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(18)集団のトップが内外の人権を侵害  〜 専門家の倫理はいかにあるべきか(2) [2022年09月04日(Sun)]
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(18)集団のトップが内外の人権を侵害  〜 専門家の倫理はいかにあるべきか(2)

 個人は集団に属して、集団全体としては個人以上の能力を発揮できる。 たとえば、個人では自動車を製造できないが、会社という集団に属して、各人のできる力を発揮すれば、会社として自動車を製造して社会に提供できる。個人は、集団(西田哲学では「種」とか「全体的一」という)に属すれば、全体として大きな力を発揮できる。

 だから、各自は、何かの集団に属することで生きる。現代では、無数の集団、種、全体的一がある。 しかし、集団が個人の人間としての自由をうばってはならないという。他の集団の人間であっても、集団内と集団外の生命を軽んじてはならない。あるカルトは、信者の家族を自殺に追い込むようなことをするのは、いかなる理由があろうとも許されない。ある国(これも種、全体的一である)がある世界観、歴史観で、自分の国の人間や、他の国の人間を殺すことは許されない。これは、西田哲学でも、ガブリエルでも共通である。

 西田幾多郎も、投獄を覚悟で、侵略を批判する論文を書いた。「日本文化の問題」

 全体主義的な集団が、個人の人権を否定するような事件が起きるが、西田幾多郎の弟子であった西谷啓治もそういう傾向を指摘し、批判していた。ガブリエルも西谷啓治の名をあげている。 京都学派の一部も、戦時中の日本の「全体主義」を批判していた。西田哲学を全否定するようなことをすべきでない。
 次がわかりやすいであろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3491
★西谷啓治・組織が個人を抑圧

 個人の自由を侵害してはならないことは、生命だけではないだろう。日本は民主主義の国であるから、学問の自由も制限してはならないだろう。日本では、学問の自由が人権として認められているはずである。学者も弟子や学生の学問の自由という人権を否定してはならないことは当然である。
 大学、研究室も「種」であるから、そのトップが弟子や学生の学問の自由、批判意見の自由を抑圧すると社会の発展を妨害する。ガブリエルはハイデガーを批判した。

 日本の大学、病院、宗教、NPOなどの集団はどうだろうか。国が認めたはずの人権を集団のトップと追従忖度するものとが、弱い立場の弟子、学生、看護師、信者などを支配、人権を抑圧していないのだろうか。自殺させるようなことをしていないだろうか。

(続く)

(注)
 深い哲学のある「禅」には、全体主義批判、共生社会の実現の面もあることは、鈴木大拙、竹村牧男氏が指摘した。これを実践化しようというのが、日本的マインドフルネスである。大田の本(2022年)である。(PRさせていただく)
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4917

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★西田哲学も理解せずして否定する学者
 仏教でさえも「全体主義」的だといわれています。それならば、無評価で観察も似ていますね。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5035
★ガブリエルによる批判〜全体主義的な学者、宗教者も
 ならば、マインドフルネス者も全体主義的?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5036
★マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない
 世界中で注目されているガブリエル、「全体主義」を批判する。多くの点で西田哲学と似ています。カルトは全体主義です。わかりやすい科学、テクニックで、知らず知らず、似たようなこと(カルト的)をする。わかりにくい者、違う者、批判者を排除する。
「マインドフルネス」が、全体主義を克服するにはどうしたらいいのか。

【関連記事】

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★西田哲学を理解せずして否定すること
=西田哲学の社会貢献への活用を妨害されることになり残念

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★西田哲学の最終的立場(板橋勇仁「歴史的現実と西田哲学」)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3765
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2476
★西田は形式的な坐禅を重視しない、エゴイズムの観察を重視

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2218
★我執・独断 科学は本来、独断と我執を否定すべき

地方創生SDGs 4 質の高い教育をみんなに


この記事は、次の記事の一部です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5018
【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者
宗教者や学者の良心
Posted by MF総研/大田 at 15:24 | エゴイズム | この記事のURL