• もっと見る
«双極性障害に心理療法も | Main | 「鈴木大拙 願行に生きる」(下)  〜 その生涯と西田幾多郎との交遊»
NHKラジオ、「鈴木大拙 願行に生きる」の第5回〜禅と浄土教にある共通の根源を解明 [2023年09月27日(Wed)]

NHKラジオ、「鈴木大拙 願行に生きる」第5回
 〜禅と浄土教にある共通の根源を解明

 次のように、ご紹介しているラジオ講演の本、後編が発売になりました。ぜひ、お聞きください。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5141
★竹村牧男氏によるラジオNHK宗教の時間 〜 「鈴木大拙 願行に生きる」

第5回=浄土教への接近 〜学習院から大谷大学へ
 〜禅と浄土教にある共通の根源を解明

 第5回には、竹村氏は、鈴木大拙の東京の学習院時代のエピソードと、 京都にある大谷大学への招聘について述べている。

 竹村氏が、当時の状況や大拙の出来事を語り、テキストに述べておられます。

明治42年(1909)、学習院の講師(翌年、教授)
 翌々年、アメリカの女性レーンと結婚。
 12年間、学習院で研究教育。
大正10年(1921)、京都の大谷大学の教授となる。
 大拙を招聘したのは、当時大谷大学の学長だった佐々木月樵師(大田注:熱心な親鸞教徒)だった。 当時、すでに大谷大学は、「金子大栄、山辺習学、赤沼智善氏等、我国仏教界の錚々たる学者が顔を揃えていた。・・・ さらに、禅の研究家として世界に知られ、特にアメリカで重んぜられていた鈴木先生が加わったのであるから、(大)谷大は我が国の仏教大学中、断然群を抜き異彩を放つものとなった。」(p107)

 我が宗(学者も僧侶も)絶対主義ではなくて、浄土系の学者、僧侶が禅の大拙を真摯に招聘したのです。戦後の傾向からすれば、驚きます。自宗だけのことではなくて、社会全体の利益のために動いていたのです。
 この点は、暁烏敏もです。彼は真宗の人です。禅の西田を大谷大学に招聘しようとしていたのです。竹村氏はこういう。

 「ちなみに、暁烏敏は西田を大谷大学に招聘することを大学の当局に薦めていたらしいです。」 (p108)
 西田は、京都大学の助教授に就任したのですが、「西田は大谷大学の講師(哲学概論、倫理学)に就任しました。」(p108)

 大拙は90歳まで大谷大学の現役の教授でした。昭和35年の10月まで現役で、その後、名誉教授になっています。」(p109)

 大拙は、大谷大学時代、禅と真宗の両方の研究をしています。  禅のほうでは「盤珪の不生禅」「臨済の基本思想」が、 浄土教のほうでは「浄土系思想論」(昭和17年)、「日本的霊性」(同19年)、そして、妙好人の発掘が紹介されています。(p110)

 妙好人は学者でも僧侶でもない一般人で深い浄土真宗の境地を得た人です。大拙は、江戸時代の人を紹介しましたが、昭和にも、NHKの心の時代に登場した女性がおられました。

 「妙好人とは、真宗に出る、信心決定のもとに独自の言動や生活を示した人をいうものです。概して学問からは遠く、ごくふつうの市井の中に埋もれつつ、ただ深い求道心のもとに、自己の安心を追及しぬいて、独自に徹底した境地に達した人が多いのです。」(p110)

 江戸時代の庶民の言葉に、大拙は深い信仰を得たことを読み取ります。それを竹村氏がテキストに紹介しています。
 竹村氏はこういいます。

 「彼らの言動に共通なのは、自己のはからいをすっかり手放して、阿弥陀仏に任せきり、そこに揺るぎのない安心を得ていることです。・・・・ そのいわば閑(ひま)の開いた境涯は、禅者の境涯と通じるものがあり、大拙にとっては真宗のただ教学に生きる人々以上に親しく感じられかつ尊敬されたことでしょう。」(p114)

 「興味深いのは、大拙がイエス・キリストも妙好人の一種だと述べていることです。」 (p114)と述べて、大拙の文を紹介しています。

 西田幾多郎も、禅、浄土真宗、キリスト教(聖書)に、最も深い、人間共通の根源をみています。あとで、竹村氏が触れるでしょう。

 これが、第5回の概要であるが、私が全体的に感じたこと。

1)戦前の大谷大学の学者、僧侶のかたたちは、深い境地を得たひとが多かったのだな。だから、他宗を排斥せず、共生して、世界に仏教を伝えようとしていた。そういうひとが多かったのだ。

2)昭和も60年頃には、禅僧にも深い境涯のひとが多数いたが、平成になると、本当に少なくなった。学者では、西谷啓治、井筒俊彦、秋月龍a、竹村牧男(敬称略)などが深い境地(西田幾多郎が「絶対無」といったもの)を著作で紹介したり、大学などで教育していた。

3)平成になると、NHK心の時代で紹介されるものは、深い境地のひとは学者も僧侶もほとんどみなくなった。学者は、竹村氏だけであったと思う(NHKに登場は)。

4)おそらく、今は、大学では、大拙、西田が解明した深い仏教を教育しているところはないのではないか(竹村氏以外には)。学生も一般市民も、仏教に感銘を受ける教育を受ける機会がなくなったようだ。

5)どこの宗派も悩む国民を受けいれて導いてくれない。苦しむ人は「カルト」に行く。

 ここまで、述べてきて、現在、「孤独・孤立対策」でいわれる「居場所」を思い出した。私が禅をやった40年前、禅僧は私たちに、寺で「居場所」を提供していたのだ。私は、2つの「居場所」に恵まれた。

 一つは毎週、日曜日に、8時ころから坐禅会があり、そのあと、昼まで茶話会で、雑談、質問なんでもする場だった。毎週、毎回、十数人が参加していた。まさに、禅寺が心に悩みを抱えた人に「居場所」を提供していた。
 もう一つは、やはり僧侶で、良寛様のようで、民家の一角に坐禅する場と、台所、居間があって、坐禅のあと、居間で雑談、禅の質疑応答ができた。参加者は、私一人のことが多かった。私は、休みのたびにそこに行った。昼めしまでその僧が作ってくれたものを二人でいただいたことも数知れない。

 2つの寺、草庵は、まさに、悩む私の「居場所」だった。しかも、二人とも深い境地を得た人であった。いまは、もういない。このお二人に出会っていなかったら、死んでいたかもしれない。マインドフルネス心理療法SIMTもなかったはずだ。

 今は、もう、こういう人は大学にも寺にも、いないのではないか。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5141
【目次】竹村牧男氏によるラジオNHK宗教の時間 〜 「鈴木大拙 願行に生きる」
Posted by MF総研/大田 at 23:02 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL