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【目次】マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない(1) [2023年11月26日(Sun)]
うつ病を治して自殺防止
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5119
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4893
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4722
【なぜうつ病になるのか なぜ自殺が起きるのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4786

2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない
(1)検討すべき視点が多い

 ヴィクトール・フランクルが学問、教育における偏り、すなわち、学問、教育における還元主義、画一主義、全体主義を批判したということを参照して、マインドフルネス学も同じことをしたのではないか、という疑念を表明した。

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★学問が過ちをおかしたかもしれない疑念

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4698
★苦悩するひとが多いのに、見ようとしない口実にする「闇の心」を助長する学問
ハリファックスのマインドフルネスからわかる日本の学問の重大な誤解
日本の仏教、禅、マインドフルネスに誤解が広まっている

 「過ち」というよりは、「マインドフルネス」はまだ成熟した科学・学問にまで至っていない段階であろうというほうが正確であるかもしれない。

 学問として成熟するためにはいくつかの視点があると思うので検討すべき点をあげていく。私にはまとめていく時間も学問の知識もないので、現在の状況に満足していない(本音では)若手の研究者が煮詰めていってほしい。

 雑誌「精神科治療学」1月号について。

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 雑誌「精神科治療学」(星和書店) 1月号で、「マインドフルネス再考」を特集したが、いじめ、ハラスメント、うつ病が治らない、そこから自殺もある、苦悩するひとが宗教でさらに苦しめられるなど、種々の精神社会問題が噴出しているのに、第3世代の「マインドフルネス」はあまり貢献していない。最も近いように見える、うつ病などの治療にも積極的に用いているという報告がなかった。これが、科学としての「マインドフルネス」を研究している科学者が行っている現状なのだ。
 ジョン・カバットジン氏のMBSRには、7つの態度があり、深い「全体性」のマインドフルネスの「扉」にすぎないといったが、第1の態度だけだと「扉」を眺めているような段階であり、科学、学問としては、検討すべき視点がいくつかあると思う。

【学問的批評として検討すべき点】
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★ここに学問として検討すべき課題のいくつかを述べた。
 「無評価」とは何か。犯罪、ハラスメントも無評価か。無評価とはどうするのか、傍観、無視か。
 瞑想中に思考が回転するが、犯罪・ハラスメントになるおそれがあるかどうかと評価しないのか。
 「みる」というのは何の意識か。感覚ではないようだが思考か良心か。メタ認知か。
 どこまで「みる」のか。行動時には「みる」ことをしないのか。
 気がつきにくいバイアス、偏見、抑圧されたトラウマは観察をうながす方向の手法を研究をしないのか。
 ほかに宗教的レベルの観察手法の研究は、「宗教」なのか、「学問」なのか。
 「宗教を排除」というPRは偏見ではないのか。「宗教」とは何か、宗教を理解していっているのか。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2344
★個人悪、組織悪(西田哲学)
 「学会」は組織である。大学、学者であるがゆえに学生、一般人の賛同を得やすく、すぐ多数派になる。しかし、学問は発展しゆく、最初は革新説は少数派である。学会が少数派を「排除」する「悪」を犯すものをつくりだすかもしれない。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2369
★支援者の倫理〜大乗仏教はこのように崇高な倫理感を持っていた。現代のマインドフルネスをすすめる学問でさえもこれを犯すものがある

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4436
★科学学問も第三者による評価が必要

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4444
★学者も自己自身をも批判する良心を

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★専門家多数派のエゴイズムを考える

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★問題のある第1世代のマインドフルネスだけが教育されるのはおかしい
 第1世代のマインドフルネスは「無評価で観察の瞑想」
  (第3世代の認知行動療法)
 第2世代のマインドフルネスは、これを超えた自己洞察
  (第4世代の認知行動療法)
 地方創生SDGs ゴール4=「質の高い教育をみんなに」
 孤独・孤立対策は、地方創生SDGs ゴール4「質の高い教育をみんなに」とも密接に関係

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https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577
★宗教、学問も自分のものを執着する
 〜メディアにしかできない

(注)
「無評価で観察の瞑想」は、7つの態度のうち第一をさらに簡略にしたものが普及している
ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法」春 木豊訳、実務教育出版、 pp55-56
後に、北大路書房から『マインドフルネスストレス低減法』の題で発行、同じくp55-56。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5281
◆「マインドフルネス再考」
【目次】マインドフルネス学は科学学問としてはまだ成熟していない


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5296
【目次】第1世代のマインドフルネスに対する批判

 すでに、古くから批判があるという論文が。真剣に検討すべきである。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5294
(11)うつ病を入院で治すうつ病専門の病棟で
 福岡県の不知火病院で。マインドフルネスも提供。
 現代社会を生き抜く基礎能力として幼児期から年齢に応じて身につけるマインドフルネス
 SIMTも泊まり込みでの支援を提供する方法を試験したい。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5293
(10)マインドフルネスの支援者の育成講座、資格認定の講座は検討が必要か

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5292
(9)西田哲学・鈴木哲学による「非二元論」の説明をラジオ第2放送で
 NHKラジオ第2放送で、ちょうど、竹村牧男氏が鈴木大拙・西田幾多郎の「非二元論」を放送。再放送もある。

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(8)一元論(東洋)と二元論(西洋)〜図示
 「無評価で観察の瞑想」マインドフルネスで「自己」は意識されるものを離れたところから見ているという「二元論」である。しかし、大乗仏教、西田・鈴木哲学は「非二元論」。図示すればこうなるか。井筒は「ゼロポイント」として、小さな〇で図示する。それでもいい。だが、それは「二元論」の自己とは深さが違い、それ自体では存在しないから。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5290
(7)一元論(東洋)と二元論(西洋)
 なお、二元論の枠内ではあるが、アメリカでは「第2世代のマインドフルネス」が提唱されている。「無評価で観察の瞑想」を超えて、社会行動時まで内面の観察を加えた精神療法を、大田は「第4世代の認知行動療法」と称する。第3世代は、うつ病、PTSDなどの「完治」の支援はできないが、第4世代は、完治の効果をも目指す。別に述べたが、宗教レベル、「死」の問題も。
☆マインドフルネスの支援者になるための資格の条件として合宿に参加して長時間の瞑想の体験を持つことが必要という。「呼吸と一つになる」「自分がなくなる」体験。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5288
(6)一元論(東洋)と二元論(西洋)
 「無評価で観察の瞑想」は、脱中心化の効果はあるものの、それは「二元論」にとどまる。自己を深く観察は東洋にあり、「非二元論」が深いというので、「二元論」が真理というわけでもないだろう。
「マインドフルネス療法を行うセラピスト自身が、一元論に通じている、少なくとも通じようとしている必要がある。そうでなければ、マインドフルネス療法に参加する多くの患者が、二元論の罠に陥ってしまうことになる。」
「二元論の枠組みの中で、自己の相対化やその先にある無我の世界を言語的に、非言語的にいかに伝えていくことができるか、そうした能力もまたセラピストには求められる。」 (佐渡充洋)


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(5)実在の非二元性から精神療法へ 〜 その3
  MBCT=社会的場面でも「無評価」では危険であり、社会の不正を助長するおそれがあると懸念。社会にあるいじめ、ハラスメント、組織内の不正、差別、うつ病などが治らないで苦しむ人々を無視、傍観する傾向を助長。
 また、希死念慮のある重い患者には、マインドフルネスを実践した人は、自傷、自殺のリスクを高めるおそれがあるという研究報告もあった。


 MBCTは、中学生、高校生などには教えないほうがいいのではないかとさえ思う。いじめられても、いじめを見ても、見逃し、傍観していること、討論の場でも自分の意見を言わず傍聴していることが「科学的」「学問的」であるからと奨励しているように受け止められるおそれがあるのではないだろうか。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5284
(4)実在の非二元性から精神療法へ 〜 その2
 ジョン・カバットジン、テクナットハン、井筒俊彦、木村敏、鈴木大拙、上田閑照などや西田幾多郎、テクナットハンには深い哲学がある。たとえば「非二元論」。「無評価で観察の瞑想」マインドフルネスにはこれがない。

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(3)実在の非二元性から精神療法へ 〜 その1
 自己の哲学は深いものがある。非二元論、絶対無、など。今の「マインドフルネス」はこれがなく、浅いというのだろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5282
(2)「マインドフルネス」を用いる療法はうつ病・不安症には顕著な効果が報告されていない
 「無評価で観察の瞑想」は「うつ病」などを「完治」させる効果はない

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(1)検討すべき視点が多い


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◆2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発している時点での「マインドフルネス再考」
Posted by MF総研/大田 at 06:52 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL