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鈴木大拙 〜 第4回=衆生無辺誓願度の悟り ー 大拙と西田 日米間の交流 [2023年07月10日(Mon)]

鈴木大拙 〜 第4回=衆生無辺誓願度の悟り ー 大拙と西田 日米間の交流

 竹村牧男氏(東洋大学名誉教授、前学長)によるラジオ放送が4月から始まりました。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5141
 NHK宗教の時間 毎月第2日曜日、午前8:30−9:00

 テキスト「鈴木大拙 願行に生きる」(上)竹村牧男、NHK出版


 7月9日は、第4回でした。

 大拙は、見性した翌年の春、アメリカにわたる。イリノイ州のラサールという田舎町のオープン・コートという出版社に勤める。編集をまかされていたのが、ケーラス。大拙の仕事はケーラスの助手として漢字で書かれた仏教書を英訳すること。

 「ケーラス博士は、「科学的宗教」を代表して、「真理は科学の研究し拡張し得る所で、またそのような真理でなければ、宗教的黙示としてわれわれの信憑を博するに足りない」という説を主張したといいます。」(テキストp73)

 「このラサール時代に、大拙は仏教思想に関する重要な体験をしています。 一つは、第二回のときにふれておきましたが、「ひじ、外に曲がらず」の大悟ですが、もう一つの重要な宗教体験を得ています。

 仏教、禅宗の人は、しばしば「四弘誓願」を唱えるのですが「なぜ初めに「衆生無辺誓願度」があるのかについての得心です。」(p77)

 竹村氏は、大拙のこの省悟について、こう述べている。

 「この「真誠の安心は衆生誓願度に安心するに在り」の省悟は、私としては、むしろ「ひじ、外に曲がらず」の悟道をさらに上回る、根源的な宗教体験であったと思うのです。以来、大拙はその生涯を、ひたすらこの願行に生きたといってよいでしょう。ここに真の宗教者としての大拙が誕生したと言うべきかと思います。」

 大拙の悟りは深まっていく。これは東洋の日本や中国に文献があるが、西洋の人は知らない。漢語の文献の英語訳をすれば、西洋の人も救われる。大乗仏教経典の英訳と啓蒙のための著作の事業の重要さを感じる。

 「大拙は『大乗起信論』の英訳の次に、自分で大乗仏教の概論を著そうと考え、実行します。」(p81)

 全く初めてのことで「辛苦の結果」、1907年『大乗仏教概論』を刊行した。

 西洋の人々が、大乗仏教について知ることができる世界初の著作となったが、大拙の学問上の弟子であった秋月龍a(元花園大学名誉教授、竹村牧男氏の師)は、こう述べている。

 「この後の欧米の学者が仏教を研究しようとするときに、かならずひもとく英文大乗仏教 第一の書、いな、ほとんど唯一の書として、長く西欧の仏教研究史上に古典的名著となったものである。・・・」(p83)

 なにしろ、初めてのことで、批判も多かったという。その後、大拙は研究思索を重ねて、この書の未熟さを認めたらしく、再刊の求めがあっても許可しなかったという。

 西田幾多郎の『善の研究』がよく読まれているが、その成立について述べている。西田自身も、この著作は未熟であって、宗教の本質をとらえていないことを認めている。したがって、これを西田哲学の真実とは認められない。この後、場所の論理で説明していく。
 大拙は、宗教は、倫理や理性とは違うことをいう。大拙は、ウイリアム・ジェームスの「宗教的経験の諸相」を高く評価していた。しかし、それとも違うという。

 「坂本弘はこのあと、ジェームズと違って、大拙には聖者性の根底にはたらく根源的自覚、霊性的自覚が存在していたのであり、他者の行持や言葉にも常にそれを読み込もうとしていたと、大拙の独自性を指摘しています。」(p92)

 大拙は、1908年、38歳の時、日本に帰った。

「衆生無辺誓願度」は現代こそ実現すべき課題

 鈴木大拙や西田幾多郎が明らかにした人間哲学は、種々の現実の「心理的レベル」でも、「宗教的レベル」でも苦悩の解決に活用できるはずです。それが、「衆生無辺誓願度」でしょう。このような、国民(衆生)の現実の苦悩を救済支援しようという仏教、禅、マインドフルネスは、教える人がいまもなお、いません。大学での講義もありません。だから、日本人も、宗教以前の悩み、たとえば、うつ病、不安症を治す精神療法レベルの苦悩も、カルト宗教で苦しむ家族の「宗教レベルの苦悩」(たとえば、がん患者のターミナルケア)解決にも、学者も宗教者も支援できていない状況です。
 孤独・孤立の問題には、うつ病、社交不安症が治らないために社会に出ていけないひともおられる。仏教、禅の学者も宗教者も支援できることをしていません。つらいひとは、カルトに行く、ひきこもり続ける、耐えきれなくて自殺する。学者、宗教者でさえも、まっとうな批判者を排除する、ハラスメントをする。 大拙の悲願が重要であることがわかります。こういう支援ができない「仏教」って、何なのでしょう。
 「四弘誓願」は、実行、実現することが、大乗仏教の精神なのでしょう。西田は、キリスト教にも同じく、絶対無のレベルがあると結論しました。その具体例が、キリスト教で救われた、星野富弘さんと三浦綾子さんでしょう。仏教には、こういう苦悩を支援するほどのものがないのでしょうか。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5167

 西田幾多郎、鈴木大拙は、理論・哲学を長年月かけて、現代の問題の解決になることを明らかにしました。これを現実に実践化することが後世の人の課題です。まだ、実現できていません。種々の領域に苦悩があります。孤独・孤立しています。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5141
【目次】竹村牧男氏によるラジオNHK宗教の時間 〜 「鈴木大拙 願行に生きる」

Posted by MF総研/大田 at 20:15 | 深いマインドフルネス | この記事のURL