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(3)実在の非二元性から精神療法へ〜その1 [2023年11月30日(Thu)]

2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
(3)実在の非二元性から精神療法へ〜その1

 雑誌「精神科治療学」1月号で、「マインドフルネス再考」を特集したが、深刻なうつ病、不安症などに顕著な治療(完治)効果があったとは報告されていない。
 ジョン・カバットジン氏のMBSRには、7つの態度があり、深い「全体性」のマインドフルネスの「扉」にすぎないといったが、一つにしてしまうと「扉」から離れてしまうようではないかと感じる。雑誌1月号に掲載された論文をみればわかる。

実在の非二元性から精神療法へ

 次の論文がある。

「外来診療におけるマインドフルネス
  〜実在の非二元性から精神療法へ」(執筆者:佐久間健一、佐久間伸子)
(雑誌『精神科治療学』2023年1月号、星和書店、(p61-68)
 特集 マインドフルネス再考 〜様々な対象、領域での応用)

 次で触れた記事である。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5124
「マインドフルネス」で無評価で観察の瞑想を超えたものが発言された

 「西田哲学の「絶対的(非二元的)次元」「私と汝」「知るものなくして知る」「見るものなくして見る」「考えるものなくして考える」などに言及している。」

 ほかに「父と子」「非連続の連続」「生と死」を説明している。

 これらは、ジョン・カバットジン、テクナットハン、井筒俊彦と共通という(p63)。木村敏(p65)、鈴木大拙(p64)、上田閑照(p65)もそうだというが、西田幾多郎とテクナットハンを多用している。
 これは、哲学であって、精神療法ではない。哲学は「思考」を用いる。これを生活実践化する必要がある。精神疾患でないひとも絶対無を自覚するまでも、してからも実践する。大乗仏教者は、絶対無の体験を「無生法忍」(むしょうぼうにん)というが、これを体験した後は、他者救済に向かうという。無生法忍はほとんどすべての大乗経典に出てくる。
 西田哲学も「哲学」が他者から実践されないと、世界への貢献度に限界がある。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3495
★西田幾多郎の子孫の嘆き

(西田哲学がすべてのひとに理解されて実践されれば、戦争、差別、ハラスメント、いじめ、などはなくなる。すべてのひとが「共生」する社会となる。)

 これを、うつ病などの人が完治するまで「指導」するのが「精神療法(心理療法)」「医学、臨床心理学」となる。
 「療法」と「哲学」の違いは、前者は他者(患者)と対面することである。見る、思考、発語、身体動作(行為)、(さらに行為的直観、自覚的直観)のすべての意識を用いる。「哲学」は、他者との対面がない、主に「思考」を用いる。
 「療法」では、他者と直に対話するので、自己と他者の双方に「感情」が起きる。すなわち、「評価」の現場である。患者は同じではない。患者の症状の程度、聞く態度が違う、治療者のアドバイスを理解する程度、実践する程度が違うので、双方に感情が起きる。「評価」しないと対話は続かない。対話中に感情が起きるが、その処理を間違うと、対面は終了となる。そこに、対話時の種々の意識作用の「観察」(マインドフルネス)が重要になる。
 「哲学」の思索では、相手がいないので、相手との感情の処理は問題にならない。

 このように、「哲学」と「精神療法」の実際臨床とは、全く異なるので、通常は、哲学者は精神療法者(医師、心理士)の職務を遂行しない。おそらく、哲学者は、臨床が好きではない。うつ病などの患者を治す職務につくひとは、哲学思索よりも苦悩する人と直接会うことを「好き」であるようにならないと職業としては選択しない。
 西田哲学やヴィクトール・フランクル、神谷美恵子などが人生をかけるものを論じている。「価値」「生きがい」という。たった1回きりの人生を何をして生きるか、農業か、ビジネスか、教育者か、「哲学」か、「臨床医」か、スポーツか、芸能か、、、、。
 大乗仏教が盛んな国、時代は、別れていなかった。大乗仏教の「空」=絶対無の哲学を内面に帯びて、苦悩する人に教えることを一人の出家者がしていたようである。
 佐久間氏の論文は、「哲学」の紹介である(次に述べたいが症例Aは、医学、精神療法である)。これも「マインドフルネス学」として重要である。どこまでが「マインドフルネス学」であるのかという問題である。
 「マインドフルネス学」が、「無評価で観察の瞑想」にとどまるのであれば、佐久間氏の論文はその枠内を超えていると思う。
 もし、「マインドフルネス学」が「無評価で観察の瞑想」だけを活用するのであれば、現代の様々な精神社会問題の解決をめざすために別の学問が必要となるであろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4285
【目次】精神、心理が関わることで噴出する精神社会問題、持続する精神社会問題
    (これは3年前である。このあと、背後にエゴイズムの心理がある事件、事態、裁判、紛争、戦争が起きている。他者を苦しめる心理に気づいていない、気づいても抑制しない、つまり「無評価」だ。)
 「症例A」で、「マインドフルネス」の範囲を推測してみたい。(長くなったので、次の記事にする)
(表出するのをためらう内面の本音)
こういうブログを書いていることは、苦悩する人(うつ病などの患者さん)の実際の「臨床」ではない。こういうことを専門家でもない私が批判的評価をすることに時間をさくのも「なさけない」「つらい」と「評価」する。なぜ、科学者がしないのだろう。
 こういうことを支援者がしないでも、人に直接に会う「臨床」の時間をとることに多くの時間をさくひと(臨床の医師、心理士)がいないと救われない人がいるだろう。
 「非二元観」は日本、東洋が本場のはずなのに、 うつ病などの深刻な「マインドフルネス」は、外国の事例を紹介する学問(国内では実行されない)になるのだろうか。
 「マインドフルネス学」では、自らの学説を環境に応じて超えていくことはない のだろうか。枠に何十年もとどまるのだろうか。それならば、佐久間氏が紹介した絶対無の自覚までも、臨床に実用化する学問を別に開始してもいいのではないか。今の「マインドフルネス学」で利益(研究職、出版、執筆、ビジネスへの活用など)を得ていない「若手の研究者」に期待したい。日本も世界も、心が関係する問題が多すぎる。大学にさえも学問的な議論を封じる「ハラスメント」がある。


下図も「症例A」を見た後で改訂する。症例A氏は、佐久間氏のマインドフルネスの助言(=MBCT)にとどまらず評価の現場での別の観察・行動化実践を自ら加えたので軽くなったと思う(次の記事、大田の推測)。
MD-1c-sakuma.jpg

(西田は初期と晩期とでは用語が異なる。最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」では、すべての人の根底を「絶対無の場所」「絶対者」「絶対的一者」という。絶対に対象にならない。上図では「絶対無」という語にした。同様のことを内外の宗教者、哲学者は「空」「気づき」「慈悲」「無分節」「意識のゼロポイント」「あいだ」などという用語を使ったという(佐久間氏))

 絶対無の自覚という宗教的意識について、次でも述べています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4784


 雑誌「精神科治療学」(星和書店)1月号について触れた記事。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5121
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5124
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5129
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5181

薬でなくうつ病を治す方法の開発は長年の悲願
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1847
★2009年のNHKテレビ放送とともに出版された本

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4436
★科学学問も第三者による評価が必要

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4444
★学者も自己自身をも批判する良心を

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
★専門家多数派のエゴイズムを考える

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577
★宗教、学問も自分のものを執着する
 〜メディアにしかできない

(注)
「無評価で観察の瞑想」は、7つの態度のうち第一をさらに簡略にしたものが普及している
ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法」春 木豊訳、実務教育出版、 pp55-56
後に、北大路書房から『マインドフルネスストレス低減法』の題で発行、同じくp55-56。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5281
◆「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
Posted by MF総研/大田 at 08:20 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL