「マインドフルネス」で無評価で観察の瞑想を超えたものが発言された [2023年02月02日(Thu)]
「マインドフルネス」で無評価で観察の瞑想を超えたものが発言された雑誌「精神科治療学」1月号(星和書店)のことを触れた。https://blog.canpan.info/jitou/archive/5121 ★治りにくいうつ病などを治す心理療法の支援者が少ない うつ病は、無評価で観察の瞑想を超えた深刻な問題だからだ はじめて、ブームの「マインドフルネス」、すなわち「無評価で観察の瞑想」を超えたものが 発言された。 佐久間健一氏、佐久間信子氏の論文である。 「外来診療におけるマインドフルネスー実在の非二元性から精神療法へー」 西田哲学の「絶対的(非二元的)次元」「私と汝」「知るものなくして知る」「見るものなくして見る」「考えるものなくして考える」などに言及している。 これは、私が繰り返しいってきたこと。日本にあると。ジョン・カバットジンが「全体性」というレベルである。まだ、実践までは実用化されていない。私の場合、このレベルまで必要とした人は、3名だった。お亡くなりになる近くまで同伴させていただいた。お二人を 新著に紹介した。 「マインドフルネス」関係の雑誌に始めてみた(数年前に学会で発表されたとのこと)。無評価で観察を超えた問題は多い。カルト被害を知れば、宗教哲学レベルの哲学の教育やマインドフルネス的な心理的探求の教育、実践が社会に大いなる貢献をすることはあきらかである。 これまで、無視されてきたが、今後、研究がすすむことを期待する。 うつ病ほか、多くの精神疾患、がん患者の死の不安からの自殺の防止、カルト被害の防止などにも貢献できるのだから、 これから、本格的に、学問的に議論してほしい。無視、傍観、排除しないでほしい。
欧米のMBSR,MBCTは、二元論であり、日本では古くから、二元論を超える仏教があった。西田哲学、鈴木禅哲学が学問的に、論理的に説明した。これが、今は見捨てられて、欧米のマインドフルネスに向かっている。しかし、それでも、それに言及するマインドフルネス研究者がおらえるのは、幸いである。日本の良きものを捨てないでほしい。 佐渡充洋氏も「一元論」に触れている。 「マインドフルネス療法は他の精神療法と何が違うか」 P20 【参考】佐久間氏がいうのは西田哲学の言葉 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3270 ★西田哲学からみる科学学問、そして哲学 (55)物となって見、物となって考え、物となって働く (全く、自我の利益がない立場。自己の立場でない、自己組織の立場でない、自国の立場でない、自分の民族、自分の学問〜宗教の立場でない) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3582 ★後期西田哲学の実践論 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3322 ★学問がマインドフルネスに指針を 大乗仏教、日本の禅は、無評価の瞑想だけが自己観察ではなかった。 宗教でない段階の行動中の内面観察はうつ病などの治療法にもなるし、数々のハラスメント批判になる。 宗教レベルの観察も、がん患者の死の不安によるうつ病・自殺防止や、カルト被害の防止や脱会支援に貢献するだろう。「マインドフルネス」を紹介する文章の一部に、「宗教すべて」が低級であるかのように思わせてしまうような言及があるのは、深い問題に貢献可能性あるものも認める多様性の否定のおそれがあるのを憂える。現実に、「そのようなものは、この組織には無用だ」という者がいる。また、日本の誠実な宗教が理解されていない。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5119 【目次ー自殺予防2023年】 |
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Posted by
MF総研/大田
at 19:39
| さまざまなマインドフルネス
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