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(12)他者を不幸にしてまでも大将になりたい、金がほしい、地位名誉が欲しい、そして、ついていく幹部、物や心を収奪されるあわれな子羊 [2022年08月11日(Thu)]
【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者 【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者

(12)他者を不幸にしてまでも大将になりたい、金がほしい、地位名誉が欲しい、そして、ついていく幹部(プチ全能者たち)、物や心を収奪されるあわれな子羊

 力あるものと取り巻きの少数者が、多数の自国民、他国民を苦しめています。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3881
★画一主義、全体主義者の傲慢は、周囲の取り巻き連が許容するから。 傲慢人間の傲慢を忖度し許容するイネーブラー。
 次の時代の100年をになう若手、多数の若手が「もういやだ」と、20年しかみない長老の壁をこわさないと、若手が生きる未来がよくならない。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2374
★粟野氏の指摘する構図

 最もひどいのが、他国の侵略、殺人や反社会的な行為をメンバーおよび家族に行うカルトです。

 しかし、反社会的でなくても、合法的な範囲で批判的な意見をいう人を表から排除する行為はあちこちでみられます。ハラスメントはすべてそうです。学者でさえもです。 だから、多くの哲学者、社会心理学者などの警告がみられます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2228
★【連続記事】専門家のエゴイズム
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2736
★患者の利益に立つ医療

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
★内部だけでしか通用しない理論枠に縛られ
 「科学である以上、実証研究は重要だ。だが、重箱の隅をつつくことばかりに夢中になって、哲学の議論や認識論の考察に耳を塞いではいけない。米国心理学会の重鎮ジェローム・ブルーナーの嘆きを聞こう。・・・」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4590
★良心によって、第一 に実存的空虚を、第二に画一主義を、 そしてさらには全体主義を克服 =フランクル

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
【連続記事】専門家のエゴイズム
 学者、宗教者でさえも「良心」がない、ましてや、他国を侵略する政治家をや、というべきか、悲惨。
 自分のもの(学問も、宗教的な思想解釈も)に執着して、自分のものだけ(還元主義)をよしとする画一主義となりメンバー全員に押し付ける、批判者を排除する(全体主義)。小は教室、研究室、学会、組織内の自由のはく奪、批判者の排除から、大は、他国の侵略まで。

 仏教者、その学者に向かって、自分のエゴイズムの心理に気づいて捨てよというのが大乗仏教であるはずです。 大昔の龍樹が主張し、道元は龍樹を尊敬しています。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
無住処涅槃

 大乗仏教者は、「これが悟りだ、究極だ」といって、とどまることはない。人々の苦悩はそんなことでは終わらない。
 医学で考えればわかる。とどまれば、少数の難病の治療法の開発がされなくなる。 心理関係も同じだ。心理、苦悩に関係する宗教者、学者が「これが真理だ」と定義し、それを超えるものもあるという批判を抑圧すれば、そこから外れる心理的な苦悩の研究開発がされなくなる。 うつ病などの心理療法が停滞しているのも、専門家のエゴイズムも関係しているだろう。「第三世代の認知行動療法」と期待された「マインドフルネス」も、うつ病の完治には、日本では期待された効果が出ていない。うつ病の治療のためのマインドフルネスは日本の大学では研究されていない。(今、ほそぼそと、NPOが研究している段階*だ。次の記事で予定していた)
 (* 大田健次郎『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』)

 自分の意見、思想、解釈に執着して自分たちだけ幸福になり、弱い人を苦しめて、批判者を排除する人間が多い。我見我執という。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3686
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4968

 いじめ、DV、虐待、うつ病、自殺がなくならないところにも。そして、ついに、他の国の侵略、戦争。

 禅にあったのは、「共生」。これは、現在こそ強調すべきだ。国、宗教、人種、性、意見、職業、政治信条などが異なっても、互いを尊重し、意見を述べる自由を認める。生命を奪わない。仏教にも、キリスト教にも、最低限の人道的な「戒」があるはず。
 「共生」については、新刊の『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』(p216)にも、述べた。これは、鈴木大拙が述べて、竹村牧男氏が『宗教の核心』(春秋社)で紹介していたものだ。 禅者やその学者が「共生」の思想を率先垂範してほしい。

 私は、「共生」が、「マインドフルネス」の高い理念であるとして、マインドフルネスの実践の方向として紹介した。じつは、これがすでに、華厳経や空海にもあったことを竹村氏の著書から教えられた。「共生」の実践、生き方が、誰もとりのこされない社会を作っていく、SDGsにもあっていると思うのだ。今の日本は、力あるもののエゴイズムが共生を妨げている。たった一回限りの生命なのに、マイノリティ、弱者が力あるものの欲望の餌食にされている。専門家が他者の人生、生命を軽視しすぎる。宗教者も学者も。

 「マインドフルネス」も、7つの態度か無評価だけかでは大変な違いがあり、効果がちがってきて、学問としては成熟していないと思います。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5031



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【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者
Posted by MF総研/大田 at 10:39 | エゴイズム | この記事のURL