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今日は利休忌、千利休も深い根源を極めた人 [2022年02月28日(Mon)]

今日は利休忌、千利休も深い根源を極めた人

 2月28日は、利休忌です。豊臣秀吉から切腹を命じられた。秀吉は、当時の独裁者。自分に気に食わないことを言ったり行動したりする人の生命を奪うエゴイスト。
 現代は、武器が違うので、独裁者のエゴイズムによって、何万人の生命をうばうことがあります。どんな理由であっても、戦争、侵略は反対です。人はみな、幸福で生きたいのに、殺す権限はありません。自分が逆の身になってください。自分が殺されるとしたら、自分の家族が殺されるとしたら。他者の苦しみに共感しなければなりません。
 エゴイズムの心理を観察するのが、日本に古くからあった、マインドフルネスです。道元は「己見、我利、我執」に気づいて捨てよといったのです。対人関係での、自己の心理の観察が極めて重要です。無評価ではいけません。自己中心的な色眼鏡でよごれた受け止めかた、エゴイズムの反応をします。道元は、共通の 根源が、そういうもののないものだからです。

 利休は、末木氏がいう深い霊性を体験した人にあたります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4932

 対象にならない、人間の根源を利休は「出世間」と言っているようです。彼の言葉が『南方録』と『『山上宗二記』に伝えられています。

 茶の湯について二つあると言っています。

二つの茶の湯
 ●書院台子の茶の湯
  広い書院で台子(だいす)を用いる。名物の茶器を用いる。大勢が参加する。
  台子は茶道具を飾る棚

 ●草庵小座敷の茶
  露地の中に独立した狭い草庵で、台子を用いない。小人数で行う。

○書院の茶は世間、草庵の茶は出世間
 「真の書院台子は各式法儀の厳重をととのえ、世間法なり。草の小座敷、露地の一風は、本式のかねをもととするといへども、ついにかねをはなれ、わざを忘れ、心味の無味に帰する出世間法なり。」(『南方録、墨引』)
 
「小座敷の茶の湯は、第一、仏法をもって修行得道する事なり。」(『南方録、覚書』)

 書院台子の茶は世俗の行事作法であり、草庵の茶は仏道であり、自己を悟るのが目的であるというようです。得道とは禅の言葉で、悟りを得ること、世間の自我を離れること。悟りの時、自我を忘れること、無になること、こういう禅体験がここに記述されているようです。だから利休の草庵の茶、小座敷の茶の目標は茶の湯をとおして悟りを得ることであるといっています。
 瞑想ではなくて、茶の湯をしながらですから、対人関係の場において動作します。至誠で行うのでしょう。エゴイズムの見方を排して。対面行動時に同時に工夫する自己洞察実践になるでしょう。

 これは、まじめなものだと思います。坐禅によるもの、公案によるもの、阿字観によるもの、至誠の生活によるもの(西田幾多郎)、種々の方法が考えられますから。井筒俊彦は変わった方法によっています。利休は、少人数で草庵で、茶の湯をしながら生きていけば、根源に至るというのだと思います。

 道元については、このブログでもしばしば触れています。これもその一つです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3073

 「仏道を信ずる者は、須らく自己本道中に在って、迷惑せず、妄想 せず、顛倒せず、増減なく、誤謬なきことを信ずべし。」

 すべてのひとの根源。言葉以前、すべての評価以前。

 道元は、現代の哲学者の表現のしかたに似ています。他の禅者はわかりやすくない表現でします。対象的でなく、言葉以前だから、わかりにくいのです。末木氏のいう霊性の体験者の一人ですから、茶の湯を大成したのでしょう。
 出世間の茶は、差別、評価のない根源の茶の湯なのでしょう。人格的自己として茶の湯をするのでしょう。
 日本には、深い根源を表現する芸能、芸術があります。

★マインドフルネス心の世界遺産
https://www.asahi-net.or.jp/~im5k-oot/isan-kouho.htm

【連続記事】マインドフルネス心の世界遺産ー2022


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Posted by MF総研/大田 at 18:26 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL