(1)本来、宗教とは何か [2022年10月28日(Fri)]
本来、宗教とは何か(1)今、宗教とは何かが問題になっている。ずいぶん昔、2012年に論じたことがあります。https://blog.canpan.info/jitou/archive/2587 もう一度考えてみましょう。 日本には、そういう深い禅があることを哲学者が解明しています。多くの芸術家も表現しています。 宗教の課題(1)救済https://blog.canpan.info/jitou/archive/2588★救済ということ 宗教哲学者の量義治氏は宗教には、5つの課題があるといいます。まず、「苦悩からの救済」が宗教であることの課題の一つです。
苦とは、たとえば、家族から愛されなくてつらい、愛するひとが死んでくるしい、うつ病で苦しい、死にたい、などである。 「救いとは、・・・現に救われていることである。救済は現実で ある。」 たとえば、家族から愛されなくてつらい、愛するひとが死んでくるしい、うつ病で苦しい、死にたい、こういう苦悩、苦難を実際に乗り越えることができたということです。 なお、苦からの救いというのは、必ずしも、苦悩、苦難の事実がなくなったというのではありません。死んだ人が生き返るのが救いではありません。苦悩苦難がなくなるのではありません。苦難は起こり続けます。天災、人災、病気、などなど、苦難が起きます。これはなくならなりません。宗教者、学者(その宗教を学問的だとして擁護する者や誠実な宗教を排除する学者など)が苦を与えることもあります。それは、宗教の課題からは問題です。 上記の課題からいうと、家族などから苦悩、苦難を訴えられる宗教では、本人や家族が苦から救済されていないように見えます。まだ、自分の自由意志で宗教に向かうことが難しいはずの子どもが苦しむのは宗教の課題が満足されていないとして問題があります。 宗教の自由といっても、本人や家族に苦悩、苦難をしばしば与えるというのはいかがなものでしょうか。「現実に救済されている」ということが必要ではないでしょうか。 なお、苦難は起きます。人災の一つ、他国からの侵略も現実味を帯びています。難病にもなります。いつか「死」も来ます。三浦綾子は、まじめに生きる人間にも苦難が起きるものだが、どうとらえるかを示しています。誠実な宗教としての苦難の乗り越えの一例でしょう。後で、見ます。仏教はどう教えているのでしょうか。 【関連記事】 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2942 ★宗教と心理療法 2014年には、 「日本の宗教は誠実な活動をしていますので、全く問題ありません。」といっていましたが、カルト的な宗教集団による不適切な行為があったのですね。宗教が尊敬されなくなり、不安をいだかせる。 注 (P )は「宗教哲学入門」量義治、講談社学術文庫,2008 大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社 (これが、通常のうつ病、不安症などを改善するマインドフルネスSIMT) 大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社 (これが、がん患者の死の不安とか、人格否定の苦とか、宗教的苦悩などを乗り越えるためのマインドフルネスSIMT) 【関連記事】 カルトについて触れた記事 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4893 【連続記事】地方創生SDGs 3.4 自殺の減少 ー 2022年 今年こそマインドフルネスSIMTで実現を https://blog.canpan.info/jitou/archive/5071 【連続記事】本来、宗教とは何か https://blog.canpan.info/jitou/archive/5081 ★i宗教の課題(1)救済(3)「葬式仏教化」で救えず https://blog.canpan.nfo/jitou/archive/5075 ★i宗教の課題(1)救済 〜 その2 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5071 ★宗教の課題(1)救済 |


