(3)実在の非二元性から精神療法へ〜その1 [2023年11月30日(Thu)]
2023年、
日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
雑誌「精神科治療学」1月号で、「マインドフルネス再考」を特集したが、深刻なうつ病、不安症などに顕著な治療(完治)効果があったとは報告されていない。
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(表出するのをためらう内面の本音)
こういうブログを書いていることは、苦悩する人(うつ病などの患者さん)の実際の「臨床」ではない。こういうことを専門家でもない私が批判的評価をすることに時間をさくのも「なさけない」「つらい」と「評価」する。なぜ、科学者がしないのだろう。 こういうことを支援者がしないでも、人に直接に会う「臨床」の時間をとることに多くの時間をさくひと(臨床の医師、心理士)がいないと救われない人がいるだろう。 「非二元観」は日本、東洋が本場のはずなのに、 うつ病などの深刻な「マインドフルネス」は、外国の事例を紹介する学問(国内では実行されない)になるのだろうか。 「マインドフルネス学」では、自らの学説を環境に応じて超えていくことはない のだろうか。枠に何十年もとどまるのだろうか。それならば、佐久間氏が紹介した絶対無の自覚までも、臨床に実用化する学問を別に開始してもいいのではないか。今の「マインドフルネス学」で利益(研究職、出版、執筆、ビジネスへの活用など)を得ていない「若手の研究者」に期待したい。日本も世界も、心が関係する問題が多すぎる。大学にさえも学問的な議論を封じる「ハラスメント」がある。 |
下図も「症例A」を見た後で改訂する。症例A氏は、佐久間氏のマインドフルネスの助言(=MBCT)にとどまらず評価の現場での別の観察・行動化実践を自ら加えたので軽くなったと思う(次の記事、大田の推測)。

(西田は初期と晩期とでは用語が異なる。最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」では、すべての人の根底を「絶対無の場所」「絶対者」「絶対的一者」という。絶対に対象にならない。上図では「絶対無」という語にした。同様のことを内外の宗教者、哲学者は「空」「気づき」「慈悲」「無分節」「意識のゼロポイント」「あいだ」などという用語を使ったという(佐久間氏))
絶対無の自覚という宗教的意識について、次でも述べています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4784
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雑誌「精神科治療学」(星和書店)1月号について触れた記事。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5121
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5124
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5129
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5181
薬でなくうつ病を治す方法の開発は長年の悲願
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1847
★2009年のNHKテレビ放送とともに出版された本
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4436
★科学学問も第三者による評価が必要
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4444
★学者も自己自身をも批判する良心を
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
★専門家多数派のエゴイズムを考える
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577
★宗教、学問も自分のものを執着する
〜メディアにしかできない
(注)
「無評価で観察の瞑想」は、7つの態度のうち第一をさらに簡略にしたものが普及している
ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法」春 木豊訳、実務教育出版、 pp55-56
後に、北大路書房から『マインドフルネスストレス低減法』の題で発行、同じくp55-56。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5281
◆「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
Posted by
MF総研/大田
at 08:20
| さまざまなマインドフルネス
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