次々に評価される現場 [2021年05月16日(Sun)]
【連続記事】マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明 次々に評価される現場「評価」するということは、自分の意見、自分の解釈を表現する ことでもあります。 現実の社会は、評価の世界です。アメリカのポージェスは、自律神経の研究から、ブームの「マインドフルネス」は、家庭や「職場」では使えないといっています。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4056 ★ポージェスのポリヴェーガル理論 無評価の観察のマインドフルネスは家族、職場、学校、病院などでは両立しない=ポリヴェーガル理論。評価する/される時は交感神経。 「無評価」ならば、副交感神経の活性化をはかろうという方策です。 しかし、「評価」することは勇気がいります。評価されると不快です。交感神経が高まります。うっかり、反撃されることを予想しない表現をすると、批判的な「評価」をされます。 https://news.yahoo.co.jp/articles/d888f99bb71caa09dfbe322b4b56b8c0333aa138 ★高橋氏の表現が批判される https://www.asahi.com/articles/DA3S14904212.html ★政府案一変、緊急事態 分科会が反対。科学者が政治家の意見に反対の評価。 批判、反対の評価された人は、批判された時、交感神経が亢進したでしょう。批判も評価、批判された人も不愉快と評価、決して無評価では、いられないのが現実の生活場面です。 こういう場面で、激しく評価されるので、うつ病に追い込まれます。 https://tadatabilife.hatenablog.com/entry/2021/05/15/101106 ★孫会長、オリンピックについて意見・政府を批判評価したもの 意見、提案はそのひとの意志の表現です。表現が他者から「評価」されます。どの場合にも、次のようなプロセスです。 1)最初、発言、表現する 時には、現実を「見て」(無評価ではなく)評価して、自分の意見を表出するのです。 2)それを「見た」人が、けしからんと評価判断して、批判の意見を表出します。 (この時も、勇気がいることであり、交感神経が興奮) 3)批判された人は、「まずい、批判された」と「評価」判断します。「無評価」などではいられません。それに対する反論、いいわけをしなければなりません。この時にも、注意深くさらなる評価をされないように、言葉を選びます。ここもこの表現か、あの表現かの評価判断です。 現実の社会は、評価の世界です。宗教布教の場面も、 学問の世界も「評価」の世界です。学問は、評価しあって発展していきます。評価がなければ、 昔の解釈が学問的だとして、維持されていきます。前時代的な解釈が全体主義的に押し付けられます。だから、力による学問的な議論を抑圧するのは、多くのメンバーをとじこめ、発言の自由を認めない「悪」です。 しかし、こういう学問的な議論を抑圧する集団が、学問するはずの大学の中、大学の周辺にもあるのです。宗教の世界、宗教の学問にもあります。禅の解釈がまちまちではありませんか。抑圧も、抑圧された人が自覚しない場合と、自覚している場合があります。前者の場合、不満怒りの評価感情を起こしません。後者の場合、不満怒りの「評価」をします。学問的な場にもこれがあります。 以下の関連記事や参考書は、これはよくないと「評価」している良書でしょう。(「良」と評価しました) 「見て見ぬふり」する人が充満する社会です。 「見て見ぬふり」も「評価」したのです。「知らんふりしたほうが身のためだ」と評価したのです。意見をいうと、多数派からいじめられる、排除される、昇進できない、それは嫌だ、やめておこうと評価判断します。自己保身、我利我執です。 「力」ある者は、批判者を排除します。排除は「積積極排除」と「消極的排除」(忖度、見ぬふり、黙っている)があります。 学問にみえる「マインドフルネス」「仏教」「禅」のところも、抑圧があります。力ある者は利益を得ますが、損するのは少数派の「批判者」と多数の国民です。 無評価の観察は、瞑想の場面だけで有効であり、対人関係の場面では使えません。家庭や職場、学校、学問の場面では使えません。 「目的を持たない」坐禅と実践によく似ています。 家庭、職場、学問の場は、目的を設定して遂行して幸福をえる場所であるから、「目的を持たない坐禅」も使えません。これも、哲学的に学問的に議論すべき時です。全体主義的な戦前の時代ではありません。 【参考】専門家、学者のエゴイズム 日本にも、学問の自由はない https://blog.canpan.info/jitou/archive/2672 ★フランクル、還元主義、画一主義、全体主義の学問・教育を批判 =今もなお、簡単な一つに還元して、全体に押し付けるものがある。学問だとして正当化も。 長老、専門家は若い革新的なものを抑圧すると、若者が、気力を失い、実存的空虚(これによってある種のうつ病、不安障害、自殺をもたらす)に追い込む。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4660 ★学術会議会員の6名任命せず https://blog.canpan.info/jitou/archive/4650 ★見て見ぬふりする社会 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4100 ★オルテガ、大学人のエゴイズムを批判 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3639 ★「ソラリス」 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3819 われ反抗す、ゆえにわれら在り 反抗が敗北に終わるとしても自分に誠実に生きる https://blog.canpan.info/jitou/archive/3781 ★「ペスト」 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3428 ★仏教、禅、マインドフルネスの深いものを理解しようとしない https://blog.canpan.info/jitou/archive/4054 ★家族との対話、職場での対人場面では無評価ではいられない ★深い説明書が発行された。まもなく、ご紹介します。 『唯識・華厳・空海・西田』2021、竹村牧男、青土社 http://mindfulness.jp/sdgs/21-goal-9.pdf ★激変しゆく環境が、STIを要求する。環境の求めに応じない科学、技術、イノベーションのない組織は捨てられる。 【連続記事目次】 マインドフルネスSIMT・評価の観察の證明 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4729 |
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Posted by
MF総研/大田
at 08:22
| さまざまなマインドフルネス
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