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無評価で観察のマインドフルネスを超えて [2021年12月01日(Wed)]
無評価で観察のマインドフルネスを超えて(1)アメリカでは、認知行動療法(第2世代)でも改善しないうつ病、パーソナリティ障害などに、「マインドフルネス」を織り込んだ精神療法で、そういう疾患の改善に活用されてきました。それでも、なお、よく改善しない疾患があるわけです。 マインドフルネス認知療法(MBCT)は、再発予防法が中核です。「治療法」としては、 いまひとつです。実際8週間ではとても改善しない重症、慢性のうつ病、非定型うつ病の人が多数おられます。 慢性の痛みも、8週間のプログラムとしての「マインドフルネス・ストレス低減プログラム(MBSR)は、痛みの緩和法として、定評が高いのですが、それぐらいでは治らない慢性疼痛のひとがたくさんおられます。 こうした、慢性うつ病、慢性の痛みが、10ー18か月のマインドフルネスSIMT(自己洞察瞑想療法)で治る患者さんがおられます。それで、「無評価で観察」が、第三世代ならば、SIMTのような精神療法は、第3世代とはかなり違うので、私は、第4世代と称することにしました。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4236 ★第二世代の認知行動療法でも改善しない問題を第3世代の認知行動療法でと言われたがそれでも改善しない苦悩が、マインドフルネスSIMTで改善。第4世代とよぶ。 日本では、精神療法を提供する医師が少なくて、うつ病などが治らない患者さんが、精神療法を受けられる環境がととのっていません。SIMTでなら、一部は治って、薬から解放され、自殺もしないですむひとがいるのに。ほかにも、効果ある精神療法があるかもしれません。希望するひとが受けられるようになっていません。この領域は遅れています。 新しい精神療法は、最近は輸入ばかりです。フランクルのロゴセラピー、MBSR,MBCT,弁証法的行動療法が輸入されました。 日本では、うつ病、非定型うつ病が治らずに、苦しみ、自殺していかれる患者さんが多いです。いじめからも、働く人の過労、ハラスメントからもうつ病、自殺があります。 日本では、うつ病がいったん薬物療法で治らないと、なかなか精神療法を受けられないありさまです。私は、こんな状況をみて、こういってきました。 「無視・傍観・軽視・放置・見放される病」 https://blog.canpan.info/jitou/archive/1812 医師、心理士、宗教者(宗教的苦悩、たとえば、死、自己)、哲学者は心理の専門家ですが、 難治性のうつ病の患者さんのすぐそばに、専門家がおられます。 無視、傍観、あきらめられている、見て見ぬふりされているように見えます。 昔の2世紀のひと,龍樹が、自己満足して、支援を忘れて見捨ててはいけないようなことをいっていたのです。大乗仏教の崇高、至誠の精神です。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425 現代の専門家は「これがいい、これでいい」と枠をはめているような気がします。その枠を超えたところで苦しむひとがいるわけです。龍樹は、どこにもとどまってはいけないといっていたのです。2世紀の仏教者がこんなことを言っていたのです。つまり、仏教は「これさえすればいい」といってはならない、人々の苦悩がある限り、それを支援すべきと。そして、苦悩は、時代により、場所により違っていきます。 「今の状況に満足できない。もっとすすんだ治療法を開発すべきだ」という専門家が研究していただきたい。もっともっと、すぐれた治療法でないと治らない患者さんがいるのだから、さらにそれを解決する方法を開発しなければいけない。現状にとどまってはいけない、ということだろうと思います。若手が、従来の方法を超えた革新説を提案した場合、長老が排除することは避けるべきでしょう。未来の長い人生は若手のものです。現状を憂えるのは当然です。現状の問題を解決したい、さもないと、未来があぶない。長老が若手の革新説を排除するのはさけていただきたい。 科学はとどまってはいけないでしょう。宗教者の思想や実践の解釈も、宗教学、仏教学などの学問であり、「科学」の側面があります。 仏教(解釈や現代的課題の解決実践など)も、心理療法も、マインドフルネスも、時代、環境の変化、状況の違いに応じて、進歩すべきなのではないでしょうか。仏教については、西田幾多郎博士がそんなことを指摘していました。75年も前に。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4887 【連続記事】禅よりも普及したマインドフルネス=医療から利益目的のビジネスへ https://blog.canpan.info/jitou/archive/4875 【目次】無評価で観察のマインドフルネスを超えて https://blog.canpan.info/jitou/archive/4888 (14)ジョン・カバットジンの(A7)とらわれないこと https://blog.canpan.info/jitou/archive/4887 (13)ジョン・カバット・ジン氏のマインドフルネスの観察態度に戻ると (A1)無評価で観察だけではない、(A1−7)であり、(B)(C)を背景にしたもの。大乗仏教、道元、西田哲学、井筒俊彦に通じるもの。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4886 (12)うつ病にならない、なっても治る、自殺させない精神医療を https://blog.canpan.info/jitou/archive/4885 (11)うつ病の治療法としての認知行動療法の普及を 〜 ジャーナリズムへの期待 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4884 (10)アカデミック・マイナリティの差別 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4883 (9)良心を目覚めさせる、特に科学者の(5) 「メディアの真の責任とは、政府が知らせたくないニュースを人々に知らせることだ。」 「メディアの真の責任とは、科学者が知らせたくないニュースを人々に知らせることだ。」 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4882 (8)良心を目覚めさせる、特に科学者の(4) 〜 ジャーナリズムが「読者の知性と良心を目覚めさせる」 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4881 (7)良心を目覚めさせる、特に科学者の(3) 〜 学者も公益よりも自己の利益をはかることがある https://blog.canpan.info/jitou/archive/4880 (6)良心を目覚めさせる、特に科学者の(2) 〜 「慣習的智慧」のほか、既存の秩序を批判する「転換的知恵」が重要 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4879 (5)良心を目覚めさせる、特に科学者の(1) https://blog.canpan.info/jitou/archive/4878 (4)ドストエフスキーのキリスト教は少数派説 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4877 (3)研究者は偏ろうとも、教育者は偏らないで https://blog.canpan.info/jitou/archive/4876 (2)見て、考えて、行動、そうするものは何か https://blog.canpan.info/jitou/archive/4875 (1)第3世代の認知行動療法 |
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Posted by
MF総研/大田
at 20:59
| さまざまなマインドフルネス
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