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(11)「マインドフルネス」「無評価で観察」の種々の問題 〜 要旨 [2022年08月09日(Tue)]

(11)「マインドフルネス」「無評価で観察」の種々の問題 〜 要旨

 自分の意識の観察の方法や範囲を科学的、学問的に研究する「マインドフルネス学」は、まだ未成熟の学問であると思う。未解明の問題が多すぎると思う。「学問」として認知されるかどうか、瀬戸際にあると思われる。

(1)研究者(特に大学の)はさらに深いマインドフルネスを研究開発すべき

以下、次のようなことを考察の予定(他の人たちと研究会などで議論していく)

(2)「無評価で観察」ですむのは、人間の行動のすべての場面ではない
 人は誰もが常に瞑想時にあるわけではない。働く時、趣味の行動もある。そういう行動時に、自己の意識の観察をしなくていいわけではない。なぜなら、例えば、発言した内容によって「差別だ、ハラスメントだ」と批判されるおそれがある。すなわち、まさに発言しようと思い浮かべた瞬間、その内容が、差別、ハラスメントでないかどうか評価して、そのまま発言するか、変更するか、抑制するか評価するのが、誠実というものである。

(3)還元主義、画一主義はやさしいので、全体主義で多数派になる
 マインドフルネス学にも、その傾向が
 「無評価で観察」は、MBSRの7つの態度から、一つだけにした。還元主義のように見える。重要な心理の観察が捨てられた可能性がある。無評価観察でよい、として批判する少数意見を多数決で排除するのは、全体主義的傾向である。
 還元主義、画一主義、全体主義は、ナチスに拘束された精神科医、ヴィクトール・フランクルが厳しく批判した。複雑、多様な人間の事実を、一面だけにみてしまうからである。
 道元の仏教は「坐禅のみ」というのも、似ていないか。しかし、道元には深い「超個」の体験も重視していたという禅僧が昭和の時代に多くいた。そして、学問的に明らかにしたのが竹村牧男氏の『道元の哲学』である。そして、そのほかに、道元には、エゴイズムを捨てよということが厳しく主張されている。これも、捨てられた重要な点である。

◆マルクス・ガブリエルも警告している。
    「全体主義の克服」集英社新書

    「上から」の力によって、
    民主主義が攻撃されているわけではありません。
    民主主義を破壊しているのはわたしたち自身なのです。
       ー マルクス・ガブリエル
(4)無評価で観察のマインドフルネスは、MBSRの7つの態度を一つに還元か?
 還元するとやさしいから多数に賛同されて、多数派となる。
 しかし、現実の人間や世界は、そんな一つに還元できるものではない。捨てられた6つの態度の中に、エゴイズムの抑制があると思う。とすれば、無評価ではあるが、エゴイズムがないことも観察の態度となるはず。その詳細を明らかにすべきである。MBSRの観察態度は無評価で観察だけではないのではないか。

(5)還元主義、画一主義によって捨てられたものが解決するはずだった問題が見捨てられる

 捨てられた領域の例として、うつ病を完治に導くマインドフルネス、死の恐怖を乗り越えるマインドフルネスなどがある。ほかに、不安、孤独、虐待、差別、バイアス、ハラスメント防止、など専門家や学者の「加害」の心理の観察がある。

(6)うつ病にある自殺の減少という重要な課題
 (SGSsターゲット3.4)
 私は、うつ病になった時、禅によって回復したので、その心理療法化に大きな関心を持つ。うつ病には、自殺念慮があるからである。一方、リネハンの弁証法的行動療法(DBT)には敬意を払っている。難病であるパーソナリティ障害の支援だからだ。
 ところが、DBTでの中核的な手法であるところのマインドフルネスなどの4つの技法では、自傷、自殺のリスクを高めるおそれがあるという。一方、マインドフルネスSIMTでは、自殺念慮の強い人でも、完治する事例が多い。SIMTは、「無評価」ではない。なぜ、自殺念慮の回復に差異があるのか、これも実践的に研究しなければならない。臨床しないで理論だけの差異分析だけでは危ない。慎重に臨床に用いながら検討しなければならない。自殺するかもしれないというリスクがあるからだ。とにかく、自殺の減少のためには、これは、無視する問題ではない。臨床するひとが、研究してほしい課題である。

(7)哲学(理論)と実践は相互に一致すべき
   臨床によって理論も実践も修正改善されていく、それが科学
 なぜ、哲学(理論)と現実が遊離し、学問が現実の問題に貢献できないのか。学者は、文献研究と学生への教育に時間を割くので、実際の臨床を行わない。革新は大学人ではない、NPOからになる。村木厚子氏のいうとおりである。だから、NPOが行うことが、学者の説を超えるものがある時に、無視、排除するところに、社会の問題の解決よりも、自己保身を優先させる心理があるのではないか。

(8)MBSRのジョン・カバットジンも弁証法的行動療法のリネハンも東洋哲学、禅を重視したという。そういうのだから、日本のマインドフルネスの推進者も、東洋哲学、禅の哲学を参照して、「マインドフルネス学」を洗練深化させるべきでは?
 アメリカでは、ポージェスのポリヴェーガル理論によって、無評価観察は限界が指摘された。これは外部からの批判だが、アメリカでは内部からの批判もでているだろう。春木豊氏がマインドフルネスを紹介した2005年の書籍((『マインドフルネス&アクセプタンス』)を見ると、多様な学者が真剣にマインドフルネスの効果を理論的にあきらかにしようとしていた。そして、(6)のように、最も深いとみられた弁証法的行動療法のマインドフルネスの手法では、自傷。自殺のリスクを増加させることも明らかにした。アメリカは、実証研究が真剣である。もう、次の段階にはいっているだろう。

(9)ジョン・カバットジンは「マインドフルネス」は「全体性」まであるという
 MBSRは、全体性への扉とジョン・カバットジンはいう。さらに深いものがあるのだ。マインドフルネスが学問というならば、これを明らかにすべきだ。それで、全貌があきらかになる。MBSRの究極は六道輪廻からの解脱ではあるまい。観察のしかたが違ってくるだろう。

 次の警告は「マインドフルネス学」にも通用するだろう。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
★内部だけでしか通用しない理論枠に縛られ
 日本人の舶来重視の批判(次の11)もある。

(10)自分ファーストの「闇の心」、エゴイズム、の心理の観察
 壁を壊せ、長老に抗おう、という哲学者の言葉は、ここでもいえるのではないか、大変な時代だ、以前の学説が通用しないことが起きる。MBSRには、ないのか。ないのならば、それでとどまってよいことにはならない。「観察」はどこまであるのか、学問ならば展望を示してよいはず。 

(11)舶来主義
 外国からの輸入ばかりという識者。日本人は、独創しないのか。
 内面の観察は、インドで始まり、中国に渡り、日本に伝わり、深化した。そして、禅でいえば、日本では昭和が最盛期だった。今や竹村牧男氏が解明したような深い観察は日本にはないようだ(*)。翻訳書でみれば、外国で深い実践者がいる。中国で禅がなくなったように、50年後、禅は日本からなくなり、「マインドフルネス」だけが実践として残り、深い内面の実践は、日本になくなり外国にあるのか。仏教は、どこの地域でも、(外からもたらされて)勃興、成熟、衰退、消滅という推移を示すのだろう。
(*)実はほそぼそと静かに生きている禅がある。極少数者であり著書もなく、研究者からもメディアからも知られていない。鈴木大拙が発掘した「妙好人」のような、深い禅のひとがいる。大拙がしたように、どなたかが、インタビューして聞き書きを公刊してくださるのがいいような気がする。西田、鈴木、井筒などの哲学者が、道元にも絶対無、超個の重視があったことを指摘していたが、2022年、 竹村牧男氏がこれを論証する書籍 を出版した。道元がいう坐禅で超個の体験まですることができる。(公案によらずに)

(12)悪用の恐れ、宗教の宣伝の恐れ、カルト組織の被害の恐れ、宗教すべてを悪いかのような偏見
 「マインドフルネス」は科学ではない、単なる「技術」「スキル」である。「マインドフルネス」が「科学」というならば、禅宗教団、仏教教団の坐禅、瞑想も」「科学」となる。「観察」が科学であると定義すると、カルト組織からも悪用されるおそれがあるのではないか。

 マインドフルネスが悪用、乱用されると、家庭や仕事を軽視させて、苦悩する人を自殺に招くおそれがあるので、これも重要なテーマである。「マインドフルネス」の提供者に、精神疾患やうつ病が治癒していない人に提供しないという倫理条項の規定が必要であろうか。

(12)瞑想指導者は哲学で方向を示すべき
 瞑想者は、悪用もするし、医療にも貢献する。カルトも瞑想を行う。消費者保護のために、提供者は、己の瞑想のめざす方向を示すべき。 (13)研究の方向もいくつかある〜応用研究と理論の精緻化
 「無評価で観察」も応用領域が多いだろう。「集中力」の向上のほかの、応用研究。そして、理論、哲学の学問的研究。理論、哲学と現実の関係があきらかになれば、従来の手法も修正変化させる。こうして、臨床に用いられる手法は、理論と手法が相互に影響しながら深化発展するはずである。科学は、宗教のように固定していない。
 マインドフルネスSIMTも応用領域が、ほかにありそうである。中学生の「いじめをなくすためのマインドフルネスSIMT」や「産後うつ病のためのSIMT」「虐待する母親のためのSIMT」など関心がある。
 次は、著作で発表済みである。
大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社

(要するに)
 マインドフルネス学は、まだ、未成熟である。学問的な論争をすべきである。不明な点、課題が多いのに、大学の研究者、教育者が議論をせず、無評価で観察だけを強調することを批判する少数者を排除するのは、アカデミック・ハラスメントの疑いがある。学問は批判に真摯に向き合うべきだ。誠実でない一部の宗教者が自分の思想を強制するのと同じ過ちではないか。観察して気づき抑制すべきだと評価判断すべきではないか(誠実な宗教もある)。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2635
☆宗教でないと救われない問題もある

問題をあきらかにし改善の方向を検討する会議、試案作成会議 2022年秋

 このほかにも、あるに違いない。「マインドフルネス」は、検討すべきことが多い。 この問題は、極めて重要である。うつ病の治療法、自殺の減少、ハラスメントの防止、不安孤独の人がカルトによって家庭や人生を破滅させる被害防止などに関わるからである。
★「マインドフルネス」も、「仏教各宗派」も、どの団体組織も、宗教者も学者もマインドフルネス者も、簡単に「全体主義」的(*)になり、メンバーの自由を蹂躙します。それを防ぐためには、幹部、メンバーはどうしたらいいのか。
(*)典型的なものが、カルト組織、独裁国家。どの集団もそうなりやすい。
会場=埼玉県蓮田市、または隣接の市町の公的施設で。(もし、ご自分の町で開催してほしいという希望があれば検討します。)
(参加希望者がなければ中止します。必要としないのでしょうから。)

 全体主義的になるのを防止するためにはどうしたらいいのか。検討のきっかけになるような話題を発表してくださるかた、みなで議論する会議に参加したい方がおられませんか。上記のテーマの一つでもよろしいです。 2,3人おられるならば、この秋に、研究大会かシンポジウム、または、参加者のみなさんで、議論する討論会などを開催したい。 意見発表、討論してくださるかた、参加したい方は、マインドフルネス総合研究所のメールあてに、おしらせください。

 元来、私は専門家ではない。このようなよびかけをするような器でもない。しかし、止むにやまれずよびかけます。

 次の世代の日本を担う若手の参加を切に願う。学問に自由があるのでしょうか、このような日本でいいのでしょうか。

 禅の学問も疑問があります。マインドフルネス学も似たような状況になりつつあります。
 新しい環境になっています。外から覇権主義国家による脅威があります。日本内部で、小さな組織で内部抗争している時代ですか。
 大学でさえも、科学的学問的な議論が封殺されてしまう。このようなことで、日本の人のこころの平安、精神疾患の治療、大切な生命、家庭の維持はどうなるのでしょうか。様々な形の独善的な行動によって国民が苦しめられているのではありませんか。


【関連記事】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5031
★「マインドフルネス」が個人の尊厳をうばう全体主義を克服するにはどうしたらいいのか。 検討大会、みなで議論し試案を作成していく会議。試案は機関誌8号に州債したい。=2022年秋。

★「マインドフルネス」も、「仏教各宗派」も、どの団体組織も、宗教者も学者もマインドフルネス者も、簡単に「全体主義」的(*)になり、メンバーの自由を蹂躙します。それを防ぐためには、幹部、メンバーはどうしたらいいのか。
(*)典型的なものが、カルト組織、独裁国家。どの集団もそうなりやすい。
(参加希望者がなければ中止します。必要としないのでしょうから。)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5034
★西田哲学も理解せずして否定する学者
 仏教でさえも「全体主義」的だといわれています。それならば、無評価で観察も似ていますね。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5035
★ガブリエルによる批判〜全体主義的な学者、宗教者も
 ならば、マインドフルネス者も全体主義的?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5036
★マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない
 世界中で注目されているガブリエル、「全体主義」を批判する。多くの点で西田哲学と似ています

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
★専門家の倫理
 世界の苦悩、問題は限りがないので、専門家は自分を超えたひとの活動を排除してはならない。 これが最高だと固執してはならない。仏教や禅、心理学、マインドフルネス学などの領域の大学人、精神科医、宗教者などが犯しやすい。
 そんなことをしていると(実際にしているから)国民が苦しんでいる問題について若手の研究者やNPO活動の芽をつみ、排除して、国民の問題が解消されない。結果、うつ病が治らない、依存、自傷、自殺、犯罪、反社会的カルトの犠牲、、、、。
 貴重な生命が失われていきます。専門家、研究者のエゴイズムはゆるされません。考えていきましょう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4719
★SDGs 4 質の高い教育をみんなに
 社会に貢献できる少数派の学説も教育を

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4714
★マインドフルネスSIMTで自殺の減少の取り組み

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5018
【目次】無評価で観察のマインドフルネスの限界

 これは、連続記事の一部である。
Posted by MF総研/大田 at 20:51 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL