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(12)自分を観察する、哲学する〜いかに見る、いかに行為する、主体は何か [2023年11月24日(Fri)]

2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発した時点で「マインドフルネス再考」
(12)自分を観察する、哲学する〜いかに見る、いかに行為する、主体は何か

 自己に関する問題は、いくつかの局面があると西田哲学はいう。

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 「見る」というのは、人生の一部に過ぎない。いかに見て、どう考えるかということが「認識論」だ。認識論に、考えることまで含まれる。見て考えて認識するからである。認識を変える心理療法が「認知療法」である。

 政治家や専門家が、差別、偏見、ハラスメントだと批判されている。これは、行為する局面が批判されているのだ。行為には発言も含まれる。行動を変える心理療法が「行動療法」である。
 現在は、認知と行動の両方を適切に用いる「認知行動療法」を用いるカウンセラーが多いようである。ただし、日本では少ないと言われる。傾聴の支援が多いという。

 さらに重大な人生問題がある。
 見るもの、考えるもの、行為するもの、すなわち「自己」「自分」とはどういうものであるかということも社会で人生を生きぬいていくにあたって、重大問題である。自己存在を愛されなかったと苦悩する虐待の被害者、自殺するほど自己に絶望している人の苦悩、自己存在を蹂躙されるほどの重大なハラスメントの被害者の苦悩(なかには自殺するほど重大な苦悩)、家族からでさえも無条件では愛されない自己存在に苦しむカルトの被害者、自己存在の消滅=「死」の問題で苦悩するがん患者など、先祖や自分の魂(=自分、自己存在である)が地獄に落ちるという問題で苦悩する人、等。

 瞑想時に「見る」局面だけではなく、社会的場面で見る局面で起きる偏見などに気づく実践、行動の局面に起きるエゴイズムの心理に気づき抑制する自己洞察実践、自己存在の探求の「自己洞察」の手法が大乗仏教や一部の日本仏教にあったと仏教や哲学の学者(一部)が指摘している。「マインドフルネス」、つまり、自己洞察実践に似た実践である。こういうものは無用と排除するのが「科学」「学問」ではあるまい。「瞑想」でない局面の上記の重要な課題を扱う倫理学や哲学の成果を生活実践化することも「科学」「学問」の使命ではないのだろうか。西田哲学も実践されないと意味がないという嘆きがあった。
 「無評価で観察の瞑想」は、重要な哲学問題のごく一部に過ぎない。瞑想でない時の、「評価」が渦巻く局面での見方、考え方、行為はどうあるべきか、自己とはいかなるものかという重要な哲学問題が「排除」されているように見える。

【参考】
『心の中のブラインドスポット』〜善良な人々に潜む非意識のバイアス
MRバナージ、AGグリーンワルド著、北村英哉、小林知博訳、北大路書房

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
★専門家多数派(学者、宗教者も)のエゴイズムを考える


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5267
◆2023年、 日本、世界で種々の事件、紛争が勃発している時点での「マインドフルネス再考」
【現実の世界は「評価」の世界
 〜 評価するマインドフルネスから考察 】
Posted by MF総研/大田 at 09:19 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL