんが、3つの段落に分かれているので、便宜上、1)〜4)の番号を付します。

1)   「企業にとどまらず、マインドフルネスはアメリカ社会に根深い差別構造をも助長しかねない点が指摘されている。
 マインドフルネスの浸透は、白人系へテロセクシャルというマジョリティの不可視化された特権や偏在するパワーの存在、さらに格差、偏見、あるいは差別といった未解決の問題に対して見て見ぬふりをする社会構造を強化している、という批判の声である(Magee,2016;Sherrell & Simmer-Brown,2017)。(p91)

 「ヘテロセクシャル」については、ここに、説明があります。

https://jobrainbow.jp/magazine/heterosexual
「「当たり前」とされがちな異性愛、もといヘテロセクシュアル。ですが、性はグラデーションなのに「異性が好き!」と言っても、「それは結局どういうこと?」となってしまいかねません。それに、ヘテロセクシュアルでない人がたくさんいることは昨今の芸能界やYouTubeを見るだけでもよく分かります。」

 性は多様なのに、「マジョリティ」多数派に「見えにくくされた」特権や偏在するパワーがあるのを、マインドフルネスは、そういうのは良くない、不平等だなどの評価をしないで耐えよといっているようにみえる。そうして、性に関する格差、偏見、差別というような未解決の問題があっても、マインドフルネスは「見て見ぬふり」をする社会構造を強化しているという批判です。
 マジョリティは、苦しむひとをみても、問題を「見て見ぬふり」をするし、マイナリティの人には、嫌だ、つらい、などの評価をせずに耐えればいいのだと思わせるという社会の不合理を見えにくくする、そういうところが第1世代のマインドフルネスにはあるという批判です。

2)「マインドフルネスの起点ともいうべきIMS、Spirit Rockは、東南アジアに根ざす仏教瞑想をアメリカ社会に生きる人々の癒しや心の解放のために世俗化し、リトリート形式によるプログラムを開発、推進していった。しかし、そのまなざしは、当初はあくまでも個人に向けられたものであった。そして、白人系の個人主義、普遍主義という文化・価値観に合致した方法を発信してきたと言える(Wilson,2014)。IMS設立者の一人であるGoldsteinは、「発足から今日までIMSコミュニティが白人中心であったことを問題視することはなかった」と述べ、「多様性に応答するためにはIMSの組織文化の改編が必要である」との見解を示している(Gleig,2019:166)。」(p91)

 「サイレント・リトリート」とは、日常から離れ、1日から数ケ月単位で瞑想を中心に生活を営むプログラムを意味する」(p99)
 アメリカでは、白人系の個人主義、普遍主義という文化・価値観に合致した方法を発信してきたと言えるという。
 「マインドフルネス」の恩恵を受けるものは、日本では、「白人」ではなく、エリート層でしょう。「マインドフルネス」だけで収入を得られるようなものではないので、別に安定した職、収入を持つ人(大学に職を得ている学者も)が、隙間時間に、推進しているでしょう。受ける人は、精神疾患など持たない人でしょう。一部、うつ病の人が職場復帰プログラムで受けることがあるが、寛解になった人たちです。企業に勤めて休職が認められている人たちが多いでしょう。うつ病が重い人たちや退職した治らない人たち、ひきこもりの人たち、さらに、不安症、PTSDの人たちは恩恵を受けないでしょう。この対象外の人たちは、「見て見ぬふり」されているように見えます。リトリートには対象外として排除されて全く縁がないでしょう。

3) 「IMS、Spirit Rockから医療化、ブランド化、商品化に至ったマインドフルネスは、マイノリティを遠ざけてきた。マインドフルネスはトップ企業やエリート集団の価値体系に沿うように変容を重ね、ネオ・コロニアリズムともいえる白人系マジョリティにとって都合のいい言説に置き換えられていった(Gleig,2019)。統計的にもマインドフルネス実践者の80%近くを白人系が占める現状を示す(Morone et al.,2017)。」(p91)

 「ネオ・コロニアリズム」は、ここに説明があります。

https://www.y-history.net/appendix/wh0901-054_0.html
「新植民地主義とは、第二次世界大戦後に多くの植民地が独立を達成するという情勢に応じて、旧植民地支配国側に起こってきた新しい考え方で、発展途上国に対して従来の直接的な支配にではなく、政治的には独立を認めながら経済的な支援や軍事同盟などを通じて関係を維持し、実質的な支配を続けようとする思想である。」

 日本では、職業的に困っていない「エリート層」が「マインドフルネス」を提供して、受けているでしょう。多数のつらいひとたちは「見て見ぬふり」されているでしょう。

4) 「マインドフルネスのプラクティス中、差別による苦悩を訴えるマイノリティ参加者に対して、多くの白人系指導者が「マインドフルになってすべてをあるがままに受け入れなさい」といった示唆を与えることが少なくない(Treleaven,2018)。マインドフルネスが白人系に偏って普及し、問題を個人化することによって、そのブームがマイノリティの直面する社会的排除や差別構造の不可視化を助長しているという視点は、第2世代マインドフルネスの発現に大きく影響することになる。」(p91)

 組織の問題が社会の排除、差別などの構造的な問題によって被害を受けてつらい人が、マインドフルネスのセッションに参加した時の心得が「受け入れなさい」と、問題を個人化してしまい、構造的問題は「見て見ぬふり」がそのままになるという批判です。

 企業以外にも社会問題の解決が見て見ぬふりされる傾向を助長するおそれがあるのでしょう。 いじめやハラスメント行為を見た人が「良くない」と評価せずに、見て見ぬふりを助長するとか、 虐待、性暴力を受けても被害者が耐えることを助長するようなことを強化するおそれをいうのでしょう。

【MBCTの問題】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5287

 ここに述べたように、MBCTでは、対人場面でも、「賛成も反対もせず、好き嫌いもせず、自分の番になったら何を言うかも考えないで、ただ聞く」という。

【考えていただきたい】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4345
★欲求、欲望も意識作用。他者を害する「悪」ではないかの「評価」判断。自己を観察することは、仏教では2000年、試行錯誤を繰りかえした。深いものの、無知、不知により善悪の評価もを間違って、枠外の社会問題の救済解決を妨害して、結果的に倫理的な悪になることもある。やさしい多数説は倫理的に危ういことが起きやすい。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3686
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★ひとはみな自分の「もの」に執着する傾向がある。倫理的にふるまう学者ばかりではない。

(続く)

◆2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5296
【目次】第1世代のマインドフルネスに対する批判
   〜 問題を克服するために第2世代マインドフルネスへ


Posted by MF総研/大田 at 19:19 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL