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日本で深化させることを期待していた先生だったが [2022年01月14日(Fri)]
◆不寛容が目立つ日本。大学教育でさえも。
◆「無評価で観察」だけのマインドフルネスは、ジョン・カバットジン氏のマインドフルネスMBSRではありません。MBSRにもある偏見、寛容心、共存共生の観察が排除されています。

◆「マインドフルネス」が科学ならば、学問的な議論が要請されます。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4895

日本で深化させることを期待していた先生だったが

 春木豊先生はマインドフルネスが日本でさらに深められていくことを願っておられた。だから、私にも日本マインドフルライフ協会に参加するように声をかけてくださったものと思う。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2323
 「このような動向は、仏教国の心理学者としても非常に興味深く、今後の展開が期待されるもの であるが、一方で、春木が述懐するように、「本家である日本において、話題にされてからそれ に追従するようなことであっては、はなはだ滑稽なことである」という手厳しい見方もある。
 とはいえ、現在のところ、仏教のもつ心理学に対する潜在的な可能性について、西洋の多くの心 理学者が関心を寄せながらも、マインドフルネス瞑想法をはじめとした技法論的な展開にのみ終 始している感がある。単なる技法論を超えた生きる知恵と心理学の伝統とを本質的に結びつ けることはできないのではないか、とも危惧される。
 日本から発信していく心理学のひとつの形として期待されるのは、西洋から輸入された研究の 追試ばかりするようなドープな研究ではなく、己の文化の特殊性から普遍性を引き出すよう なディープな展開である。」 (「マインドフルネス認知療法」277頁)

 ところが日本では、深化せずに、浅いものになった。ジョン・カバットジン氏の7つの態度でする瞑想をマインドフルネスを一つだけとりあげた。 我利我執の抑制、不寛容の抑制、共生しない排除心の抑制を捨てた。

 今、企業でも大学でもハラスメントで人生を狂わせられるひとが多い。無評価ならば、加害者は無評価でハラスメントするというのか、行為した瞬間、相手が嫌がるのが見えるが、「無評価」で見るのでつつけるのか。被害者側はハラスメントされても、無評価でいよというのか。第3者が現場を見ても無評価でいるのだろうか。
 マインドフルネスの学者、マインドフルネスのインストラクターは、「学問的に」、ハラスメントをどう評価しておられるのか。

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★ドラマ、小説に見る至誠の「マインドフルネス」に違背して苦しめるエゴイズム

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
★自分でできないもの、理解できないもの、革新のものを排除する
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【連続記事】今年こそマインドフルネスでSDGs3.4 自殺の減少を

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【連続記事】禅よりも普及したマインドフルネス=医療からビジネスへ
Posted by MF総研/大田 at 10:00 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL