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(4)実在の非二元性から精神療法へ〜その2 [2023年12月01日(Fri)]
うつ病を治して自殺防止
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5119
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4893
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4722

2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
(4)実在の非二元性から精神療法へ〜その2

 次の論文を紹介している。

「外来診療におけるマインドフルネス
  〜実在の非二元性から精神療法へ」(執筆者:佐久間健一、佐久間伸子)
(雑誌『精神科治療学』2023年1月号、星和書店、(p61-68)
 特集 マインドフルネス再考 〜様々な対象、領域での応用)

 西田哲学でもいう「絶対的(非二元的)次元」「私と汝」「知るものなくして知る」「見るものなくして見る」「考えるものなくして考える」「父と子」「非連続の連続」「生と死」を説明している。

 これらは、ジョン・カバットジン、テクナットハン、井筒俊彦、木村敏、鈴木大拙、上田閑照などや西田幾多郎、テクナットハンにある哲学であるという。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4520
★非二元論はすなわち自己は根底の「超越」と一つ

 詩歌やエッセーで読まれるとこうなる。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2078

 現在の「マインドフルネス学」はこういう深い哲学は検討されず、「無評価で観察する瞑想」が現代のどのような問題に貢献できるかどうかを検証しているものといえる。どのような問題に効果があるかどうか確認が続けられている段階である。
 いずれかの哲学を指針として、無評価観察瞑想を含み、これを超えて「行動時」にはどのように観察しどのように評価しどのように言語・行動に表出する方法がどのようなことに貢献するか研究する学問があってもいいはずである。アメリカでは、すでにそこに入っている。これを「マインドフルネス」とは言わずに何というのだろう。「メタ認知」か「メタ認知行動」か。「マインドフルネス」は、無評価瞑想に限るというならば、SIMTの名称も改訂したほうがいいのかもしれない。
    https://blog.canpan.info/jitou/archive/4895
    対人場面では「バイアス」に類似する心理があり自分や他者を精神疾患においこんだり、ハラスメントとして批判されたりして加害側も苦悩に陥る。自己中心的な評価基準に気づき抑制する実践が仏教にはあった。そういうことを現代に活用できないか。「カルト」も独断的な思想があり、被害を防止するためにも、宗教的レベルの観察(佐久間氏の「絶対無」「無分節」)まで日本にはある。
 佐久間氏が「適応障害」の「症例A氏」を紹介している。大田がみたところ、無評価での瞑想を超えて、行動時まで自分の反応がどうあるのが適切であるかを「評価」して生活していったから「適応障害」が軽くなったといえる。SIMT(自己洞察瞑想療法)と類似する。無評価での「瞑想」を教わり、それだけでなく「行動時」にはどういう反応が適切か「評価」して適切な行動をする方法に気づいたのであると言えるであろう。
 この行動時の工夫を医師が積極的にアドバイスしたのか、患者A氏が自ら気づいたのか、ほかの患者はどうか、効果の高い方法に構造化していくか教示していただきたい。そして、仏教との関係も課題である。初期仏教、大乗仏教、日本の現代仏教の方法との関係の研究もである。もし、佐久間氏の方法がこれら仏教にないとしたら、仏教には「うつ病」などの支援には向かないことになる。うつ病の人は仏教に向かわないほうがいいということになる。
 そうなれば、「日本の仏教」は何なのか、という「仏教学」の問題にもなる。しばしば、「マインドフルネス」は、仏教(ヴィパッサナー、サマタ、など)と関連で説明されるが、現代にも通用するものなのか。
 こうしたことに、マインドフルネスの学問の未来がかかっている。

 では、症例A氏の行動時の工夫を検討しよう。

(次の記事にします)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5287

下図も「症例A」を見た後で改訂する。症例A氏は、佐久間氏のマインドフルネスの助言(=MBCT)にとどまらず評価の現場での別の観察・行動化実践を自ら加えたので軽くなったと思う(次の記事、大田の推測)。
MD-1c-sakuma.jpg

(西田は初期と晩期とでは用語が異なる。最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」では、すべての人の根底を「絶対無の場所」「絶対者」「絶対的一者」という。絶対に対象にならない。上図では「絶対無」という語にした。同様のことを内外の宗教者、哲学者は「空」「気づき」「慈悲」「無分節」「意識のゼロポイント」「あいだ」などという用語を使ったという(佐久間氏))

 雑誌「精神科治療学」(星和書店)1月号について触れた記事。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5121
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5124
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5129
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5181

薬でなくうつ病を治す方法の開発は長年の悲願
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1847
★2009年のNHKテレビ放送とともに出版された本

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4436
★科学学問も第三者による評価が必要

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4444
★学者も自己自身をも批判する良心を

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
★専門家多数派のエゴイズムを考える

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577
★宗教、学問も自分のものを執着する
 〜メディアにしかできない

(注)
「無評価で観察の瞑想」は、7つの態度のうち第一をさらに簡略にしたものが普及している
ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法」春 木豊訳、実務教育出版、 pp55-56
後に、北大路書房から『マインドフルネスストレス低減法』の題で発行、同じくp55-56。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5281
◆「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
Posted by MF総研/大田 at 08:17 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL