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禅と無評価観察マインドフルネス、SIMTの違い [2022年07月04日(Mon)]
医療従事者は、うつ病、自殺が多い。その原因が医師によるハラスメントにあるようです。なんとも ひどい状況が明らかになりました。やはり、この領域には、医師から独立して改善支援できる心理職の創設が望ましい、その対策を政府がとってほしい。精神科医の反対があろうとも、それをしないと、医療従事者はおろか、国民のうつ病が治らないで自殺がなくならないでしょう。(次の記事)

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マインドフルネス心理療法SIMTの特徴
観察の範囲、説明のしかたの違い
 〜禅と無評価観察マインドフルネス、SIMTの違い

 少数の禅の人(主に海外で活躍の人)もマインドフルネスをいっています。それが、無評価で観察をいう説と自己を超えた深い観察をいう説とがあります。 禅にも、承知の通り、「ただ坐禅するのが尊い」という曹洞宗の禅(以下、A「ただ坐禅のみの禅」と称します)と、自己を超えた深いものをいう臨済禅(以下、B「超個の個をいう禅」と称します)があります。

 ここでは、うつ病などの回復支援となるべきマインドフルネス心理療法SIMTとの類似性、相違性についての、学問研究の状況だけ簡単に述べます。詳細は、「科学的」「学問的」になりますので、すでに書いた記事や文献を参照してください。

 昭和の時代には、断片的に「道元にも深いB超個の個があった」とする禅僧や学者がいました。 学者では、西田幾多郎、西谷啓治、鈴木大拙、井筒俊彦、秋月龍aなどです。平成の時代には、もう、道元は、「この深いレベルである」とする学者の書籍はほとんど見たことがありません(見落としがあればお知らせ下さい)。すなわち、昭和の後期、平成の時代には、道元には深い禅の哲学(超個の個)があったと教えられた学生はいないでしょう。

 しかし、多数の学者は、道元は、A「ただ坐禅のみの禅」を主張した、超個などない、悟りなどない、と主張しました。つまり自我の根底の超個など認めない解釈です。書籍やインターネットなどで紹介される禅もこれが多いです。そして、無評価で観察のマインドフルネスに類似しているためでしょうか、「マインドフルネス」との協調のイベントがみられます。坐禅時でない時、瞑想時でない時の観察を言わない点が類似します。そういうマインドフルネスや禅を必要とするひとが多いのですから、共生社会として望ましいことです。しかし、深刻な問題の解決を必要とするマインドフルネスや禅も排除してはならないのです。そういう、異なる意見も尊重し排除しないことが、深い立場からの「共生社会」であることを教えた鈴木大拙でしたから。

 さて、ここで、マインドフルネスSIMTとの類似性、相違性ですが、最近、わかりやすくなりました。A「ただ坐禅のみ」という説は、「無評価で観察のマインドフルネス」と類似します。 この両方とも、自己の深まりは言いませんから。また、対人関係のただなかではありませんから。坐禅時、瞑想時ですから。
 マインドフルネスの中でも、やや違うのが、アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)です。自己の深まりをいうので、A「ただ坐禅」や「無評価で観察」のマインドフルネスやMBSRと違って、自己の深まりがあります。つまり、学問的に、相違するわけです。

 平成の時代には、道元についても、B「超個の個」であったとする禅の書籍(詳細な書籍)は、見つけることができませんでした。道元は、「無評価で観察のマインドフルネス」と類似するものだったのか、つまり、自我まるだしの自己をそのまま信じ認めて坐禅するのが宗教なのか(宗教とは自己を超えたものに頼むのではないのか)、うつ病さえも治すことができない程度のものだったのか、極めて重い疑問が出てきます。戦乱餓死で苦しみ死を覚悟する平安末期から鎌倉時代のころの人々にそのような教えですんでいたのか、という疑問がありました。現代人も、そのままの自己で坐禅して深刻な問題の解決になると思うでしょうか。

 このような中にあって、2つの禅の「学問的な」書籍が発売されました。

1,小森谷浩志『禅的マネジメント』内外出版社、2022年3月
    経営学の本です。禅は、10段階の深まりがあるとする中国の「十牛図」を参照しています。道元にも、深い超個の個の主張があると解釈しています。
     十牛図の第8が超個の悟りとしていますし、道元もこれがあると解釈しています。この超個の悟りを得たものには、すべてが、超個が自己否定した現成したものとされます。 だから、超個を悟ったもの、身心脱落したものの坐禅も、超個の現成としての坐禅になるので道元が重視するのは当然です。自己が残っている(第7)坐禅ではないわけです。このような深い超個の個の禅は、臨済宗に残っています。
2,竹村牧男『道元の哲学』春秋社、2022年6月
    道元のほとんどすべての文献を参照した本格的な道元論です。道元の文献には、「身心脱落」「脱落身心」の語がしばしば出てくるが、「身心脱落」は、西田、鈴木、井筒らの絶対無、超個、無分節に該当して、「脱落身心」は、「超個の個」に該当するということを 的確に論証しています。すなわち道元には、深い哲学があった、とする本格的な道元論です。道元のほかの学問的な解釈の相違があったことについて、新しい見解が展開されて、道元が現代によみがえったような印象があります。
     道元には「見性」の否定の言葉が出てきますが、それは、超個の体験の否定ではないようです。私も同様です(注)。私はある解釈をもっているのですが、機会があれば、著者にお伝えしてみたい気があります。
      (注)私も大学院修士課程で研究者のまねごとをしました。修士論文は『道元の仏道の階位』です。道元は、絶対無、超個の体験を否定していないことをあきらかにしました。そこは、竹村説と同じです。そして、竹村氏の書籍では、難解な道元の言葉を脱落現成(超個の個)の視点からのことばであると見事に説明しています。戦前から含めると100年も論争されてきた問題に学問的な解明がすすんだと感じます。(時間があれば、すぐれた学問成果を読むことが好きで、逐一詳しく竹村説をご紹介したい欲求にかられますが、SIMTの実践化に残りわずかな生命をかけるしかないことが残念です。うつ病などを改善する心理療法の必要性を訴えることに注力したいがあと数年、生命があることを望みます。)

      竹村牧男氏の本書は、道元に限らず、現代日本の仏教および、学問の再検討を促す画期的な書籍だと思います。禅にもジョン・カバットジン氏のマインドフルネスにも関係しますので、本書は、しばしば、触れます。
      https://blog.canpan.info/jitou/archive/5015(この記事)
      https://blog.canpan.info/jitou/archive/5018
      https://blog.canpan.info/jitou/archive/5027
      https://blog.canpan.info/jitou/archive/5028
 道元は、坐禅によって悟る(超個の体験をする)ことができると主張していたというのは、ここに記しました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3277

 禅の2つの潮流、ただ坐禅するのが尊い、というのでは、無評価で観察のマインドフルネスに似ているので、現代人の深い社会問題には応えられないでしょう。事実、西田幾多郎がなくなってから、75年もたつのに、その禅は、現代の社会問題の解決に活用されていません。実践者数では、無評価で観察のマインドフルネスに席を譲ったような状況です。死の淵にあるがん患者の支援にも活用されてきませんでした。
 しかし、元来の道元禅と臨済禅には、現代の哲学にも耐える深みがあるのに、実践方法がわかりにくく、がん患者にも活用できません。

 道元には身心脱落の体験、超個、絶対無の体験の強調があったということのほかに、重要なことがあります。道元は、坐禅と我利我執の観察を重視しました。つまり、現代の哲学でいえば、(公案ではなくて) 坐禅(瞑想)の実践とエゴイズムの抑制によって、身心脱落(絶対無の体験)を得ることができる、ということです。ここに、現代的な意義があります。私は西田哲学によって、マインドフルネスSIMTを構成しましたが、道元の言葉によっても、現代的なマインドフルネス実践(坐禅時だけではなくて、我利我執の起きる家庭、職場まで拡張)を構成できるであろうという予測ができます。
 臨済禅も、公案での方法の前の段階の希望者に、やさしく説明して実践してもらう方法を開発できないでしょうか。公案の方法しかない、というのでは、普通の檀家信者一般の人を拒絶しているように感じます。少子化がすすむ現代ですが、臨済の宗門には危機感はないのでしょうか。

 宗教が許可される施設、宗教が尊敬されるところで、現代的な禅マインドフルネスを構成できるのです。それができれば、禅という宗教の再興になりそうです。多くの場所で貢献できることで、禅寺に多くの在家が通うかもしれません。

 大田健次郎(2022)の著書は、このレベルの実践論で、昭和の時代にたくさんあった、宗教史的なわかりにくい説き方ではなくて、マインドフルネス心理療法として、哲学的に説明したものです。宗教としての臨済宗の実践方法は、公開されず公案を用います。現代の在家の人にとってわかりにくいです。SIMTは、論理的に説明しますが、さすがに、レッスン第10の絶対無(超個の体験と論理的説明)はわかりにくいでしょう。実践してわかってくるものです。実践しないと信じられないでしょう。臨済禅もマインドフルネスSIMTも実践しない人は信じにくいでしょう。
そんなに深いSIMTでなくても、数年も治らない非定型うつ病が、まさかSIMTで治るとは、実践しない人には、信じられないのも同様です。多くの難治性のうつ病、非定型うつ病のひとが治っています。

 このように、禅について、経営学者と仏教学者から多数の人々が主張するのとは異なる説が発表されました。禅の学問もまだまだ発展途上です。
 禅でいう深い自己が真相かもしれないことを考えると、マインドフルネスの学問も、まだまだ歴史的に浅い学問です。MBSRは、「無評価で観察」だけではありません、7つの態度で観察するし、ずっと先に「全体性」があります。これも実践されていません。マインドフルネスも、これから、さらに、学問的な研究を重ねていかねばなりません。
 自殺という「死」を招く「うつ病」や適応障害などの患者を救済できる哲学を含む精神療法(心理療法)を開発できるかもしれないからです。「無評価で観察」のマインドフルネスでは、うつ病を完治できる効果は認められず、自殺念慮の重い患者には、自傷自殺のリスクが高まるという報告もありました。

 SIMTの実践方法も3冊公刊しましたが、学問(哲学、生理学、精神疾患医学など)ですから、完成はありません。研究し、新しい科学的知見によって発展させていくものです。心理学、臨床心理学なども考慮すれば、種々の領域で新しい方法が開発されるでしょう。種々学問的な考慮も推奨されます。ちなみに、この精神療法は、臨床には、難治性の患者、深刻な事情をかかえる患者のカウンセリングになるので、多大の時間とスキル上達の自己実践が必要であり、種々の学問的な研究とは時間が両立しにくい特徴があります。心理学や哲学を研究することは大変面白いです。しかし、それに時間を割きすぎると、臨床の時間がとれなくなります。臨床者と研究者とがお互いを尊重しあって協調しながら患者さんのためによりよい方法に改良していくのがいいと思います。これまでは、学問するひとが、臨床もせずに、臨床の苦労も知らずに、臨床者を無視、排除する傾向を敏感に感じました。文献にむかって学問をするだけではなくて、臨床から得られる理論の乖離を指摘する現場の意見、若手の変化を感じ取ったうえでの新しい意見を尊重してほしいと思います。 村木厚子氏のように、学者は異なる実践を開始するNPOを排除せず、寛大な目で受容していただきたいものです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3928

 うつ病が薬物療法で治らない患者がいます、これまでの認知行動療法(第三世代まで)では、治らない患者がかなり多くおられます。新しい心理療法の研究開発が必要です。
 経営難から医師が取り組めないならば、心理職が研究開発し、心理職が臨床に従事する制度を作ってほしいと、細い1本の糸をたよりに政府に提案します。
https://match.future-city.go.jp/pages/platform/c301/2200159 
★内閣府・地方創生SDGs官民連携プラットフォーム

(注)マインドフルネス心理療法SIMTとは
 自己洞察瞑想療法のこと。日本で開発された深い観察。
大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
大田健次郎(2014)『 不安、ストレスが消える心の鍛え方――マインドフルネス入門』清流出版
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社

【第4世代の認知行動療法】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4887
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4947

【連続記事】
うつ病や不安・不眠の人が薬を減らす時の 重要な注意事項 〜 ベンゾジアゼピン離脱症候群
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【自殺対策〜心理職に期待】
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【目次ー自殺対策〜心理職に期待】
【1】うつ病を完治に導くSIMTのこれまでの経過
【2】地域での自殺対策に心理職の関与が少ない
【3】心理職と自殺対策の関わりについて3つの印象
【4】地元の人も行動をおこしてみませんか
【5】医大付属病院と心理職共同で検証実験を
【6】心理職がうつ病の治療に共同で実験を(2)
【7】医師による心理カウンセリング
【8】がん患者の心のケアも心理職が
【9】慢性の痛みを抱える人にマインドフルネス心理療法SIMTを
【10】ながびく「ひきこもり」のところにも心理療法を
【11】うつ病や不安・不眠の人が薬を減らす時の 重要な注意事項 〜 ベンゾジアゼピン離脱症候群
【12】ベンゾジアゼピン系薬剤の離脱症候群について 〜 厚労省のマニュアル
【13】子どものうつ病の回復、自殺防止の領域にも心理職が
【14】うつ病を予防・改善し自殺を防止する対策〜自治体・企業が
【15】産前産後うつ病の支援にも心理職による認知行動療法
【16】どこかで試験的に認知行動療法センターを
【17】内閣府「地方創生SDGs官民連携プラットホーム」に「ソリューション」登録
【18】自殺防止対策〜相談機関が連携を
 〜 精神科医の治療を受けていても自殺
【19】子どもに多い不安症の一つ「場面緘黙」(選択性緘黙)
【20】小中高の学校の教師のうつ病による休退職、自殺
【21】過労うつ病、過労自殺〜精神障害の労災認定
【22〜2?】マインドフルネス心理療法SIMTの特徴
【22】(1)観察の範囲の違いー生活場面・時の違い
【23】(2)観察の方法の違い
        ー無評価だけ、さらに6つの態度、本音・価値
【24】(3)観察の範囲の違いー自己の深さの違い
        ー自己とは何かという存在論の哲学
【25】(4)観察の範囲の違い
         ーハラスメントする心理・エゴイズムの心理
【26】(5)観察の範囲、説明のしかたの違い
  〜禅と無評価観察マインドフルネス、SIMTの違い
【27】医療従事者の自殺が多い
  ハラスメントがうつ病に追い込み自殺もあることを最も知るべき医師が!!

(以下続く)
Posted by MF総研/大田 at 14:56 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL