(16)大変な時、投げ出すわけにはいかぬ [2022年10月24日(Mon)]
(16)大変な時、投げ出すわけにはいかぬ日本に1億人のひとがいるが、具体的な生きる世界は、日本ではなく、各人の「生きがい価値の世界」です。この連続記事の最初に書いたことです。https://blog.canpan.info/jitou/archive/5042 (1)ひとはみな、日本という世界で生きるのではない このことを教えてくれるのは、西田哲学の「叡智的世界」の哲学です。 ブームになっている「無評価で観察」する「マインドフルネス」で生きがいを感じておられる人も多いようですが、私が住む世界とは違います。 あちらには、「死にたい」という人はいません、うつ病のひとはいません、見えません。こちらには、「死にたい」というひとがたくさんおられます。うつ病のひとがたくさん住んでおられます。 住む世界が違うので、したいこと、すること、学習すること、書くこと、などことごとく違います。あちらにいくと、私は「異邦人」です。きつい人からは、排除もされます。こういうことを西田哲学が論理的に説明しています。 このブログを書きます。誰が読むのでしょう。書いて何になるのでしょう。こちらの世界にはいってきてほしいのでしょうか。違う世界の住人が見てくださるでしょうか。それは無理、世界が違います。 あちらの世界の住人は、こちらには入ってきません。あちらの世界で幸福をもらっているから。叡智的世界で幸福に暮らしておられます。悩まない人と暮らしておられます。 あちらでもない第三世界の住人のひとが見てくださるかもしれません。 つらいひとが大勢おられます。そういう世界に住む人々がたくさんおられます。生きていくこと、今やっていることが無駄、無理ではないのかという思いが時々起こります。 三浦綾子の小説「泥流地帯」の一節にこんな言葉があります。北海道の火山の噴火で雪まじりの泥流で流された土地をまた作物が実るように復興できるのか、途方もない苦労が予測されます。復興すると決意した拓一がこういいます。 「そうだなあ。お前の言うとおりだと、俺も思うよ。だがなあ、耕作。大変だからと言って投げ出せば、そりゃあ簡単だ。しかしなあ俺は思うんだ。大変だからこそ、いや、大変な時にこそ持ちこたえる馬鹿がいないと、この世は発展しないんじゃないか」 この小説には、まじめな人が懸命に生きる姿が描かれます。そして、エゴイズムの人と誠実な人とが描かれます。人間が自己中心的な見方で、他者を傷つけることが多く描かれます。そして、誠実な心のひとも登場します。西田哲学で、前者が独断偏見の本音の人間、後者が至誠の本音の人にあたります。 この「泥流地帯」を映画にしようという運動が起こっています。 ◆三浦綾子記念文学館 【三浦綾子に触れた記事】 ahttps://blog.canpan.info/jitou/archive/5048 ★闇の本音を自覚しない日本の禅、マインドフルネス=キリスト教はこの点誠実 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5049 ★「自己中心」の尺度で、ものごとをはかる https://blog.canpan.info/jitou/archive/5067 (この記事)小説の中の登場人物の言葉 「大変な時にこそ持ちこたえる馬鹿がいないと、この世は発展しないんじゃないか」 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5042 【連続記事】マインドフルネス心理療法、SIMTとは https://blog.canpan.info/jitou/archive/4905 【連続記事】マインドフルネス心の世界遺産ー2022年 |
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Posted by
MF総研/大田
at 09:57
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