「マインドフルネス」(第1世代)には倫理的な歯止めがない(1) [2023年12月18日(Mon)]
2023年、
日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
第1世代マインドフルネスに向けられた批判
〜 主にMBSR、MBCTの弊害
「マインドフルネス」(第1世代)には倫理的な歯止めがない(1)
第1世代のマインドフルネスは、欧米では批判にさらされている。
主に次の文献で、「無評価で観察の瞑想」のマインドフルネス(=第1世代のマインドフルネス)への批判を見ていく。皮肉なことに「良くないところがある」と「評価」されたのである。
(A)
(雑誌『精神科治療学』2023年1月号、星和書店、
特集 マインドフルネス再考 〜様々な対象、領域での応用)
(B)
池埜聡・内田範子「第2世代マインドフルネス」の出現と今後の展望ー社会正義の価値に資する「関係性」への視座を踏まえてー、Human Welfare,
12:87-102,2020年
(これは、上記雑誌、1月号で、林紀行氏が注9)で紹介している。(p15)
)
無評価で観察する瞑想を用いる「マインドフルネス」(第1世代、MBSR,MBCT、SIYに代表される)が世界中でブームになったが、それだけに、効果があるのかどうか多くの試験が実施された。そして、批判も起こった。
欧米で起こっていた批判は、文献(B)で紹介している。批判は3つに分類できる。
1) 倫理性のあいまいさ
2) 組織構造的、社会的問題の不可視化
3)スピリチュアル・バイパッシングの危険性
一つずつ見ていく。
倫理性のあいまいさ
「倫理はマインドフルネスのありかたを問う根本的な問題として2010年以降に顕在化してきた。」(文献B、p90、以下、この記事は、文献B)
マインドフルネスは、仏教の「八正道」のうち、7番目の「正念」のみを「選り好み」した結果、生まれたものという見解である。(大谷、2018)(p90)
八正道は、8種の実践徳目であるが、戒・定・慧の3つにまとめられることもある。ともに、実践は幅広いものである。
「八正道は3つの支則、すなわち倫理的側面である「戒」(正語・正業・正命)、洞察による智慧に当たる「慧」(正見、正思惟)、そして平静さを表す「定」(正精進・正念・正定)に分類することができ、3つを合わせて「三学」と呼ばれる。」(p90)
大谷彰氏(2018)による批判がある。
「八正道のどれか一つが欠けると「三学」のバランスが崩れ、もはや機能しない。これこそが、マインドフルネスが ”ディバンドリング”(選り好み)されたことへの懸念である。」(p90)
そして、軍事利用される恐れが指摘される。
「軍隊のトレーニングにまでマインドフルネスの適用範囲が広がり、その適用における倫理的枠組みが問われている(Brazier,2018)。」(p90)
「軍隊における敵への射撃効率を高めるためにマインドフルネスが用いられるのは、倫理的な見地から疑問が呈される(Cayoun,2017)。」
仏教の「正念」は、殺すな、うそをつくな、不倫するな、などの戒律を守ることのうえで実践する「八正道」のなかの「正念」である。それなのに、倫理的な配慮をするようにとの条件もつけず、八正道の中から、一つだけを取り出し、しかも本来の「正念」のうちのごく一部分だけにしたものが「第1世代マインドフルネス」だという批判である。これでは、教育者も教えられるものも、倫理的な問題を引き起こす可能性があるというのだ。
実際、教育する者の良心を疑うようなことが日本でも起きていた。この第1の問題について、次に私の懸念を述べる。
【考えていただきたい】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4345
★欲求、欲望も意識作用。他者を害する「悪」ではないかの「評価」判断。自己を観察することは、仏教では2000年、試行錯誤を繰りかえした。深いものの、無知、不知により善悪の評価もを間違って、枠外の社会問題の救済解決を妨害して、結果的に倫理的な悪になることもある。やさしい多数説は倫理的に危ういことが起きやすい。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4452
★軍事利用や企業(のトップ)側から社員の搾取に悪用される?
(続く)
◆2023年、
日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5296
【目次】第1世代のマインドフルネスに対する批判
〜 問題を克服するために第2世代マインドフルネスへ
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Posted by
MF総研/大田
at 20:30
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さまざまなマインドフルネス
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