(1)不安症、うつ病になると自己評価が低くなる=自己嫌悪 [2022年12月03日(Sat)]
不安症、うつ病になると自己評価が低くなる=自己嫌悪
(1)自己嫌悪という「自己」とは?
自己評価の低いこと、自己嫌悪の改善が、精神疾患の改善に影響するので、深い精神療法は、自己の観察が重視される。マインドフルネスでも、自己の観察が、ACTやSIMTにある。MBSRは、そこまで観察しない。
うつ病、不安症、依存症などの人は、自己を探求することによって、低い自己評価、自己嫌悪が改善される。
自己とは何か、精神医学では探求される。
薬物療法ではそうでないが、精神療法では完治のために有効であるから探求される。
「マインドフルネス」も、真の自己ということをいってるものがある。アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)は、3つの自己を言う。
ACTの文脈としての自己は、点のように感じられますね。内容がないのですから。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4524
仏教も教えてくれるのでしょうか。
しかし、もっと昔の、ヴィクトール・フランクルのほうか、この点は深い。精神的なものは、古人のもの、古典にすぐれたものがある。「自己」とは、何かという点では、ACTよりも、フランクルや西田幾多郎が深い。
西洋で著名なのは、ロゴセラピーのヴィクトール・フランクルである。東日本大震災の復興過程で、よく読まれたという。
彼は、自己が意識されないことを「無意識」といった。衝動的無意識、精神的無意識、宗教的無意識という、3つの無意識で説明する。西田哲学の、衝動的自己、叡智的自己、人格的自己の自覚に対応する。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2870
ヴィクトール・フランクルがいう「無意識」は、「自分が意識されない瞬間」をいう。
不安の意識、回避、依存、専門家や一般人のハラスメント等の行為の瞬間、自分が意識されず、衝動的な発言、行為をする。その瞬間が「衝動的無意識」である。
西田哲学でいえば、目的的行為(衝動的目的か価値実現的目的への行為)が、衝動的(価値崩壊的)な目的への行為の瞬間、自己が意識されない。西田哲学では、自己の意識を「自覚」という。
これを人は、様々に解釈しているという。宗教も様々に解釈している。
(続く)
【連続記事】不安症、うつ病になると自己評価が低くなる=自己嫌悪
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5097
(1)自己嫌悪という「自己」とは?
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Posted by
MF総研/大田
at 05:40
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さまざまなマインドフルネス
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