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(9)ジャーナリズム あるべき姿は [2021年12月16日(Thu)]

(9)ジャーナリズム あるべき姿は

 埼玉新聞に、「良心を目覚めさせる」人文知の重要性が説かれ、その中で、さらに、ジャーナリズムも読者の知性と良心を目覚めさせると主張するジャーナリスト(大治朋子氏)を紹介していた。ここにきて、ジャーナリズムの話題になったので、過去の記事で、メディア(ジャーナリズム)の「真の責任」についてのジェフ・キングストン教授の言葉に帰った。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577

 「アメリカのテンプル大学の日本校教授のジェフ・キングストン教授の言葉(朝日新聞 、8/22/2017)

 「メディアの真の責任とは、政府が知らせたくないニュースを人々に知らせることだ。」

 「メディアが口輪をはめられてしまえば、ほえられなくなる。国民の知る権利が脅かされれば健全な民主主義社会の基盤は揺らぐ。」

 この命題を、前のブログ記事に主張されたことをあてはめると、こう言えるのだろう。

 「メディアの真の責任とは、科学者が知らせたくないニュースを人々に知らせることだ。」

 芦名氏は「科学者の良心/倫理」と言った。大治氏は、ジャーナリズムが「読者の知性と良心を目覚めさせる」と言った。

 科学者は、異説、新説が出ても、みていないようなふりをする状況がしばらく続く。科学者は自分の科学的主張や学問的成果を批判されると不快である。だから、良心がないと見てもみないふりをする。それが可能なのだ。科学者も「民主主義」をおびやかすことがある。

 このことは、幾人かが指摘している。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2218
★学者も独断的、自己保身的になる(西田幾多郎、板橋勇仁)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★オルテガ=多数という「驕り」

 たまたま、以前に見た「ハンナ・アーレント 全体主義の起源」(NHK100分de名著、仲正昌樹)にこういう言葉がある。

 「そもそも異なる意見、複数の意見を受け止めるというのは、実際は非常に難しいことだからです。職場や学校で議論していても、基本的に人は自分が聞きたい話を聞いているだけで、他人の話を聞いているわけではありません。異論や反論に耐えるということに慣れていないため、聞かないことで自己防御しているのです。」(p108)

 学者もそうしてる。学者の「闇の心」だ。公益よりも自己の心の安定を優先する心理。市民は有力な異説を見聞きする機会がない。異説の排除は、私が見た学問領域にも広くみられる。仏教の学問、禅の学問、マインドフルネスの学問、・・・。

 そういうことをすれば、うつ病に追い込まれたり、自殺したりすることに追い込まれるひとがいる。それを治して救済するこことを研究する「科学学問」は、精神医学や臨床心理学だろう。

 精神科医はどうなのか。薬物療法で治らない患者が多い(完治率が低いのは、業界で周知の事実)のに、業界あげて新しい治療体制が作られない。がんという病気は治療法が開発されていく。しかるに、「自殺」という深刻な症状がある病気なのに、効果が高いという評判のある認知行動療法を受けられる体制が広がらない。

 治せない自分のスキルに良心の呵責を覚える医師もいるに違いない。おそらく、薬物療法でないと経営が成り立たないという事情もあるのだろう。しかし、それでは、うつ病が治らない患者が苦悩し続ける。治療を受けても治らずに、一部の人が自殺される。



https://blog.canpan.info/jitou/archive/4875
【目次】無評価で観察のマインドフルネスを超えて


Posted by MF総研/大田 at 20:04 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL