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(2)「マインドフルネス」を用いる療法はうつ病・不安症には顕著な効果が報告されていない [2023年11月28日(Tue)]

2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
(2)「マインドフルネス」を用いる療法はうつ病・不安症には顕著な効果が報告されていない

 雑誌「精神科治療学」1月号で、「マインドフルネス再考」を特集したが、深刻なうつ病、不安症などに顕著な治療(完治)効果があったとは報告されていない。
 ジョン・カバットジン氏のMBSRには、7つの態度があり、深い「全体性」のマインドフルネスの「扉」にすぎないといったが、一つにしてしまうと「扉」から離れてしまうようではないかと感じる。雑誌1月号に掲載された論文をみればわかる。

不安、抑うつに対するマインドフルネス・トレーニングの効果

 次の論文がある。

 「不安、抑うつに対するマインドフルネス・トレーニングの効果」(p43-48)(執筆者は7名)
(雑誌『精神科治療学』2023年1月号、星和書店、(p43-48)
 特集 マインドフルネス再考 〜様々な対象、領域での応用)

 日本で実際に行われている「マインドフルネス」ではなく、すべて、外国の論文を紹介したものである。自分たちの実際臨床ではなくて、外国の論文の紹介である。 主にMBSRやMBCTなどの「マインドフルネス」を取り入れた精神療法(MBIs)の効果を確認した多数の論文のまとめである。うつ病が10の論文、不安症が5つの論文である。

 主に、次の点が確認されている。
1)「MBIsは、不安症とうつ病に対して高い効果が確認された。」

2)「アクティブコントロールやEBTと比較した場合、MBIsのほうが有意に治療効果が高いという結論は得られていない。」

3)「MBIsよりもCBTのほうが効果量は高い傾向にあった。」

 以上が、外国において「マインドフルネス」をうつ病や不安症の治療に用いた改善効果であるが、私(大田)の感想は次のとおりである。

1)は、「改善」とはいうものの「完治」ではないかもしれない。観察の態度が7つを実践したものか、態度1だけなのかも詳細がわからない。期間も何か月の実践なのか執筆者が行ったものではないので詳細がわからない。また、CBT程度の効果があるとはいうものの、マインドフルネスだけではなくて、他の心理療法の付加があるのでその効果かもしれない。 うつ病は、脳の種々の部位に炎症が起きているといわれる。瞑想の時だけの実践を1時間したとしても、ワーキングメモリの「背外側前頭前野」が活性化するであろうが、自分、相手が「評価」する現場で起きる「感情」が渦巻く対人場面に関係の深い「眼窩前頭皮質」や「内側前頭前野」が完全に回復したかどうかわからない。

2)や3)はCBT(第2世代)(認知行動療法)よりもすぐれているわけではないという。

 これでは、CBT(第二世代)でも治らないうつ病や不安症に「マインドフルネス」が期待されて、第3世代の認知行動療法と称されるほどであったが、期待ほどではなかったことになる。

 「無評価で観察」ということと「瞑想」にとどまったためではないかと思う。7つの態度によるマインドフルネスは「扉」(ジョン・カバットジン氏)というが、これでも、この程度である。
 日本で、「マインドフルネス」がうつ病などの「治療」の支援をするほどの人生価値(生きがい)として取り組むひとが少ないのはこのためであろう。
 (日本人は、昔から坐禅を知っており、うつ病などの治療には向かないだろうという認識があるせいかもしれない。)
 まして、第1の態度のみの「マインドフルネス」では、もっと効果が低いだろう。

 私の支援の経験でいえば、薬物療法で治らなかったうつ病、不安症は、瞑想時以外での評価が起きる「感情」の扱いを観察して賢明な反応は何か評価して表出するトレーニングをしても、1年近くもかかる。簡単な病気ではない。MBSRだけでは治りにくいのだろうと思う。

 「マインドフルネス」は、仏教にもあった観察法から開発されたが、仏教では、もっと広く、深く観察していたことをジョン・カバットジン氏は知っていた(図)。新しい学問としての「マインドフルネス」も「扉」にとどまらずさらに、「扉」を開けて入った「人のいる場所」での観察(ここもまだ宗教ではない)にまで研究を拡大してもいいのではないか。そこでは、「評価されて」「評価して」感情が起きるが、そこでの観察のトレーニングが、うつ病、不安症を「完治」させるかもしれない。さらに、宗教問題で苦悩する日本人が多いのだから、宗教レベルの観察のマインドフルネスも研究してもいいのではないのだろうか。

 雑誌1月号の別の論文も検討したい。

MD-1b-MBSR.jpg

 雑誌「精神科治療学」(星和書店)1月号について触れた記事。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5121
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5124
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5129
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5181

薬でなくうつ病を治す方法の開発は長年の悲願
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1847
★2009年のNHKテレビ放送とともに出版された本

(続く、別の論文も検討)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4436
★科学学問も第三者による評価が必要

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4444
★学者も自己自身をも批判する良心を

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
★専門家多数派のエゴイズムを考える

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577
★宗教、学問も自分のものを執着する
 〜メディアにしかできない

(注)
「無評価で観察の瞑想」は、7つの態度のうち第一をさらに簡略にしたものが普及している
ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法」春 木豊訳、実務教育出版、 pp55-56
後に、北大路書房から『マインドフルネスストレス低減法』の題で発行、同じくp55-56。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5281
◆「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
Posted by MF総研/大田 at 17:13 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL