• もっと見る
«日本で深化させることを期待していた先生だったが | Main | 権力の監視、少数派であることをおそれない、多様な意見と自由»
日本にあった深い自己探求 〜   それを「マインドフルネス」として実践する本 [2022年01月15日(Sat)]
死と向き合う_カバー_(帯あり).jpg

日本にあった深い自己探求
 それを「マインドフルネス」として実践する本

『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』大田健次郎、佼成出版社

 最も深いマインドフルネスの本、3月に刊行されます。昨日、校正を終えました。日本の禅に通じます。坐禅、公案で指導される方法ではなく、言葉で哲学、実践論、実践方法を理解して自分を深くみつめるものです。

 がん患者さんのメンタルな問題について、様々な本が出版されています。しかし、死を意識することになり、大変つらいとになります。集中力とか、仕事がないとか、したいことが見つからないとかいう次元ではありません。マインドフルネスのどのレベルでもありません。
 「がんです」と告知された途端に自殺する人もいます。以前、うつ病になってから1週間で自殺する人が多いという情報がありました。また、1年以内に自殺する人も多いという情報があります。また、日本財団の報告にあったように、自殺念慮は長期的に続くということがわかっています。脳に炎症が起きていて、それが回復しない限り、生きづらいのです。
 それほど、がんはメンタルなケアが必要になる事態です。本書の中でも触れますが、がんの医療現場では、宗教的な配慮、宗教的なケアが必要とされることは医療関係者も認識しているが、医療関係者が踏み込めない領域であると理解されています。
 その領域には、宗教的な位置からも支援方法が研究開発されていく必要があります。本書は、その一つです。「マインドフルネス」という「心の観察」で、自分とは何かということは、ACTや弁証法的行動療法にもありますが、それよりも深い自己、東洋哲学、禅の哲学、西田哲学による探求の基礎をおいたものです。そこを目指すマインドフルネス実践のガイドブックです。

 がんの告知を受ける前からそして、長い闘病生活の中で、このマインドフルネスを実践して、生き抜いていっていただきたいと思います。
 私の実践会にがんの人も参加されました。座談会で断片的にかたっていたのですが、 体系だてって語っていたものではないので、まとまった本が必要であるとは感じていました。 同じような患者さんは多数おられるのだからというわけで、出版社のかたから、そういうマインドフルネス本の企画を提案されて、2年がかりで、まとめあげました。最初の提案から4年くらいかかりました。

◆すべての人に
 本書は、がんの患者さんばかりではなくて、マインドフルネスを推進されているすべてのかたにも、読んでいただきたいと思います。 ご自分のマインドフルネスがどの段階にあるか、位置づけがわかるのです。自己観察としては、最も深いものですから、他のマインドフルネスは、すべてどこであるか判定できます。 人々のニーズは多様ですから、ニーズに合った多様なマインドフルネスが必要になります。一つあればいいのではなくて、要求に応じて、多様なものがさまたげあわずに、共生していくことができます。まさに金子みすゞのいうとおり、「みんなちがって、みんないい」です。
 そして、これは、日本人が深く真剣に考えてきた幸福の哲学、生き方の哲学の生活実践化ですから、すべての人が同じような実践を研究し現実化してほしいと思います。

 なお、これだけが、「死」と向き合う深い観察、マインドフルネスということではありません。哲学者、仏教学者によれば、禅、浄土真宗、真言宗やキリスト教、フランクルなども深い哲学があるといいます。どう生きるかという人生哲学、幸福の哲学、死を意識する人のケアのために深い宗教レベル、実践哲学がありますので、それを研究されている方々も、似たような実践ガイドを開発されれば、多くのみなさんがたすかるはずです。
 そして、マインドフルネスに限らず、広く人生哲学を勉強する場があればいいと思います。 以前、そういうことを目指したはずの会があったのですが、活動停止しています。会員に説明すべきです。大学人さえもこうです。
 これを教訓として、地方創生SDGsの精神とも協調しながら、新しい共生、至誠の精神で、新しい形の勉強会がいつかできればいいのだが、と思っています。それに向けて一歩一歩あゆみます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2868
★まず、これを実現していきます。読んでいただくことで。
 そして、勉強会、講演会、体験会も。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4895
★ジョン・カバットジンが「全体性」といった立場のマインドフルネス観察です。禅の中でも、深い「悟り」の立場です。そういう「自己の観察」という点では、最も深いものです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2402

 本書は、原則として宗教者の言葉は言及しません(特に有名な宗教者のことをちらっと書きましたが)。哲学、心理学、脳神経生理学などの学問の成果で説明しました。つまり「マインドフルネス」の手法によりました。しかし、これは、2千年の長い年月を経て、深められてきた大乗仏教、道元禅、白隠禅、西田哲学、鈴木禅哲学などの成果を参照しています。つまり、浅薄な私が短い私の人生で作ったものではないのです。無数の人たちの集積が、世界に保存されているのを発掘しただけです。私が独自に作ったものは何一つありません。すばらしい宝が埋もれています。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3422
★特に「後期西田哲学の実践論」が基礎理論になっています。

 日本の深い自己については、「禅」として実践されていました。昭和の時代は多くの禅僧が指導していました。

 学問的に記述したのは、西田幾多郎や鈴木大拙がいました。その禅の生き方は、個人の自由を尊重して、各人の選択した場で働き、共生の社会を作っていくもので、現代もいろあせていないものです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1772
★病院に入院中の患者が自殺

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1762
★がん患者のうつ病

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3706
★がん患者のうつ・自殺予防=がんになると5−10%がうつ病に

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2302
★医療現場の宗教

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2293
★ホスピス・ターミナルケア

禅者の社会観

 一つ紹介します。3月出版の本は、この禅の社会観と同様です。
 複雑多様な現実世界から簡単なものを取り出し、一つでなければいけないように全体におしつけ る「還元主義」「画一主義」「全体主義」的な傾向を上に立つもの、指導的な立場にある政治、学問、宗教がそういう傾向があるが、それではいけないのです。未来のない暗い日本になります。各人の自由、個性を尊重し共生していく社会でありたいのです。金子みすゞがいうように「みんなちがって みんな いい」です。  次は、鈴木大拙の言葉です。政治家、学者、宗教者もこういうことを認めてほしいもです。みなさんは多くのもの、職業、地位、名声、収入を得ています。若い人、弱い人にやさしくしていいではありませんか。そうしても持っているものは失われないから。したいことが違うのですから。

 たとえば、ブームのマインドフルネスは評価の現場でのマインドフルネスをする人はやれません。時間が限られているので、最もしたいことをするものです。だからブームのマインドフルネスの好きな人をうばうことはありません。そういうひとは、深いマインドフルネスには向かいません。好きになれるものが違っているので、みんがあっていいのです。一つを押し付けて、他を排除することはありません。鈴木大拙がこういうのは、その時代にもこれを妨害することがあったのです。今も、これからも起きます。学内でもハラスメントをしてくる者に抵抗することはとても難しいです。多数派、忖度、かばいあい、見て見ぬふりが大学でもありますから。大学人が多数参加していた勉強会がつぶれたのもそれでした。

 では、大拙の言葉を見ます。

1, 自主的に見ることと考えることは、今日の日本人にとって一大喫緊事である。 政治的に経済的に民主主義といわれるが、その「民」の一人一人に自主的考え方の持ち合わせがないと、これもまた一種の日本的「全体主義的」なものになって、何のわけもなく、民主民主と叫んで、その実践はその逆の手を打っていることになるであろう。

2.自主的は利己的ではない。したがって他を陥(おとしい)れて私を営むことでない。自主的とは物事を論理的に取り扱うことで、情感を入れることでない。人間の特異性は合理的というところにある。これを極度にまで働かさなくてはならぬ。 これが働けば人間は自(おのずか)ら自主的となる。群衆生活をするのが人間であるが、個的存在を保持して行くのも人間である。群衆心理の傀儡(かいらい)となってはならぬ

 (鈴木大拙が昭和22年に書いた「自主的に考える」という文で、7か条あげているうちの2つ)(残りの5つも、現代に通じる多様性、共生のために、我利我執を抑制することに関連。この全体は、3月の新刊書でご紹介します。)

大学におけるハラスメント

 自分のこれまでの主張を超えるものを聞くと、不快な情感を感じて憎らしくなります。論理的、学問的な議論をしない。無視、傍観、そして排除。このことが今もなお起きています。 アカデミック・マイノリティの差別です。
 大学の講義は多数派のみです。そのためか、講義を受けても魅力を感じられなくなっているようです。社会の変革を促進するかもしれない大切なものが埋もれてしまいます。
 この組織はこれでいいのか、この学問は学会はこれでいいのか、我々の宗教はこれでいいのか、我々の仕事はこれでいいのか、家庭はこれでいいのか、自主的に考える必要があります。上からのものをそのまま認めるのではなく、自分の頭で考えるのです。
 「お山の大将」であり続けたい人がいるが、みんなそうではありません。「大将になんかなりたくない、自分らしく生きたい」と思うひとも多い。だから、これまで大将であったひとは、若手を排除しないで。大きな目でみてあげなさい。「他を陥(おとしい)れて私を営む」ようなことをしないでください。「共生」「多様性」を大学人が範を垂れてほしいです。
 鈴木大拙がいうように、「禅」には、こういう現代でも今後も普遍的な共生思想、争わないが学問的批判はしあう、そういう良識を含んでいます。道元もそうだといいます。「己見、我利、我執」を捨てよという精神を繰り返し強くいっています。「己見」とは、自己の見解に執着することです。こういう大切なことが教えられていません、
 西田幾多郎もいっていたとお孫さんがいいました。西田、鈴木が教えてくれたものを今こそ実践したいのです。評価が避けられない現実を直視するマインドフルネスSIMTで慢性のうつ病も治るひとがいますし、がん患者も自殺しないですむかもしれません。あちこちであるハラスメントも自覚し抑制しなければならないのです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
★認知的複雑性が乏しい各種の専門家の「ゴリ押し」
 =大学人も、宗教者も。

 時代が環境が自分が生きた時とは違っていくのです。時代の変化に直面している若手にゆずって、長老は引退していけばいいのです。それで、その集団は、変わりゆく環境に適応する新しいものを子孫が用いて、次の時代を生き残れるのです。 ビジネスならば倒産するので、とてもしないようなことを、大学やある種の団体はしています。大学の研究室のように、そのトップ(教授か)を管理する上司がないようなグループ、組織で倒産がないグループ、組織にあります。

種々の世界とすべての人間の共通の対象とならない根源

 本書の背景にある深い根源の哲学について、こちらに関連記事のリンクを表示しました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4917

 昭和の時代には、心について多くのひとが探求して頂点に達しました。それを超えるものはでてきていません。でてこないのです、すべての社会的活動(ポイエシス)を生み出すもとになる根源の探求確認(プラクシス)まで達したのですから。この自己の根源は日本だけではなくて、世界的、宇宙的なものです。ヴィクトール・フランクルのいうように西洋の人も同じです。すべての人間の根底は平等であることを探求した人々を 私は 「マインドフルネス心の世界遺産」(準備中)と名付けました。

 能の世阿弥、茶道の利休、俳諧の芭蕉にもあありました。昭和では、作家、画家も多くいました。この根源の表し方は、さまざまにできるはずだから、新しく小説、芸術、教育法でも表現できるはずです。

 私は芸術や医療などには才能もスキルもなく、職業としてできません。マインドフルネスによる苦悩の解決の領域にしかできません。今度の本は、悩みがちながんになった人が深い自己を探求していく実践書です。禅の学者による本、哲学解説書は多くの人が書いています。しかし、「マインドフルネス」のように言葉で詳しく方法を教える実践書がありませんでした。それを書かせてもらいました。マインドフルネスとしては、日本で最初です。
 これから、みなさんも同じような本をみなさんの領域(ポイエシス)にあったものを書いてほしいです。「無評価で観察」の本も多数あるように、最も深い心の探求マインドフルネス(プラクシス)の本も多数あるべきです。色々な社会の現場(ポイエシス)にあうように。

 今度の私の本は、がん患者や難病の人で「死」を意識する人を主に対象とします。「自分が死んでしまう」苦痛です。自己とは何かということで悩んでいる人もそうです。悩みすぎると、うつ病になり自殺が起こります。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4578
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1783
★主にこの領域

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2424
★内面の心=至誠
 その方向に自分を成長させていく

 ただし、この本で紹介した最も深い自己は、すべての人、すべての領域の人に共通です。実践方針が「至誠」であること(注=鈴木がいうこと)も多様性を尊重する共生社会にあっています。
    (注)利己的でない、他を陥(おとしい)れて私を営むことでない、「全体主義的」でない、 物事を論理的に取り扱うことで感情を入れることでない、 群衆心理の傀儡(かいらい)とならない、こういう実践理念。
 この共通の根源で共通の至誠の指針は、政治、教育、学問、宗教、医療、介護、ビジネス、芸術、NPOでは、最も深いマインドフルネスや実践はどうなるかは、それぞれの領域のひとが書いてほしいです。これまでにないものになります。深いマインドフルネスの本が次々に出版されることを期待します。
 昭和の時代は、「マインドフルネス心の世界遺産」と指定したような形の芸術、学問、宗教の指導法、教育書、ビジネス書などがありました。「マインドフルネス」的に表現するとどうなるか、やってほしいです。

理論の一例
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3829

テキスト
マインドフルネス外観 日本と欧米
深いマインドフルネスのための西田哲学入門
叡智的自己の課題
後期西田哲学の実践論
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4893
【連続記事】今年こそマインドフルネスでSDGs3.4 自殺の減少を

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4887
【連続記事】禅よりも普及したマインドフルネス=医療からビジネスへ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4902 【連続記事】
がん哲学マインドフルネスー2022年


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4917
★ 『死と向き合うためのマインドフルネス実践』
 印刷開始されました 3月11日に発売、予約受けつけ中

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4902
★本の趣旨
Posted by MF総研/大田 at 06:40 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL