(9)禅学は停滞していたが幾十年ぶりか今年重要な研究が [2022年07月26日(Tue)]
(9)禅学は停滞していたが幾十年ぶりか今年重要な研究がhttps://blog.canpan.info/jitou/archive/3481★戦前の昭和のころからの道元の学問的解釈論争 道元の禅の学問的解釈については、大論争が続いていた。主な論文をすべて収録した大著が『曹洞宗正信論争』(平成16年)である。昭和3年から昭和46年までの論文が収録されている。 マインドフルネスでも、深い自己をいうものが出てきたが、禅では特に、意識される自己は真の自己ではないという禅の主張があった。自己を超えた働きがあり、それを悟るのだという学派があった。自己を超えたものを「超個」という、意識される自己を「超個の個」という。これを主張する学派と否定する学派があった。今も続く。しかし、竹村牧男氏は、道元においても、 「超個の個」をいうことを詳細に論証した。道元も「超個」を体験することを否定したわけではないという。これは、深い心理療法にあっては、重要なことである。自己の「死」に関わることである。ロゴセラピーのフランクルは、日本でもよく読まれているが、彼のいうことも同様のものがある。 ( https://blog.canpan.info/jitou/archive/4516 ★超個、超個の個 ) 「このように、道元の人間観・世界観にあっては、脱落即現成の理路を踏まえて、特に宗教的実存に関して、「超個の個」という内実をしばしば語っているのである。西田のいうように、「故に我々の自己は、何処までも自己の底に自己を超えたものに於て自己を有つ、自己否定に於て自己自身を肯定するのである。」(竹村牧男、2022年『道元の哲学』p274) https://blog.canpan.info/jitou/archive/5015 ★「禅マネジメント」小森谷浩志 ★「道元の哲学」竹村牧男 すべての人の共通の根源、人種、性別、宗教に関わらず、すべての人間の平等であることにつながる重要な哲学である。 これを否定すると、人間の無差別、平等であることを宗教が認める論理を示すことが困難であろう。 大竹晋氏は、日本の仏教から利他が失われて「いると指摘した。宗教の核心は「利他」ではないのかという疑問がある。(次に述べるが、坐禅に似た「マインドフルネス」が一種の利他を始めた。) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3930 ★仏教学の新しい研究がすすんだ事例=大乗仏教は、利他のはず。 竹村氏は仏教の学問が進展しないことを嘆いていた。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3467 ★学問においてもなぜ、視野狭窄がおこり、気づかないのか 「日本の仏教学を 担う大半が、宗門の関係者であり、自己の所属する宗門の思想・価値の再検討を避ける傾向にあ り、価値判断をともなわない客観的研究に向くことが多い」2009年 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3019 ★道元禅も現代の心理療法の基礎になりえる https://blog.canpan.info/jitou/archive/3470 ★宗門内に強力なリーダーが必要 「宗門内に内向きに活動するだけでなく、積極的に宗門の外の民衆に語りかけていくこと、自分 を見つめることができるような場を適切な方法で提供すること、などが大事です。 それには、組織的に対応するとともに、現代人にアピールし得る特別のリーダーの出現が望ま れるのかもしれません。今まさに、将来において中興の祖と呼ばれるような、強力なリーダーが必 要なことでしょう。」(2015年) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3471 ★教団の外の人々に期待できる 「ところで、人間は何らかの世界観や価値観なしに生きていくことはできません。したがって宗教 や哲学などを求める心は誰にでもあります。しかし既成の閉鎖的な教団に参加することには、た めらいを覚える人も多いに違いありません。そうしたとき、人々は一般的な仏教書を読み学ぶこと によって、自己の思想形成を果たしていくことは大いにあり得ることです。そうしたかたちで、仏教 がひそかに個々の人々の心のなかに生きていく可能性は十分あります。それは、既成の宗門を 離れたところで展開されていく仏教ということになります。自然科学に打ち込んでいる研究者が、 仏教的な世界観に共通のものを見出すことも、珍しくありません。西洋哲学を学ぶ研究者が、仏 教思想にも深い関心を寄せていることもしばしば見受けられます。さまざまな分野の人が、仏教の 魅力にひかれ、仏教の救いについて語り、それらが人々に浸透していく。そうしたかたちで、今後、 仏教が生き延びていくことは十分、考えられます。この動きのなかから、仏教の再生もあるのかも しれません。」 (2015年) 竹村氏は、宗門内と宗門外の学問的な研究の進展を期待していた。大竹氏と、ご自身とが、学問的な研究を発表された。宗門外の動きである。 ドイツの哲学者ガブリエルも、西田幾多郎や鈴木大拙を知っていて、日本に来てみて禅の方向を気にしていた。学問も実践も西田・鈴木から知ったものと違うのを見たのだ。そして、壁を破れともいう。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4120 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4131 自己を超えた超個の悟りも否定し、ただ坐禅だけというのは「仏教」と言えるのかという深刻な問題提起道元の思想、哲学とは違うことになっているかもしれないという。「曹洞宗における悟り体験批判は、近現代から始まったものにすぎず、もともと歴史的に道元に結びつけることが難しい。仮に「悟り体験はいらない」と考えるにせよ、道元の名を借りて悟り体験を批判するのではなく、あくまで「自分に悟り体験はいらない」と表明することが必要になるのではなかろうか。」(大竹晋、p269) 「近現代の曹洞宗における宗学者たちの悟り体験批判は、仏教が従来果たしてきた、現世に拮抗する役割を低下させ、仏教を、単に現世において楽に生きるための道具へと堕落させてしまう危険性をはらんでいる。・・・そこまで現世否定を欠く仏教を、はたして仏教と呼んでよいか否かは、容易には判定できない問題である。」(大竹晋、p272)大竹晋,2019『「悟り体験」を読む』新潮社
これに関係する。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4975 ★西田哲学、鈴木禅哲学が、学者を批判していたが、一向に変わらない ★自分の立場を自己弁護する解釈が、ゆがめる、浅いものとする学説 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3103 ★自分の立場でなく世界の立場 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2607 ★エゴイズムの自覚 悟ることができない自分の立場、または、深い哲学を理解できない自分の立場からさとり(超個の体験)を否定する、というようなことが学問の名において発表されているという意味が西田幾多郎や大竹大竹晋氏、竹村牧男氏の懸念である。私もそう思う。それによって、カルトの被害やうつ病その他種々の精神社会問題などで苦しむ人々の解決に禅が貢献するかもしれない研究がなされない(アメリカでは西田、鈴木が肯定されているようだ)。苦しみ、自殺していく、苦しむのは国民。幸福なのは、自分のできる範囲、理解できる範囲を自己弁護する解釈、学説で教育していれば地位や収入を得る学者。環境が変化していく中で、消費者、受益者の要求に応えない学説が何十年も続く。ビジネスならば、倒産するような学問、教育が続く。 孤独の人、悩む人、死にたくなる人に開かれた人生の哲学、禅を見つけることがむつかしい。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4345 ★専門家は叡智的自己の立場。自分のもの、自分の組織を死守しようとする傾向=自己保身。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100 ★オルテガ「大衆の反逆」 大学における多数派が新説、若手を抑圧 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4859 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4922 ★学問の自由がない日本 長老が若手の革新説、批判説を抑圧 従来の学説では解決できない現実が起きていて、解決すべき新説、枠を超えた説を提起しても排除されて、いつまでも社会問題の解決が遅れる。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2513 ★日本には深い人間を探求したひとが多様な分野にいました。今もそういう分野に。 芸術家、小説家、茶道、俳諧、詩歌、精神療法者、・・・。 こういう深いものがあるのに、多数派説の学問はいかにも異なっています。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425 ★専門家の倫理 世界の苦悩、問題は限りがないので、専門家は自分を超えたひとの活動を排除してはならない。 これが最高だと固執してはならない。仏教や禅、心理学、マインドフルネス学などの領域の大学人、精神科医、宗教者などが犯しやすい。 仏教「再生」の学会、質の高い講座を提供する組織を上記の引用のように、竹村牧男氏は、自然科学の研究者、西洋哲学の研究者、さまざまな分野の人が、仏教の再生をはかる可能性を指摘している。うつ病などが治らない、孤独、不安、自殺、おいこまれての犯罪、差別、ハラスメント、カルトによる被害、様々な社会心理的、精神社会的な問題をかかえている日本。仏教の再生をめざす学会の設立を期待する。そして、多数説だけではなくて、質の高い内容の講座を 提供する組織の設立を期待する。 (各地の大学におられる学者先生がたは、自説のみ(しかも多数派説が多い)を教えておられる。学生も社会人も解決したい問題をかかえた人たちも魅力を感じないだろうからです。「質の高い教育」ということを考えないと、未来を担う若手が不安です。) 私は、資格がない、動かす力がない、あまりに高齢。ぜひ、こころある研究者がたがたちあげていただきたい。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417 ★内部だけでしか通用しない理論枠に縛られ 「科学である以上、実証研究は重要だ。だが、重箱の隅をつつくことばかりに夢中になって、哲学の議論や認識論の考察に耳を塞いではいけない。米国心理学会の重鎮ジェローム・ブルーナーの嘆きを聞こう。・・・」 地方創生SDGs ゴール4「質の高い教育」のうち仏教、禅、マインドフルネス学、うつ病やその治療法などの学問領域にこれは、地方創生SDGsのうちのゴール4「質の高い教育をみんなに」の一つの提案です。これに関連するプログラムを提案した場合、仏教や禅の学問の領域については、ここに、追記していきます。https://blog.canpan.info/jitou/archive/4719 ★SDGs 4 質の高い教育をみんなに もう一つの新しい動きが「マインドフルネス」である。目的を持たないという坐禅と似た「マインドフルネス」が、一種の「利他」(社会で苦悩する人の問題解決支援)に乗り出した。しかし、・・・・。 【関連記事】 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417 ★内部だけでしか通用しない理論枠に縛られ https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425 ★専門家の倫理 世界の苦悩、問題は限りがないので、専門家は自分を超えたひとの活動を排除してはならない。 これが最高だと固執してはならない。仏教や禅、心理学、マインドフルネス学などの領域の大学人、精神科医、宗教者などが犯しやすい。 そんなことをしていると(実際にしているから)国民が苦しんでいる問題について若手の研究者やNPO活動の芽をつみ、排除して、国民の問題が解消されない。結果、うつ病が治らない、依存、自傷、自殺、犯罪、反社会的カルトの犠牲、、、、。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4719 ★SDGs 4 質の高い教育をみんなに https://blog.canpan.info/jitou/archive/4578 ★西田哲学の共生 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4094 ★ガブリエル https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461 ★見て見ぬふりする社会 今の自分の職、地位で幸福な専門家。治らないで苦しんでいる人、領域を見て見ぬふり。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4651 ★追放される「カサンドラ」 広い立場から見て、従来の多数派、幹部を批判して追放される https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577 ★多数説、少数説の例 (続く) 【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9この記事) (寄り道です) (寄り道です) (10) (11) (12) (13) 【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者 (1)問題提起 (2)なぜ、エラい人は高圧的に振る舞ってしまう? (3)多数派の「自覚なき力」に要注意 〜 外よりも内をひいきする心のメカニズム (4)多数派の絆の強さが歪んでしまう「黒い羊効果」 (5)内集団ひいきが社会の問題の解決をおくらせる弊害 (6)民主主義だからこそ、少数派の声に耳を傾ける 難治性の病気は、少数派であり、その研究者治療医師は少数 少数だからといって、「無用」といってはならない 薬物療法で治らないうつ病を研究、治療する医師は少数派である 少数派だからといって、多数決で排除してはならないはずなのに 「うつ病を治すという評価観察のマインドフルネスを必要とするのは少数だから無用」 といって排除する多数派 (7)民主主義国家である日本も、多数派がマイノリティを不当に扱っている 〜 多くの社会心理学者が指摘 (8)禅学もマインドフルネス学も認知行動療法学も停滞 (9)禅学は停滞していたが幾十年ぶりか今年重要な研究が (他のテーマ) (他のテーマ) (10)「マインドフルネス」も「無評価で観察の瞑想」の限界 〜 現場での種々の深刻な社会の解決の心の闇の観察が見えない (11)「マインドフルネス」も「無評価で観察の瞑想」の限界 〜 要旨 (12)認知行動療法の学問研究も期待したが (13)研究者の倫理 〜 誠実であれ、マイノリティのための少数説を排除せず共生を=西幾多郎や鈴木大拙、社会心理学者 |
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Posted by
MF総研/大田
at 22:00
| さまざまなマインドフルネス
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